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【ミッシャ・エルマン,1891-1967🇺🇦ウクライナの芸術家シリーズ16】

20世紀初頭に活躍した名ヴァイオリニストのミッシャ・エルマン(Mischa Elman, 1891-1967)はロシア帝国キーフ県タリノエ(現ウクライナ)のユダヤ系家庭の生まれ。

祖父はユダヤの民族音楽家で、ヴァイオリンも弾いていた。当時,音楽家の社会的地位は低かったので、父親はミッシャが音楽家になるのには反対だったらしい。しかし,幼いミッシャにせがまれてミニチュア・ヴァイオリンをあげたら,すぐにいろいろな曲を引き出したらしい。まもなく、ミッシャはオデッサで帝国音楽院に入学。サラサーテ(1844-1908)は「この子はヨーロッパの巨匠の一人になると思うで」と言ったとか。

11歳でレオポルド・アウアーのオーディションを受け、ヴィエニャフスキーの協奏曲第2番とパガニーニのカプリス第24番を演奏。それを聞いたアウアーは感激して、エルマンをサンクトペテルブルク音楽院に入学を認めた。

エルマンの音色は甘美でありながら端正でなんとも美しい。一つの音を弾く間にも,ちょっとした音程の変化を加えたり,テンポを揺らしたりする。祖父が民族音楽のヴァイオリン弾いてたらしいとか聴くと,妙に納得したりする。

そのエルマンの音色を「エルマン・トーン」と呼んだりするが,これは,野村あらえびすが命名したらしい。あらえびすは,野村胡堂のペンネームで『銭形平次捕物控』の連載小説(のちにテレビドラマ化)を書いていた人だね。「野村あらえびす」は,音楽評論家として文章を書くときのペンネーム。1882年生まれで1963年に他界しているので,ミッシャ・エルマンとほぼ同世代と言ってもいいだろう。

この動画は1926年のものらしいので,映像も音も時代を感じさせるものだが,アウアーの美しい音色の響きは十分堪能できる


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