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日本昔ばなし風 夜叉御前谷

筑前國続風土記 巻二十一 早良さわら郡 下 脇山わきやま村井内野うちの村 より 抜粋 (意訳)

 むかしむかし、荒平あらひらじょうの下に大きな谷があった。そこは夜叉やしゃ御前ごぜだにと呼ばれていた。夜叉やしゃ御前ごぜんというのは、小田部こたべ氏の妾であったが、正室の嫉妬により殺され、この城の南の谷に埋められたという。そのため、この谷にはこの名がついたと伝えられている。

 その後、この谷には大蛇おろちが出るようになった。大蛇を目撃した人は、おののき恐れて気を失って倒れ、病気になってしまった。亡くなった人もいると言われる。地元の人たちは、夜叉御前が化けて出る場所だと言い伝えていた。

 しかし今では、大蛇を目撃した人はいないようだ。既に死んでしまったのとだろう。


 夜叉御前といえばみなもとの頼朝よりともの妹で11歳でなくなった悲運な少女が有名です。「夜叉」という言葉は古代インドの鬼神からきています。元からこの名前ではなかったと考えます。この亡くなった女性も別の名前があって、非業の死を遂げたことから、言い伝えの中で夜叉御前と呼ばれるようになったのかもですね。


荒平城

 安楽平城とも書きます。福岡県早良区東入部(荒平山)にあった山城です。小田部こたべ鎮元しげもとの居城で、天正てんしょう7年(西暦1579年)、佐嘉さが(佐賀)の龍造寺りゅうぞうじ隆信たかのぶに攻められ落城しました。その後、城が再建されることはなく、荒平山に城址を見ることができます。

夜叉御前谷

 今は夜叉谷やしゃだにという地名です。
 荒平山に南から入る登山道沿いにあります。

国土地理院地図 荒平山周辺

2024.2.2 ルビを追加しました。

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