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【芸術な世界】君はどう生きるか

以前、人間は今まで築き上げてきた広範な知見の全てを理解することは不可能であること、そして命題を証明する上でその根拠の説明を完全に行うことは不可能であることから論文を記述することは無限の循環の最中にあるということを示した文章を書いたことがあります。

不確定性原理の存在から過去、未来のことを推測する必要が論理的にはないことがわかると思いますが、それ以前に現在の目の前で起きている現象すらも我々には説明のしようがありません。

いわば現代に生きる我々は自然科学的に盲目状態なのです。


しかし例えば我々の知り得もしない情報を握っている何ががあると仮定することはできます。

仮定することは即ち信じることでもあります。

背理法という証明方法がありますが、これは示したい命題の否定が真であると仮定することによる矛盾から元の命題を証明するという形をとります。

つまり誤ったことを信じることで矛盾を見出し、正しいことを証明するわけですね。

真理を掴むことは出来ないにしても、真実であると信じる力は人には誰にでもあります。これは当たり前のようでいてとても素晴らしいことです。

よく聞く話ですが、どんな薬を施しても治らなかった病気を患った人が、治ってもないのに医者に「もうあなたの体に異常はないですよ」と言われて本当に治ってしまったことがあったらしいです。

患者が治ったと信じることでそれが現実になりました。

また善悪は他として宗教団体のもとで動く人たちはやはり信仰心より行動力を得ています。

真理をやたら求めたがるのは人の常だとは思います。しかしながらそれが偽りだとわかった上でも信じることで未来の可能性を切り開いていけると私は信じています。

そして用意された偽りを破ろうとするのは最も恐ろしい行為の一つであるということを我々は自覚しなければなりません。


私はよく芸術鑑賞をするのですが、その間私の目に見えているもの、耳で聴こえるものは全てまやかし、幻想だとさえ思っています。

例えば音楽でいうと、楽曲を聞いていて私はとても心を動かされたり時には涙を流したりするのですが、楽曲はもとより音の振動の連続です。

人間が勝手に「明るい曲」「暗い曲」「楽しい曲」「悲しい曲」と判断しているだけで、もとの一音一音、または空気の揺れには楽しさも悲しさも明暗も存在しません。

ですがそれを暴いてしまうと二度と音楽として聴くことは出来なくなり、ただの音の羅列になってしまいます。

絵画で言うなら材質やドット、文学で言うなら文字や言葉。

それら全てが一致団結して人間の感覚を騙している、つまり嘘をついているわけです。

しかもそれは芸術的で美しい。恐ろしいことだと思いませんか。

人間は何かに幻想を見せられながら生きており、その幻想を暴くことは物理的には出来ません。

さらに人間が作った芸術という名の幻想も理解してはなりません。

全ては世界の環の中で管理されているのです。

もはや世界は人間以外の誰かが創った芸術とも言えましょう。

──クロード・ドビュッシー「芸術とは最も美しい嘘である」に関する個人的な考察

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