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褒められるって難しい

生活や仕事の中でふと誰かに褒められた時、なぜか素直に受け止められないことはないですか?自分は結構あります。笑 

そして誰かを褒める時にも、自分としては褒めたつもりだったのに「思ってないこと言わんで」とかなんとなく褒めたことを受け止めてもらえなかったことも思い返すとありました。

とはいえ褒めてもらってるのは事実だし、せっかく伝えてくれているのだから気持ちよく受け止めたい。ちゃんと褒められたと喜びたい。笑 最近、自分自身が同じような経験をして、これが原因じゃないかなと思ったものを言語化してみます。

褒められたことが自分の認識とずれている

褒められたたことを素直に受け止められない時は、大概「自分はそこまで言われる程でもない」的な感情になってる場合が多いのかなと思います。例えばの話ですが、僕は容姿に自信があるわけでもないので、「〜〜ってかっこいいよね」とか言われようものなら、即座に身構えます。こいつは何を求めているのかと。笑

単純な話ですが、「自分にとって自信があること」を褒められた時は嬉しい場合が多いと思います。褒められるくらいには、自分も認めていることだから。僕はバスケが大好きなので、「〜〜バスケって詳しいよね」と言われると、自信を持って「そう、詳しいのよ!」と言います。バスケと容姿との褒められた際の違いは、相手と自分の認識にズレがあるかどうかでしかないんですよね。要は、自分が思ってもいないことを褒められると、受け止められなくなるんじゃないか。

自分と相手のモノサシが違えば、認識もズレる

では、なぜ認識がズレるのか。相手と自分のモノサシが違うからではないでしょうか。好きな食べ物や好きな色が人それぞれなように、誰かのことを「すごい!」と思うタイミングや観点も人によって様々です。

相手がただ茶化して褒めてきている場合は置いといて、自分が思ってもいなかったことを褒められた時は、相手のモノサシを意識してみると受け止めやすくなる気がします。

例えば、仕事で「〇〇さんすごいね!」とAさんに言われて、自分は「この程度のことでなんで?バカにされてる?」と思ったとしましょう。この場合大切なのは、自分がその仕事を「すごい」と思うかではなく、Aさんがなぜ「すごい」と思ったかです。Aさんにとってその仕事は苦手な分野で、自分にとっては得意な分野だったら、Aさんがすごいと思うのも自然なことではないでしょうか。

「褒めてくれたこと」を正当に受け止める

褒められたことをただ鵜呑みにしてしまうのは、すぐ自惚れてしまう気がするので避けているのですが笑、とは言え褒めてくれた事実はちゃんと噛み締めたい。

そのためにも、褒めてくれた相手が、なぜ褒めてくれたのかをちょっとだけ深掘ってみるのが理想だと思ってます。「かっこいい」ならどこがかっこいいと思ったのか。「仕事がすごい」ならなぜすごいと思ったのか。聞くのは気が引けるかもしれませんが、聞かなくても「この人のモノサシは何だろう」と考えてみるだけで、褒めてくれたことを受け止めやすくなる気がします。ぜひ「え、そんなことないよ」と思った瞬間、やってみてください。

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