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[翻訳#3]キャサリン・マンスフィールド「サンとムーン」(1920)

サンとムーン

(1922)
キャサリン・マンスフィールド


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午後になると、イスが運ばれてきた――金色の小さいのが大きなカート一杯に積み込まれて、脚をぜんぶ上に向けて。それから今度は花が運ばれてきた。運び入れる人たちをバルコニーから見下ろしていると、花の鉢はまるで、風変わりでひどく素敵な帽子の一団がこくりこくりと頷きながら進んで行っているように見える。

ムーンは、あれは帽子なんだと思った。彼女はこんなふうに言った、「みて。あそこのおとこのひとはヤシをあたまにのっけてる」。けれども彼女は、本物とそうでないものとの区別がまるでついていない。

サンとムーンの面倒を見ている者はいなかった。子守りはと言えば、アニーを手伝っていて、母親のドレスを、つまり、丈は長すぎ、腕の下のところは詰まりすぎている母親のドレスの直しをしていたし、母親の方は家中を駆けずり回りながら、父親に電話を掛けては万事忘れていることはないかということに気を配っていた。母親に暇があるとすれば、せいぜい「そこをどいてちょうだい、子供たち!」と声を掛けるくらいのものだった。

2人は母親の動線の邪魔にならないようにしていた――とにかく、サンはそうしていた。そうしていた、というのも、彼は子供部屋に押し戻されるのが嫌だったからである。ムーンのことは、気にも留められていなかった。彼女が人の足に絡まってしまった時には、ただ足ごと振り上げて、彼女がきゃっきゃっと声を上げるまで揺さぶってやればいいだけのことである。けれど、サンは重すぎてそんなふうにしてやれない。あまりに重いものだから、日曜ごとに夕食に訪れる太った男の人はよくこんなふうに言ったものである、「さて、ぼうや、君を持ち上げてみよう」。そしてサンの両腕の下のあたりにそれぞれ親指を差し入れて、うめくような声を出しながら持ち上げようとした末、とうとう諦めて最後に「この子はまったく、ちょっとしたレンガの塊くらいに重いね」と言った。

ほとんど全部の家具がダイニングルームから運び出された。大きなピアノが部屋の一角に置かれ、そこに鉢花が列をなして運び込まれ、それから一揃いの金色のイスが運び入れられた。演奏会のためである。サンが中を覗くと、白い顔をした男の人がピアノのところに座っていて――弾いてはいない、けれど、ばんばんと叩きつけるようにしてから中を覗き込んでいる。この男の人はピアノの上に道具入れの鞄を置き、壁のそばに置かれた像の上に自分の帽子を引っ掛けていた。それでときどきピアノを弾き出しては勢いよく立ち上がって中を覗き込んだりしている。サンは、あの人が「エンソウカイ」じゃなければいいなと思った。

ところで、そうはしていても、やっぱり行くべきところはキッチンであった。そこでは、ブラマンジェのような縁なし帽を被った男の人が何やら作業を手伝っていて、本当の料理人の方、ミニーは顔中を真っ赤にして大笑いしている。不機嫌な様子は微塵もない。彼女は子供たちにアーモンドフィンガーを1つずつあげると、2人を小麦の容器の上に載せて、夕食用に彼女とさっきの男の人とで作っていた素晴らしい料理の数々を眺められるようにしてやった。料理人が色々なものを持ってくると、男の人がそれを皿に盛り付け、見栄えを整えてゆく。何尾もの丸ごとの魚、頭も目も尾もまだついているやつに男の人が赤や緑や黄色の小さなかけらを振りかけ、いくつものゼリーに波のような線を描きつけ、ハムにカラーをつけてとっても薄っぺらいフォークみたいなものをそこに差し込み、クリームの上にアーモンドや小さな丸いビスケットを散らしたりしていた。それだけじゃない、まだまだ色んなものがやって来る。

「あら、まだアイスプディングを見ていないでしょう」と、料理人が言った。「さあ、いらっしゃい」。どうしてこんなに優しくしてくれるんだろうかと、サンは、彼女が2人に片手ずつを差し出してくれたときに思った。それから2人は冷蔵庫の中を見せてもらった。

あー! あー! あー! そこには小さなお家があった。ピンク色の小さなお家で、屋根の上には雪が積もり、緑色の窓と茶色のドアがつけられていて、ドアの取手にナッツが1粒。

サンはそのナッツを目にすると、ひどくぐったりと疲れたようになって料理人にもたれかからずにいられないほどだった。

「さわらせて。ちょっとだけ、やねのところをゆびでさわらせて」と、ムーンが小躍りしながら言った。彼女はあらゆる食べ物に触ってみたいのである。サンはそうじゃない。

「さあさあ、テーブルの支度にはきちんと気を配ってちょうだいね」と、料理人はお手伝いさんが入って来るなり言った。

「もう完璧ですよ、ミン」と、ネリーが答えた。「ちょっと来てみてご覧なさいよ」。それでみんなでダイニングルームへと向かった。サンとムーンはなんだか怖いような気がしていた。だから最初はテーブルのところまで行かずに、ドアのそばに立ってそちらへと目を向けるだけだった。

まだ本当の夜ではなかったけれど、ダイニングルームのブラインドは下ろされ、明かりが点けられていて――その明かりがぜんぶ真っ赤なバラ色をしていた。赤いリボン飾りと沢山のバラの花とがテーブルのそれぞれの角に括り付けられていた。真ん中のところは湖になっていて、バラの花びらが浮かべてある。

「あそこにアイスプディングを置くんですよ」と、料理人が言った。

翼のある銀色のライオンが2頭、それぞれ背中に果物を載せていて、塩入れは水盤から水を飲む小鳥の形をしていた。

きらきらと輝くグラス、ぴかぴかの皿、光を反射させるナイフとフォークの数々と、いろんな料理。それに小さな赤いナプキンはバラの形に折りたたまれている……。

「みんな、このりょうりを食べるの?」と、サンが訊いた。

「もちろん、そうだと思いますよ」と、料理人は答えて、ネリーと2人で笑った。それでムーンも笑った、彼女はいつも他の人がするのと同じようにした。けれども、サンは笑いたくなかった。彼は両手を背中で組むようにしてうろうろとその辺を歩き回っていた。ふいに子守りからこんな声が掛からなかったら、きっといつまでも立ち止まろうとしなかったかもしれない、つまり、「さあ、そろそろですよ、子供たち。もうきれいにして着替える時間ですよ」と。それで2人は子供部屋に連れて行かれた。

2人が服を脱がされていると、母親が部屋のようすを見に来たのだけれど、その肩には何か白いものが掛けられていて、顔に塗った何かをこすっている途中らしかった。

「子供たちに来てもらいたいときにはベルで合図をするわね、そうしたら、下にちょっとよこして、皆さんに顔を見せてしまったらもう戻ってきて構わないから」と、彼女は言った。

サンは、一旦はほとんど丸裸になるみたいにすっかり服を脱がされて、それからまた服を着せられた、赤や白のデイジーが散りばめられた白いシャツに、脇にヒモのついたズボンを履かされ、ズボン吊りをつけられ、白い靴下に赤い靴といういでたちである。「さあ、ロシアの衣装が着られましたよ」と、子守りがフリンジをきれいにならすようにしながら言った。

「そうなの?」と、サン。

「そうですよ。さあ、そこのイスに座って大人しくして、妹を見ていてくださいね」

ムーンにはさんざん時間がかかった。靴下を履くとなれば、彼女はベッドの上で後ろに倒れるふりをして、いつものように子守りに向かって両足をばたばたとしてみせるし、子守りが指だの濡れたブラシだので髪の巻毛を整えようとすれば、そのたびに後ろを振り向いてブローチの写真か何かを見せてくれとせがむのである。けれどもとうとう彼女の身支度も終わった。彼女のドレスはボリュームがあって、ファーがついていて、全部が白で統一されていたし、ズロースには両脚にふわふわしたものまでついていた。靴は白で、大きなポンポン飾りがついている。

「さあできましたよ、お嬢さん」と、子守りが言った。「まあ、まるでパウダーパフの図柄そっくりの、ちっちゃなかわいらしい天使みたいじゃないかしら?」。子守りはドアのところまで駆けていった。「奥様、ちょっといらっしゃって」

母親が再びやって来ると、その髪はまだ半分が結われずに下ろされたままである。

「まあ」と、彼女は声を上げた。「なんてかわいらしいの!」

「そうでございましょう」と、子守りが言った。

ムーンはスカートをつまみ上げるようにして、もたもたと歩いていた。サンはみんなの注意が自分に向けられていなくても別に気にしていない――まあ、それほどには……。

2人がテーブルのところでお行儀の良い遊びをしている間、子守りは戸口に立っていたが、そのうち、馬車が次々に到着し始め、階下から笑い声や話し声、衣擦れの音なんかが聞こえてくると、こう小声で言った。「さあさあ、子どもたち、そこで大人しくしているんですよ」。ムーンがテーブルクロスをぐいぐいと引っ張り続けたものだから、布は彼女の側から全部ずり落ち、サンの側には何もなくなってしまった――それで、ムーンはわざとやったんじゃないという顔を見せていた。

そしてとうとう合図のベルが鳴らされた。子守りはさっと2人の支度に取り掛かり、髪にブラシを当て、サンのフリンジを整え、ムーンのリボンをまっすぐにして、2人に手を繋がせた。

「さあ、降りてらっしゃい!」と、彼女は囁き掛けた。

それで2人は下へと向かった。サンはこんなふうにムーンの手を握っているなんて馬鹿みたいだと思ったけれど、ムーンはとても気に入っているらしかった。彼女が腕を揺らすと、サンゴのブレスレットにつけられたベルがちりんちりんと音を立てた。

応接間では、母親がドアのところに立ち、黒い扇子で顔に風を送っていた。応接間はいっぱいに甘い匂いが漂っていて、洗練された装いで衣擦れの音をさせている女の人たちに、男の人が着ている黒い服の上着にはおかしなしっぽがついている――まるでカブトムシみたい。お父さんはその中にいて、とっても大きな声で話しながら、ポケットの中でカチカチと何か音をさせている。

「まあ、なんて素敵なのかしら!」。女性たちが口々に言う。「ああ、おチビちゃんたち! ああ、かわいらしいったら! ああ、愛くるしいったら! ああ、愛おしいったら!」

ムーンのところまで辿り着けない人たちはみんなサンに口づけをして、中でもほっそりとした高齢の女性なんかは歯をかたつかせながら、「なんてまあ、本当にかわいらしいお坊ちゃんだこと」と言って、なんだか固いものでサンの頭のところを包み込んだ。

サンは向こうを見やってさっきのエンソウカイはいないかと探したけれど、もう姿はなかった。そのかわりに、ほんのり赤ら顔をした太った男の人が前のめりになりながら、ピアノのこちら側で耳元にバイオリンを掲げた女の人と話をしている。

たった1人だけ、サンのお気に入りがいた。それは灰色をした背の低い男の人で、灰色の長い頬髭をたくわえていて、独りで歩き回っていた。この人物はサンのところまで来ると、とっても素敵な感じに目を見張って、「やあ、こんにちは、ボク」と言った。けれど、それからまたどこかへ行ってしまって、サンは彼の姿をどこまでもずっと追いかけていたけれど、とうとう見失ってしまった。きっと外に仔犬を連れに行ったんじゃないかしらと思った。

「おやすみなさい、かわいい子たち」。母親は露わになった腕で2人を抱き上げながら言った。「さあ、上の素敵な寝床まで飛んでいらっしゃい」

すると、ムーンは向こうに行ってしまって、また馬鹿みたいなことをしだした。みんなの前で両腕を上に向けて差し出すと、こう言ったのである。「パパが運んで行ってくれなくちゃ」

だけどみんなはこれを気に入ったみたいだったし、父親もすぐに飛んできて、いつもするように彼女を抱え上げてやった。

子守は2人を大急ぎで寝かしつけにかかり、急ぐあまりにサンのお祈りの途中に割り込んで、こんなふうに言った。「ぐずぐずしないんですよ、さあさあ」。2人がベッドに入ると、真っ暗にされた中、灯された明かりだけが小さな受け皿の上で光っていた。

「もうねむったの?」と、ムーンが訊いた。

「眠ってない」と、サン。「そっちは?」

「ねむってない」と、ムーン。

しばらくたって、サンは再び目を覚ました。階下から盛大な拍手の音が聞こえてきてうるさく響いたのである、まるで雨がざあっとばかりに降り出したみたいに。ムーンが寝返りをうったのが聞こえた。

「ムーン、起きてる?」

「うん、おにいちゃんは?」

「起きてる。ねえ、階段のところまで行ってようすを見てこよう」

2人が階段の1番上の段のところまで来たとき、応接間のドアが開くと、中からがやがやと人が出てきてホールを抜け、ダイニングルームの方へと入って行くのが聞こえた。そしてドアが閉められると、今度は「ポン」と弾けるような音と笑い声がした。そしてそれが止むと、サンの目には、みんなが後ろ手に手を組みながら素敵に飾り立てられたテーブルのまわりをうろうろと歩き回る姿が映った、ちょうど彼がさっきまでやっていたみたいに……。ぐるぐると歩き回りながら、あたりを見まわしたり、何かにじっと見入ったりしている。灰色の顎髭の男の人は、あの小さなお家のことが1番に気に入ったみたいだった。彼はナッツでできたドアの取手に気が付くと、前にやったみたいに目を見張って、それからサンにこう言った。「あのナッツを見たかい?」

「そんなふうにうなずいたりしちゃだめなんだよ、ムーン」

「うなずいてない。おにいちゃんがやった」

「ぼくじゃない。ぼくは絶対にうなずいたりしない」

「あーあ、やっているもの。ほらいまもうなずいてるよ」

「やってない。これは、こんなふうにやっちゃだめなんだって見せているだけ」

2人がもういちど目を覚ましたときに耳に入ってきたのは、ただとても大きな父親の声と、母親が上げた笑い声だった。父親はダイニングルームから出てくると、階段を駆け上がってきて、あやうく子供たちに躓きかけた。

「やあ!」と、父親。「なんだい、キティ、ちょっとこっちに来てみてごらんよ」

母親も部屋を出てきた。「まあ、悪い子たちね」と、ホールのところから見て言った。

「ねえ、そっちに連れて行って、美味しいものを食べさせてやろうか」と、父親は言った。サンはこれほど機嫌のいい父親は見たことがなかった。

「いいえ、もちろんだめよ」と、母親。

「ああ、パパ、おねがい! つれてって、ねえ」と、ムーン。

「放っておいたら、僕が酷い目に遭わされるよ」と、父親が大声で言った。「そんなのは困るな。キティ、そっちへ行くよ」。父親は2人を両脇に抱え上げた。

サンは、きっと母親がひどく腹を立てているんじゃないかと思った。けれど、ちっとも。彼女は父親に目をやったまま笑っていた。

「まったく、いたずらね!」と母親。でも、これはサンのことを言ったんじゃない。

「さあ、おいで、2人とも。あっちで何か少しつまんできたらいい」と、楽しげな父親が言った。けれど、ムーンはちょっと立ち止まった。

「ママ、そのドレス、かたほうだけぬげているよ」

「そう?」と、母親。すると、父親が「そうだよ」と言ってその白い肩にかみつくようなふりをして見せ、母親はそれを押し除けた。

そんなふうにしながら、連れ立って美しいダイニングルームへと戻っていった。

だけど――ああ! ああ! いったい何が起こったっていうんだろう。リボン飾りも、バラの花も、ぜんぶ引き剥がされていた。小さな赤いテーブルナプキンは床の上に落とされ、ぴかぴかだった食器もみんな汚されているし、きらきら輝いていたはずのグラスも残らずそんなありさま。あの男の人が飾り付けていた素敵な料理もすっかり食い散らかされ、骨だの、食べくずだの、果物の皮や貝殻だのがそこらじゅうに散らばっている。飲み物のボトルも横倒しになって中身が溢れているというのに、誰もそれを起こしてやろうとさえしない。

それからあの、雪の載った屋根に緑の窓の小さなピンク色のお家はすっかり壊れてしまっていた――そう壊れて――テーブルの中央で半分溶けてしまっている。

「さあ、おいで、サン」と、まるで気がつきもしないそぶりで父親は言った。

ムーンはパジャマの裾を持ち上げてテーブルのそばに寄って行くと、イスの上に立ち、キーキーと高い声を上げ出した。

「このアイスをちょっと取ってやろう」と言って、父親は屋根をさらに少し崩した。

母親は小さな皿を取ってよこしながら、その反対の手を父親の首に回した。

「パパ、パパ」と、ムーンは金切り声を上げた。「あのちっちゃなとってがある。ちっちゃなナッツ。あれ、たべてもいい?」。彼女は手を伸ばしてそれをドアのところから取り上げ、バリバリと強く噛み砕きながら、目をぱちくりさせていた。

「さあ、きみ、お食べ」と、父親が言った。

けれども、サンはドアのところから動こうとしなかった。そして突然、顔を上げると、とても大きな声を上げて泣き始めたのである。

「なんて、ひどい……ひどい……ひどいことしたの!」。そう言って泣きじゃくった。

「ほら、ごらんなさい!」と、母親。「だから言ったでしょう!」

「もう戻りなさい」と、父親が言った、楽しい気分はすっかり消え失せていた。「今すぐにだ。行きなさい!」

そしてますます大きな泣き声を上げながら、サンはとぼとぼと子供部屋へと戻っていった。


底本

底本:Project Gutenberg所収『Bliss, and Other Stories』(1920)所載「Sun and Moon
著者:Katherine Mansfield


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