オンライン授業ときらいなものについて

こんばんは。わたしです。

昨今のコロナ禍で、日本語教育関係者もオンライン授業を余儀なくされるケースが多く見られます。

わたしはというと、コロナ騒動以前(2018年1月)からすでにオンライン日本語教室でのレッスンを担当していたため、わりと抵抗なくすんなりと受け入れられたほうだと思います。(緊急事態宣言発令中には、アナログな日本語の先生仲間をネット上に集めてzoomの使い方講座を週20回以上開催。楽しかったなあ)

SNSなどで色々な教育現場の意見を見ていると、オンライン授業推進派と慎重派に分かれているのも事実。これについては全くしかたがない。価値観の問題です。

ただ、たまに見かけるのは「急進的慎重派(日本語がおかしい)」のかたがた。「オンライン教育なんてもってのほか」「紙とペンに勝るものなどない」「オンラインなんぞを推奨する輩は、今後一切紙とペンを使うな」などという言葉を目にすることもあります。

ICT教育に親でも殺されたん?

もちろんわたしも、対面授業に勝るものはないと思っているし、コロナが終わったら今すぐにでも学生にハグしに行きたいくらいの対面授業派です。

しかし、世界の多様化にくわえてのこの非常事態。リモートスキルを身につけておくことは必ずしも無駄ではないのでしょうか。

現に、前述の「zoom使い方講座」の参加者はほとんどが自称アナログ人間という皆さん。中には「インターネットを使って授業……ネットではコロナはうつらないのかしら?」という心配をされる方もいらっしゃいました。自分自身がデジタルネイティブ世代……よりは上ですが、そんな環境だったので正直驚きました。

ただ、そんな「アナログな人」も1か月もすれば自分でzoom会議を主催できるほどに成長していました。これも驚きでしたね。人間、学ぶ気持ちがあればいつからだってどんなレベルからだって学ぶことができる。

しかし、「ICTに親でも殺された」ような人の気持ちもわからんでもないんです。

わたしは「プロ野球」が嫌いです。親でも殺されたんかって聞かれるレベルで嫌いです。

広島出身の両親を持ち、親戚一族郎党あげてのカープ狂。野球中継を見ながら人が変わったように叫ぶ大人たち。カープが負けると不機嫌になる大人たち。子どもは別室で遊んでなさいと言ってくれるかと思いきや、一緒に遊べる歳の子どもももれなくカープ狂。わたしの真意など知らず全く悪気のない祖母から「あんたもカープ馬鹿?」と言われたときに、必要以上に拒絶してしまったのを覚えています。

何か特別嫌なことがあったわけでもない。でも、長年の蓄積によっていわばアレルギーのように嫌悪感が溢れます。先の「ICT急進的慎重派」の方も、過去に小さな蓄積があったのではないでしょうかね。

とてもいいもの・好きなものを人にアピールしすぎると、その人が私の大好きなものを大嫌いになってしまう可能性がある。

これを肝に銘じて、日々を過ごしています。

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