フォルテピアノ奏者として“も”

留学一年目が無事に終わりました。ベルギーの音楽院では基本的に専攻を変えての院進ができないので、1年でBachlorを終わらせようコースなるものがあってそこに在籍しておりまして、30歳も目前に控えた今になってまた学士か?って感じもしますが、ともかくようやく試験が終わってフォルテピアノ科の学士課程を卒業して、卒業証明をたった今もらいました。
また学歴がややこしくなりました!おめでとう!

人はいつからその楽器のプロを名乗っていいのでしょうか?プロかプロじゃないかの境目は?楽器を2つ以上演奏する人のアイデンティティは?

私は高校大学とピアノ科にいて、修士はチェンバロ科に行き、学部では副科でオルガンを2年、院のときはフォルテピアノも1年勉強しました。クラヴィコードも頑張りました。そのあと3年半のフリーランス生活ではどういうわけかほとんどポジティフオルガンを弾いていて、たまに思い出したかのようにチェンバロを弾くことがあり、週末に合唱団の練習に伴奏に行く時はピアノを弾いたりしていましたが、実のところ私のアイデンティティというか、私がプロとして名乗れると自信を持って言えるのはチェンバロだけでした。次点でオルガンで弾くコンティヌオ業。でも足鍵盤を手鍵盤と同じレベルで扱えるレベルには至っていないし、ロマン派以降のレパートリーもあまり勉強できなかったから、オルガニストと名乗ることは絶対にできませんし、していません。あくまで手鍵盤限定のコンティヌオプレーヤー。

学歴だけ見ると、ピアノ科出たやん、って感じじゃないですか。私も思いますよ笑。でも私は大学を出るまでほぼ20年近くピアノを勉強したからこそ、高校大学と7年間もピアノがうますぎる同期たちに囲まれたからこそ、自分は“ピアニスト”を名乗れるほどにはピアノが上手ではないし、ピアノという楽器を仕事にできるほど優秀な人間ではない、という自己認識に至りました。4歳からコンクールに出て、大学を卒業するまでずっとピアノで採点され続けますからね、自分にはピアニストとしての素質がない、ということに気付くにはあまりにも環境が整いすぎていました。
伴奏にはそれなりに周りから良い評価をいただいたこともあったと思いますけど、ソロはもうまるでダメでしたね。あとまあ今思えばそれほどピアノという楽器もそれに付随するレパートリーもそんなに好きじゃなかったと思います。

ピアニストとしての才能がなかったからこそ、チェンバロ(というより実際はコンティヌオ)の沼にハマったとき、これを仕事にしたいと強く思いました。だからか、コンティヌオの勉強を始めてから仕事としてお金をいただけるようになるまでっていうのはものすごく短かったと思います。大学3年くらいからコンティヌオを弾くお仕事をちょこちょこいただいていたのですが、実際はほとんど独学に毛が生えた程度のものだったので、むしろ謝礼なぞいただいてすみません、と思っていまして、早くチェンバロ奏者と名乗りたくて、チェンバロのプロだと自称してよくなりたくて、それでチェンバロ科に行きました。ようやくチェンバロ科に入ったときは「これでチェンバロ弾きと名乗ってももう怒られないのかな。でもまだ勉強中だしな」とか思っていました。
はじめてチェンバリストだと名乗ったときは、もう院も2年目になるころだったと思います。プロフィールの提出を求められて、自分で「チェンバリスト」と書き込んだときは、【ついに…やってもた…】がたぶん勝っていたと思います。笑
院3年目のころには、明らかにピアノよりチェンバロのほうが“弾ける”ようになっていました。この時には自信を持ってプロのチェンバロ奏者を自称していました。と同時にフォルテピアノの勉強を始めて、これはどこまで弾けたら弾けると名乗っていいのか?というまた新しい壁にぶち当たることになりました。落ち着かない人生だな。とはいえフォルテピアノもたった1年の副科生活で仕事にできるほど甘い楽器じゃないので、プロフィールの文字数指定があってメガ盛りにしなきゃいけないとき以外はフォルテピアノを勉強したことを書くだけになっていました。

さて2022年の9月にベルギーに来てフォルテピアノ専攻生生活が始まって、笑っちゃうくらい厳しい毎週のレッスン、コンティヌオならもっとアンサンブルできるんだけどなと思って惨めな思いをしながらこなした合わせの数々、ほとんど毎度泣きながらやったマスタークラスやコンクールのためのたくさんの録音、そして年度末の公開試験with身の丈にあってないプログラム笑…とまあ、追い込まれすぎて精神がぶっ壊れそうな一年ではあったのですが、同時に「頑張った!」と胸を張れる一年でもありました。
そんな一年の締めくくりの公開試験ではモーツァルトのファンタジーc minor(の有名じゃないほう)とシューマンの謝肉祭を弾きました。Twitterにも書いたけど謝肉祭は本当に因縁というかなんというか、高校の一番大きい試験、大学の卒業試験と2回チャレンジして諦めた曲だったから、18歳っていう一番指が回るタイミングに技術面で諦めた曲を、指の作りが完全にチェンバロ向きになったあとのでやるのはちょっと無茶では?と思っていたので、満足いく演奏ができて、いい評価ももらって(なんらかの賞をいただきました!)、一年間しごきまくってくれた先生に「こんなシューマンはなかなか聴けるものではない!」とまで言っていただいて、それを聴いてようやく、フォルテピアノ奏者として名乗っていいなってなりました。まあ審査員の先生がたから褒められたのはシューマンだけで、モーツァルトはなかなかな酷評もいただいたりしたので、古典派が弾けるフォルテピアノ奏者を私が名乗れるのはまだまだ先なのかもしれません。いやふつう逆〜〜〜。笑

私にとっては、まずピアノを長くやっていてピアノのプロになるために芸大に行って卒業して、自己認識はともかくとして、周りはそういう経歴の人をプロと呼ぶので、自分がチェンバロ奏者と名乗れるようになるには、少なくとも自分のピアノ力を超えなくては、思っていました。だからチェンバロ奏者と名乗れるようになるまで時間がかかりました。フォルテピアノも同様です。チェンバロ力とフォルテピアノ力だったらまだ前者のほうが圧倒的にやれることも多いのですが、ピアノ力と比べたらまあいい具合かなと思うので、だから私はフォルテピアノ奏者をこれから名乗っていきます。
あともうひとつ、その楽器のプロとして自分が名乗っていいか考えるとき、私は「その楽器を弾くことでお客さまからお金をいただいていいのか」というのを基準にしていました。日独翻訳の専門家が、ドイツ語とオランダ語は似てるからいけるやろって日蘭翻訳しないのと同じ感じ?眼科医はきっと親知らずの手術をしないだろうし、電車の運転手は飛行機を操縦しないだろうし。だから私は新しい楽器をやるときには、楽器をただ弾くだけじゃなくて、スタイルなどを含めた楽器を取り巻くものをちゃんと勉強/練習/習得して、自分はそれのプロを名乗っていいと思えるようになってからちゃんとコンサートでお客さまからお代をいただきたいなって思うのです。

というわけで次に日本語で発行されるチラシのプロフィールにはフォルテピアノ奏者、とも書かれているかもです、ふふふ。

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