ベスビオと榛名団と上毛かるたの話

こんなポテトチップスを買った。

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カルビーが2018年に始めた「♥ JPN プロジェクト」。47都道府県、それぞれの地元で愛される味をポテトチップスにして発売しようというもので、私の出身地である群馬県の今年の味は「ベスビオスパゲッティ味」だった。ベスビオスパゲッティというのは、一言で言えば辛口のペスカトーレ。たっぷりの魚介類と辛口のトマトソースがベスビオ火山をも思い起こさせる、群馬県民にとってはお馴染みの味……らしいのだけど。

全然聞いたことがない。ベスビオスパゲッティって、何?

本文の前に

以降の文章の前に、群馬県内の地域区分について説明しておく必要がある。

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(https://jomokrtphoto.blog.fc2.com/blog-entry-687.html より引用・加筆)

群馬県は中毛・西毛・東毛・北毛の4つの地域に区分される。“毛”の字は古墳時代にこの地域が“毛野”と呼ばれていたことに由来するもので、群馬県の別称「上毛」などにもその名残が見られる。このうち、県庁所在地の前橋市は「中毛」に、県庁所在地だと思われている高崎市は「西毛」に含まれている。

また県内に聳える山のうち、赤城山・榛名山・妙義山の三つの山は「上毛三山」として、県民の間で特に親しまれている。このうち、赤城山は概ね東毛・中毛・北毛の境界に、榛名山は北毛と西毛の境界に、そして妙義山は西毛に位置している。

そして私は「東毛」の出身だ。あの館林市を擁し、埼玉県熊谷市とも隣り合っている。夏はクソほど暑いのにそれが何のアピールにもなっていない、そういう場所だ。

シャンゴ

全くの初耳だったベスビオスパゲッティだが、出元がどこであるかは容易に推測できた。きっとシャンゴあたりが発祥なんだろう、と。

群馬県は小麦の生産が盛んで、それを反映してか、いわゆる郷土料理の類にも小麦を使ったものが多いとされている。焼きまんじゅうなどはその最たるものだろう。
その影響かどうかは知らないが、高崎市は人口あたりのパスタ店が全国でも有数の多さだそうで、パスタの街としてプロモーションを展開している。そしてそのパスタが、推し並べて常軌を逸したデカ盛りであるらしい、ということでも知られている。私は高崎のこうした店に足を運んだことがないので、すべて伝聞としてしか知らないのだけど。

シャンゴはそんな高崎に本店を構えるイタリアンレストランの一つ(行ったことはない)。高崎パスタの中でも老舗のひとつで、ロースカツと濃厚なミートソースの「シャンゴ風」スパゲティは、群馬を代表するB級グルメの一つと言われている(食べたことはない)。
群馬のローカルグルメの中でも、シャンゴの存在感は頭一つ抜けている。そのことから、このベスビオスパゲッティというのも、おそらくその絡みなのだろうという推測はできた。
そしてその予想は当たっていた。ベスビオはシャンゴの創業者が開発したとされるメニューで、創業当時からシャンゴ風と人気を二分する定番の味なのだという。現在では周辺の店でも、ベスビオを名乗るパスタを提供することが少なくないのだとか。

こうして、晴れてベスビオの謎は解けた……のだが、微妙にもやもやとした気持ちが残る。
ベスビオを紹介する記事の多くが、「(ベスビオは)群馬県民の間では常識」と語っている。東のはずれで育った私からすると「中心部にしかないものが県民の常識みたいなことを言われても……」と思ってしまうのだけど、シャンゴの店舗があるのは西毛の高崎と、中毛の前橋・伊勢崎。県内でも特に人口の多い地域に店舗が固まっていることから、人口比で考えたときに『常識』という位置づけになるのは仕方ないんだろうけど……でも……うーん……という。
とはいえやはり、自分が知らないものが地元の名物として流布されることには、暗にお前は県民にも含まれないド田舎者だと言われているような、決して文句ではないのだけど、そこはかとなく釈然としないものがある。いや、田舎者であること自体は間違いないんですけども。

ちなみにこれを書くにあたって、家族にベスビオスパゲッティの存在を聞いてみたのだが、実家の両親はいずれも聞いたことがなく、高崎に住む妹だけが「ベスビオよくあるよ!あれローカルなんか!」と言っていた。そういう位置づけなのです、ベスビオ。

運動会の組分け問題

なんだかただの田舎者の愚痴みたいな話になってしまったが、こうした話は別にローカルフードに限ったものでもないと思う。
群馬の「あるある」としてよく言われるものの一つに「小学校の運動会の組分けが山の名前」というものがある。通常は紅組・白組のように色を基準になされるチーム分けが、群馬においては赤城団・榛名団・妙義団の3チームに分けられる、といった具合。山の名前は地域によって一部入れ替わったりするのだという。
私がこの「あるある」の存在を知ったのは上京してからだ。通っていた小学校は紅組と白組の対抗戦だったし、周辺の学校でそういう組分けがされていたという話も聞いたことがなかった。初めて聞いたときにはいかにももっともらしい、そういう嘘なんじゃないかとさえ思ったくらいだ。

この運動会の組分け問題については良い資料がある。2018年の冬コミで頒布された「群馬県における運動会のチーム分けに関する調査 ~榛名団・妙義団のチームカラーについて~」という同人誌だ。これは群馬県内の全ての小学校のWebサイトを訪れ、そこに掲載された運動会のページをチェックし、県内における運動会の組分けと、チームカラーの地域差を明らかにする、というもの。こんなニッチを極めた本が平気で出てくるのだから、情報系同人誌はおもしろくて仕方ない。

この本によれば、運動会の組分けに山の名前を用いている学校の比率が、東毛だけ明らかに低いのだという。ほかの3地区では、組分けを確認できた小学校の過半数が、山の名前をチーム名に冠しているのに対し、東毛地区では山名を使っている学校の数が、色名を使っている学校の半分程度でしか存在しない。この本では、チーム分けが山名であることを前提としたうえで「赤城団のチームカラーはだいたい赤だけど、榛名団と妙義団のチームカラーに傾向はあるか?」という観点から調査をしていたのに、東毛ではそもそもそのパターンに当てはまらない学校の方が多い、という結果が出てしまっている。

あるあるの強度

なぜ東毛の小学校には、運動会のチーム名に山の名前を冠する学校が少ないのか。あくまで推測でしかないが、東毛からは榛名山と妙義山が遠く、中毛や西毛に比べてこれらの山々の存在感が薄いから、という可能性が考えられないだろうか。

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再掲。

この地図を見ると、前橋市や高崎市から見た時に、赤城・榛名・妙義の三山はそれぞれ似たような距離に立地していることがわかる。いずれの山も日々の生活の中で目にすることが多く、身近な存在であることが推測できる。
しかし東毛から見ると、赤城山に比べて他の二山はあまりにも遠い。遠いどころか、開けていない場所では、そもそもこれらの山が見えないことも少なくない。こうした榛名山と妙義山の存在の希薄さが、運動会のチーム名からも山の名前を遠ざけた……と考えるのは飛躍が過ぎるだろうか。

これについても、いずれも東毛出身の両親に話を聞いてみた。するとどちらの出身小学校も、山の名前がチーム名だったそうだ。そしてその頃あったのは、今よりも背の低い建物ばかりだったため、このあたりからも榛名山や妙義山が見えないということは、ほぼなかったのだという。
従って、今よりも榛名や妙義が目に入りやすかった昭和のころは、東毛でも山の名前をチーム名に冠した小学校が今よりも多かったのではないか、というのが、両親の立てた仮説だった。だとすれば、かつては紛れもなく全県的なあるあるネタだったものが、都市化によってその強度を弱めていることになる。しかし『常識』を形作る地域においてはその傾向が変わっていないため、今でも全県的なあるあるネタのような顔をし続けている……みたいなことだろうか。

上毛かるた

ベスビオからずいぶん遠いところに来てしまったが、ここまで書いてきて、ふと気づいたことがある。
すでに述べたとおり、地元にいた頃の私は、すでに榛名山と妙義山には馴染みのない生活を送ってきた。しかしそれでも上毛三山という言葉を知っているし、いずれも有名な山々として、その存在を認識してきた。
では私はこれらの山々をどこで知ったのだったか。おそらくは社会科の副読本に書かれていたのだとは思うが、それよりも先に上毛かるただったのではないか。

なにこれ。

群馬県のキングオブローカルネタと名高い上毛かるた。県内の自然や都市、偉人などに関する情報をかるた形式でコンパクトにまとめたもので、群馬の小学生は通過儀礼として上毛かるたの札を暗記する。

上毛かるたは、群馬の子供たちに、郷土の歴史や文化への理解を深めてもらうことを目的として作られたものだという。冷めた子供だった自分は、かるたで郷土理解が深まるかよと斜に構えていた。けれど結果として、n年が経った今でも、実生活では一切馴染みのなかったはずの山々の存在を、知識として明確に覚えていた。

上毛かるたってすごい。

そういえば

ポテトチップスは美味しかったです。何の思い出も蘇りませんでしたが。

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