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新しい天と地

イエスさまのご受難を覚え、受難節の日々を過ごしています。
センター北教会では、以前牧師をされていた小泉健先生の
『十字架への道 受難節の黙想と祈り』を用いて祈っています。

中高科の分級でも、毎週プリントにして、受難節の祈りに用いています。

3/3は、ヨハネの黙示録の御言葉を聴きます。

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ヨハネの黙示録 21:3~4
そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。
「見よ、神の幕屋が人の間にあって、
神が人と共に住み、人は神の民となる。
神は自ら人と共にいて、その神となり、
彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。
もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。
最初のものは過ぎ去ったからである。」

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分厚い聖書ですが、今日はほとんど最後のところです。
聖書の最初を読むと、神さまがわたしたち人間を、御自身に似せてつくられたところから始まります。

神さまは、わたしたち人間に、語りかけ、答えることを望んで、つくられた。
神さまは人が一人でいると良くないと、助け合う人を与えて下さった。
その人と人が争い合い、自分のことばかりで、神さまの言葉を聞かなかった。
助け合うはずの人が、憎しみあい、傷つけあうようになってしまった。
どうしても自分とまわりの人を比べてしまって、自分にないものを持っていると欲しくなる。そこから憎しみや、心が悪い方に変わってしまう。
そんな自分のことばかり考えるわたしたちのために、神さまはイエスさまを送ってくださった。そして、わたしたちを変えるために、十字架について死なれ、復活されました。復活したイエスさまが天にのぼられると、不安になった教会の人たちに、ヨハネさんは手紙を書きました。それが黙示録です。

イエスさまは、天にのばる前に、もう一度来ると約束してくださった。
そのときが新しい天と地が来るときです。
わたしたちも、神さまだけを見て生きて行くことができるのです。

ヨハネの黙示録の一番最後はこう書いてあります。主よ、来てください。
マラナタ。
「然り、わたしはすぐに来る。」アーメン、主イエスよ、来てください。
主イエスの恵みが、すべての者と共にあるように。