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福岡のお祭り 謡の中の小松殿

福岡では5月のGWに「どんたく」というお祭りがあります。その前身は「博多はかた松囃子まつばやし」と言われています。
では貝原益軒氏の頃、江戸時代の博多松囃子のお話をみてみましょう。


筑前國続風土記 巻四 博多 の博多の項 より 抜粋 (意訳)

博多では正月十五日に、松囃子まつばやしという行事を行います。そのやり方は、まず貧しい人を雇い、福禄寿ふくろくじゅ恵比寿えびす大黒天だいこくてんの格好をさせ、馬に乗せて、頭の上に衣笠きぬがさを被り、囃子詞はやしことばを唱えます。
終わりには小さな仮閣かかく(=さじき)の車を作り、舞衣まいごろもを着せた稚児ちごを乗せ、これを引いてお殿様(=福岡藩の藩主)の館に行き、猿楽さるがくの節回しで短い歌を歌い、笛を吹き、大小のつづみを打って、祝い言の舞いを行います。お殿様より酒肴を頂き、退出します。
城より戻って櫛田神社にお参りし、また崇福寺そうふくじにお参りし、博多の市中を通ります。
老人の言い伝えには、高倉たかくら天皇の御世、安元あんげん元年(西暦1175年)、小松こまつ内府ないふ重盛しげもり公(平重盛たいらのしげもり)は、黄金3千両を中国の宋に贈り、育王山いくおうざんへお布施しました。その使いをまず博多に送り、その後、宋に渡しました。
この時、博多に住んでいた人の多くが重盛公の恩恵を受けたので、彼の死後に、その恩に感謝する為、お正月に松囃子という行事を始めました。これより毎年恒例となりました。その歩く囃子歌は、「松殿や松殿や、小松殿や」と歌っていました。現在(=江戸時代)は変化して「松やね松やね、小松やね小松やね」と歌います。


 元はお正月15日に催されていました。5月に開催されたのは、昭和21年(1946年)の「博多復興祭」からです。どんたくと博多松囃子は厳密にはそれぞれ独立したもののようです。博多松囃子の一行に後続したいろいろな格好の人、出し物などは「通りもん」といい、これが現在の博多どんたくになります。つまりお正月のお囃子に、つい浮かれて踊りながら歌いながらついていったのがどんたくの始まりなんですね。

囃子詞も変化したようで、貝原益軒氏が記載した囃子詞を探してみましたが、現在ある4組の言立ての中に見当たりませんでした。
ただ、稚児のうたいの中に以下がありました。

唐衣からごろも、唐衣、裾野すそのの原の姫小松、姫小松、姫小松、弾けば千歳ちとせも我袖にこもるは春ぞ目出度き

5月3人、博多市博多どんたく 松ばやし より

風土記記載の詞と少し似ていませんか? というか、いつの間にか重盛公が「姫」になってますね。平家のことを表立って寿ぐことができない時代もあり、言葉が変わっていったのでしょうか。
(調査が浅いのでまだ他に言い立てや謡があるかもしれません。後日の課題です。)

5月の博多どんたくは賑やかで楽しいですが、すっかり現代のイベントで、そこに歳神を迎える喜びも重盛公を祝う様子も残っていないのは、少し寂しいものです。
昔のお正月15日に行われた当時の松囃子も見てみたいものです。


高倉天皇…在位仁安3年2月19日(西暦1168年4月9日) - 治承4年2月21日(西暦1180年3月18日)

安元元年…西暦1175年

小松内府重盛…平重盛。平清盛たいらのきよもりの長男。六波羅小松第に住んでいて、内大臣の位(=内府)にあったので、小松内府重盛公とも呼ばれた。


2024.1.19 ルビを追加しました。

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