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火亂瀑布 ~筑前国の魔法剣士

福岡県福岡市早良区石釜にある滝のお話です。

火亂瀑布(からんばくふ)

 石竈村の中、下石竈より半ば里奥にある滝である。この滝は石竈の奥に位置しているが、板場(石竈村にある地名の1つ)から流れている水ではなく、南山の別の谷より出る水が流れている。滝の水量は多くはなく、やや多い程度である。滝の高さは六間(約10メートル)ほどで、良い景色を味わうことができる。
(他の地方の滝と比較しても、気軽に楽しめる素晴らしい景色が広がっている意味の記述 中略)
 地元の伝承によれば、昔、火亂(からん)という山伏がいた。彼は剣術に優れ、魔法も使うことができた。火亂はこの滝で修行を積んだことから、この滝には彼の名前が付けられたとされている。

筑前国続風土記 巻二十一 早良郡 下 より 抜粋 (意訳)

 なんと、現代風にいうなら、筑紫の国には、火亂という魔法剣士がいたということですね。萌えます!

 ではこの火亂という魔法剣士はどんな人物だったのでしょうか。
 火亂が住んでいたという那珂郡にその記述をみることができます。

火亂社

 別所村の枝村松尾という場所に、文明(1469年-1487年)の頃、火亂(からん)という山伏がいました。火亂は剣術に優れ、魔法も使うことができました。しかし、その性格は凶悪で、様々な怪しいことを行っていました。
 所司(侍所の長官)は、火亂が他の人々に迷惑をかけていると聞き、彼を討とうと部下に命じましたが、火亂は強すぎて討つことができませんでした。火亂には弟子の式部という人物がおり、彼は早良郡田島村の出身でした。所司は式部を呼んで火亂を討つよう命じました。式部は策を弄して、まず火亂の右腕を切り落とすことに成功しました。火亂は怒り、「政府の命令とはいえ、師匠を殺す罪を逃れることはできないぞ」と言い残し、ついに首を討たれました。
 しばらくして式部の親兄弟に様々な災難が起こり、彼らは亡くなりました。式部は、これは火亂の祟りだと考え、ここに社を建てて、火亂大明神と号し、祀ることにしました。

筑前国続風土記 巻六 那珂郡 下 より 抜粋 (意訳)

 あらら悪人だったんでしょうか。
 他の伝承では、火亂は、毎日那珂郡の別所村と早良郡の石竈村の滝を行き来していたそうです。単純に見て10km以上あるんですけど、片道3時間歩いてたんでしょうか。馬に乗ってたかもしれませんね。

 弟子の式部という人物は、心正しい人と伝わっています。心正しい人が悪人の弟子になるでしょうか。悪人が罪についての道理を説くでしょうか。火亂は、何でも出来すぎて、土地の権力者に睨まれてしまったのかもですね。
 今と違って、権力者に睨まれたら家族ごと村八分されて生きていけなくなるし、式部は泣く泣く師匠の火亂を討ったのかもしれません。
 火亂もそんな式部の心情を組んで討たれたのかもしれませんね。(師匠だし魔法使えるしほんとは式部より強いよね)

現在の火亂社

 火亂社は、時間の経過とともに花亂神社(花乱神社)に改称され、音を残して文字が変わりました。そして、やがて福岡県那珂川市別所の山神社に合祀され、火亂の社は存在しなくなってしまいました。山神社には、花亂神社の祭神が久延毘古神であるという由緒が伝わっています。現在では、静かな山間にある社で、火亂の名前も微かな伝説を残すのみです。
※久延毘古神…田の神、農業の神、かかしの神。

現在の火亂瀑布

 花乱の滝として、地元の人に愛されています。ただ石釜から滝に至る道が狭く、3ナンバー車は離合に苦労するので、気をつけてくださいね。


 弟子に討たれる師匠の話…あ、「最強陰陽師の異世界転生記」の主人公の前世と同じ!\(^o^)/

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