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県内3番手の街だった故郷に、プロスポーツがやってくるということ

※5/24: B2優勝に伴い、タイトルを含め一部加筆修正しました。

これは特に出典や根拠資料のある話ではなく、あくまでも私自身の気持ちを整理して掘り下げただけの考察ですということを、あらかじめお断りしておきます。みんながみんなそう考えているわけじゃないんです、きっと。

プロバスケットボールリーグ「Bリーグ」に所属するチームの一つに、群馬クレインサンダーズ(以下サンダーズ)があります。

その名の通り、群馬県をフランチャイズとして活動しているこのチームは、リーグ発足当初から、あと一歩のところで1部リーグであるB1への昇格が叶わない年が続いていました。ある年は成績によって、またある年は経営基盤を理由としたライセンスの存在によって。
しかし「B1必達」を掲げた今年は積極的な補強も功を奏し、リーグ戦は52勝5敗・勝率9割超えという圧倒的な成績で東地区を優勝。プレーオフも順調に駆け上がっていて、Bリーグ参入から5シーズン目にして、悲願のB1昇格、そしてB2優勝をも達成してしまいました。1部リーグで戦うチームが、ついに群馬に誕生したのです。あの群馬に。

そんなサンダーズは、来シーズンからホームタウンを移転することを発表しています。
これまでのホームタウンは群馬県の県庁所在地でもある、人口33万人の前橋市でした。隣接する高崎市と合わせると地域に住む人は70万人に達し、県内最大の都市圏を形成しています。多くの人が集まり、地理的にも県の中心に位置するこの2市に、県内を拠点とするスポーツチームのほぼすべてが集中するのも当然のことでしょう。
そんな中でサンダーズが移転先に選んだのは、もちろん高崎市……ではなく、そこから30km以上離れた、東の外れにある県内第3の都市、太田市でした。

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位置関係はこんな感じ。どちらも市町村合併で市域が広がっているので、感覚的にはこの図以上に、両市の距離は離れている印象です。

太田市の人口は22万人。地域の拠点都市でこそあれ、前橋・高崎に比べれば都市規模として大きく見劣りすることは否めず、つまり、これまでよりも小さな都市への移転ということになります。ここ数年のBリーグにおける本拠地移転が、西宮から神戸・板橋から横浜といった、より大きな都市へ移るものがほとんどであることからも、その特異さが伺えます。

そんな太田市は、私の生まれ育った街。今でこそ首都圏に住んでいるものの、上京までの18年を過ごし、少し前までは頻繁に帰省もしていた、私にとっての第一の故郷です。私にとってみれば、地元中の地元にプロスポーツチームがやってくることになるのです。しかもいま、乗りに乗っているサンダーズが。
サッカーで応援するのは当然ザスパクサツ群馬、バレーボールで気になるのはもちろん群馬銀行グリーンウイングスな私にとって、こんなに嬉しくて楽しみなことはない……はずだったのですが、何なのだろう。嬉しい以上に、よく分からない感情が優先してしまう自分がいるのです。
そりゃもちろん嬉しいですよ。めちゃくちゃ嬉しいんですけど、その嬉しさに実感がなさすぎて、嬉しいより先に「なんだかよく分かんないなあ……」という気持ちが出てしまう。
もっと素直に喜んでいいはずなのに、どうしてこんな感想を抱くのだろう……と考えたとき。その原因のひとつが、県内3番手というポジションから見た、地域と県との距離感の違いなんじゃないかと、ぼんやり思ったりしたのです。

そもそもなぜ、サンダーズがわざわざ今よりも小さい都市に本拠地を移転するのか。一番大きなものはアリーナの存在です。
Bリーグはバスケットボールの観戦環境を、今よりも大幅に充実させることを大きな目標の一つに掲げています。そのため各クラブには、大会のための地味〜な「体育館」ではなく、スポーツ観戦のためにショーアップされた「夢のアリーナ」を確保することが求められています。
先鞭をつけてお披露目された沖縄アリーナを見れば、リーグが求めている「夢のアリーナ」がどんなものかのかが、なんとなく掴めると思います。そしてそれを満たす存在が、まだ日本にはほとんどないということも。

2026年にスタートする新しいB1リーグでは、チームの強さ以上に、こうしたプレー環境や経営面が参入要件として明記されており、地域の拠点となりうる「夢のアリーナ」の存在が、どのクラブにおいても急務となっています。
当然、自前でアリーナを建設できるだけの経営規模を持ったクラブはBリーグには存在せず、つまり、ホームタウンとなる地域や行政との連携が、これまで以上に重要になってきます。

こうした基準を満たすアリーナの建設に太田市が非常に積極的であったことが、サンダーズ移転の大きな決め手になりました。
2月の移転発表から3ヶ月、今月13日の記者会見で構想がお披露目された新アリーナ「OTA ARENA」は、収容人数5000人・1600インチの4面モニターを備えた、(おそらく)文句なしに新B1基準を満たす「夢のアリーナ」でした。これだけのアリーナが、再来年の春にはもう故郷に「ある」というのです。

完成までの暫定的なホームアリーナとなる太田市民体育館は「地元民の試合会場」として何度か足を運んだことがある場所。あの慣れ親しんだ体育館に代わる存在としてこれが建つのだと思うと、それだけで心がどうしようもなく踊ります。しかもそこでトップレベルのプロの試合が定期的に開催されることが約束されているなんて、そんなのアガらないはずがありません。それはもう、去年は返礼品が雑魚すぎて見送ってしまった故郷へのふるさと納税を、今年こそは真剣に検討したいくらいに。
もちろんこれは、ラグビー・トップリーグのパナソニックワイルドナイツが、利根川を挟んだ埼玉県熊谷市に本拠地を移したこととか、一昨年にサンダーズの親会社になったオープンハウスの創業者の縁故地が太田であるとか、そういったこととも無関係ではないかもしれません。ただいずれにしても、サンダーズが上のリーグで戦うため、チームがさらに発展していくためにはアリーナの確保は喫緊の課題であり、それと地域の思惑とががっちりかみ合った結果が、今回のホームタウン移転でした。

関係ないけど、オープンハウスグループのTwitterアカウントがあからさまなサンダーズ贔屓でとてもいいです。もっとやれ。

そんな、税金払いたいくらい舞い上がっているはずの本拠地移転に、どうして微妙な気持ちが拭えないでいるのか。
考えた末に思い当たったのは、県内の第3都市である太田には、今まで「群馬」を冠した、県を代表する存在がなかったからじゃないか、ということでした。前橋・高崎が県内の都市として圧倒的すぎるから、、県を代表するものは全てその2市が吸収してきた。それを当然の感覚として生きてきたから、県を背負うものが地元にある、という感覚を理解できないのです。
そしてそれは、単に県内3番手というポジションの低さに加えて、太田、あるいはそれを含んだ東毛地区という地域の特性にもあるような気がしたのです。

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再掲。

桐生市・太田市以東の地域を含んだ東毛地区は、東は栃木・南は埼玉との県境に接していて、足利や佐野、あるいは熊谷といった他県の都市が近接しています。特に足利・佐野とは「両毛地域」という一体の地域としても呼ばれており、県都である前橋・高崎よりも、経済的・文化的な繋がりが強いとされています。
加えて、本数の少ないローカル線を乗り継がなければ行くことのできない高崎に比べ、東京へは特急一本で出ることができます。車社会の群馬において、鉄道の敷かれ方が持つ影響力は分かりかねますが、お出かけ先としても前橋・高崎より東京が志向されやすい、そんな土地柄です。東毛の中でも東端に位置する館林市や、その周辺の邑楽(おうら)郡を、東京を中心とした関東大都市圏に含むという見方さえあります。あそこが東京?どこが?
なので、もともとこの地域自体が、県都よりも県外に目が向きやすい、そんな地域ではあります。だから「群馬」という存在に対して、県内の他の地域よりも、名目以上の帰属意識が薄いのかもしれません。良くも悪くも扱いが軽いというか。

上京してからぼんやりと感じたのは、「外から語られる「群馬」というものに、自分の地元は含まれていない」という感覚でした。
前にも書いたことがあるけれど、太田や東毛では成り立たないあるあるが、群馬県のあるあるとして語られている。前橋と高崎にしかないものが「群馬の○○」という扱いを受けている。そんなことが何回かあって、大袈裟に言えば「群馬」という言葉自体が「前橋・高崎あたりのこと」と、概ね同義であるとさえ思ったりもしました。あるいは、観光や農業の文脈で触れられる、山間の村か温泉か。私の生まれ育った街は、そのどちらかでさえもありません。
私にとっての「群馬」が、出身地としての記号であることには間違いありません。特に上京したことによって、帰属意識を持つ先として、出身県の存在はこれまで以上の意味を持つことになりました。しかし、その言葉に含まれるニュアンスの半分くらいは、自分とは無関係なところにしか存在しない、地元でありながら客観視されるもの。そういった「名目上の故郷であっても、そこからイメージされるものの実態は離れたところにある」という感覚が、無自覚のうちに自分の中に染み付いていたようなのです。

そんな風に「地元でありながら遠い存在」として、無自覚のうちに突き放していた「群馬」が、サンダーズの移転によって、地元中の地元にやってきてしまう。その大きさにどう向き合っていいか分からないと思う気持ちが、素直に嬉しく思えない、複雑な気持ちの正体だったようです。
ある種遠巻きに眺めるだけだった「群馬」という存在に当事者意識を抱かせる。自分にとってのサンダーズは、そんな装置になるのかもしれません。上京してかなりの時間が経ってから、“地元”の存在が再定義される。そんなことって起こるんだ。

いまにして思えば象徴的だったのが、2013年のザスパ草津の改名です。草津温泉から生まれたサッカークラブは、より県を代表し、県民に愛されるクラブになるために、チーム名を「ザスパ草津」から「ザスパクサツ群馬」に改名しました。

改名には賛否さまざまな意見がありました。そこで語られた理由の中には「群馬」を名乗っていないと営業面で不利、というものもあったとされます。
そうは言っても、草津町にJリーグの試合を開催できる規格のサッカー場はなく、2005年のJリーグの参入当初から、ザスパはずっと前橋のスタジアムを利用してきました。加えて、同じリーグに競合する県内のチームがあるわけでもありません。その名前はどうあれ、チームの実態はずっと前から「群馬のチーム」だったのです。
だから、少なくとも県内向けのアピールとして、チーム名に「群馬」を入れることに大きな意味があるとは、当時の私には思えなかったのです。名前ひとつないというだけで、おらが県のものとして受け入れることもできないのか。なんなら「あれは草津のチームだから」なんて思うほうがよっぽど狭量なんじゃないか。

でもそれは、文字通り県の中心に位置する地域の人と、隅っこで外を向いている太田人との間での、「群馬」を名乗ることに対する重みの違いだったんじゃないか。今回のサンダーズ移転をきっかけに、そんなことを思い始めています。
考えてみれば、私がザスパに対して抱く距離感は、首都圏にいる時と太田に帰省している時とでは、あまり変わっていなかったかもしれません。首都圏にいようが実家にいようが、スタジアムが遠いことには変わりがなくて、だから同じくらいに遠い存在。なんなら新幹線がない分だけ、実家からのほうが心理的距離が遠いことまであり得ます。草津が群馬に変わったところで、その距離感に大した違いはありません。
あの時ザスパが改めて「群馬」を名乗ることに大きな意味を見いだせなかった。それは太田人の冷めた目線のせいだったんじゃないかと思ったりしたのです。

OTA ARENAのPVを実家の両親に見せてみたところ、サッカー派だった父親も、スポーツそのものに興味のなかった母親も、サンダーズに興味を示し始めています。三河ブースターの友人に自慢しなきゃ、とも父は言っていました。
今月リニューアルされた太田駅の観光案内所は当然のようにサンダーズ推しで、垣間見える駅前の風景からも、慣れ親しんだ故郷が少しずつ、スポーツのホームタウン然とした佇まいに変貌しつつあることを感じます。何度も見たはずの風景がクソコラに思える、不思議な感覚です。

新しい店ができた、馴染みのあの店はなくなった。そういった、これまで帰省のたびに感じてきた「小さな気づき」とは全く違うレベルの大きなうねりが、いま、私の故郷に訪れているのかもしれません。次の帰省には、いつもと違う目的が生まれそうです。

ちなみに、ヘッダーは太田市ではなく、東京都大田区の写真です。
「OTA CITY!? 地元じゃん」と思わず撮ってしまった、私にだけ面白いやつ。

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ところで、今回の移転に伴って、将来的にはチーム名を「太田クレインサンダーズ」に改称するのではないか、という噂があるようです。当然古くからのブースターは快く思っていないし、新アリーナ記者会見の中でのチェアマンの「太田市だけではなく群馬県のチーム」という発言は、それに釘を差すようなものだったと邪推することもできるでしょう。
クラブからなんのアナウンスもない中で、どうしてそんな噂が立つのか。それは県都よりも東京への志向が強いように思える地域にあって「『群馬』を名乗ってはこの地域に馴染めない」という思いなのかもしれません。田舎の僻みっぽく裏返せば「『群馬』を名乗る場所として太田は相応しくない」ということでもあり。相応しくない土地の空気を肌身で知る者として、その感覚は分からないでもない。
でも、群馬を代表する存在が県都にだけ存在していなくたっていいと思うし、それを体現する存在が地元にあるなら最高じゃないか。私の中で再定義された「群馬」に対して、最近はそんなことを思い始めています。



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