このままでいいのかなと思ってきたけど、もう諦めた

以前働いていたパート先で
少し年上の同僚の方が言っていた言葉を
時々思い出す。
「このままでいいのかなと思ってきたけど
もう諦めたわ」と。
何気ない会話で発された言葉だった。

その人は私より2歳くらい年上。
私も50代に突入寸前のパート主婦。
子供は大きくなり
無我夢中の子育てから少し落ち着いて
自分のこれからのことに目を向けだした頃。

まさに私は自分はこのままでいいのかと
自問自答し、いや何かあるはず
何かしなくてはと少し焦りもあった頃だったのでその言葉が何だか妙に心に刺さった。

何が刺さったのかと考えてみると
このままでいいのかなと思っているのは
私だけではないんだということ。
そしてそれを諦めてしまったということ。
私もそうなるのかなと落胆に近いような
はっとするようなそんな気持ちになった。

なぜそんなに刺さったのだろうと
ずっと頭に残っていたので
自分の考えを整理してみたくなった。

今までの私は
自分の好みだけで選択をして
生きてきたわけじゃなく
母とか家族の一員として
その時最善と思われる選択をして
今の自分が形成されたと思っていた。
なんとなく選ばざるを得なくて
こうなったと思っていたし思いたかった。
なんか満足できないのは自分のせいじゃないと逃れたかったのかもしれない。

では本当になりたかった自分とは
どういうものなのか。
そしてそれが本来の自分なのではないかと。

でもそれって
ただのないものねだりだと今ならわかる。
違う選択をしていたら
もっと良い結果があったの…?
いやいや、まてまて!
その時最善の選択してきたんでしょ?
2番手の選択肢なんて選んでたら
もっと結果に納得なんて出来るわけない!

本来の自分とは今の自分とかけ離れた存在ではなく今存在している自分なのだと思う。

(本来の自分)=(憧れている理想の自分)
という図式がなんとなく自分の中にあったのだと思う。だけどこれは間違っていた。

本来の自分とは今ある自分の姿。
だっていいと思う方を選んできての出来上がりの姿だから。
母である自分を選択したのも自分であり
それも含めてなりたい自分だったはず。
結果的になんか思ってたんと違うとなったとしても、それを選択したのは自分。

1個1個素敵なアイテムを選んだつもり
だけどトータルコーディネイトでみたら
ん?なんか変じゃない?思ってたんと違う…
みたいな感じ。
でもそれを受け入れるということは
今まで最善と思う選択をしてきた自分を
まるごと受け入れるということ。

最善を尽くした結果の今を受け入れ
あらがうのを「諦めた」と表現するなら
すごく腑に落ちるというか
納得できる気が今はしている。

この言葉をくれた方がどう感じて
言ったのかはわからないけれど
私にとってはすごくいい言葉をもらった。

センスが少々悪くても
その仕上がりをおおらかに受け入れて
なんかこんなことになっちゃったよ〜なんて笑えたら人生幸せだと思うから。

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