たかがゲーム

【ご挨拶】
深夜4時にどうも。
普段早朝バイトの民なのでこの時間に起きていることは珍しいCeedaaです。
今日は珍しく22時退勤のシフトだったのと、明日と明後日が休みなので少し調子に乗って夜更かし中です。
本当は『モンスターハンター ライズ』で遊びたいところですが流石にそこまでの気力と体力は残っていない状態でして
代わりに、ではないですがこの記事を書いています。


【隙あらば自分語り】
導入でどうでもいい自分語りをしたように見えたかもしれませんが、今回の本題と割と近い事なのであえて本文に盛り込みました。
というのも今回扱うテーマがまさに「ゲーム」であり、もっというとそれに対する「姿勢」の話なんですね。
一般的には娯楽やストレス発散のためにプレイされるゲームに対して常にこんなことを考えていると疲れてしまいそうですが、最後までお読み頂けると嬉しいです。

【以前のプレイスタイル】
「Splatoon2を約4000時間」
などなど1000時間以上遊んだゲームソフトが何本かある僕ですが、元々気弱な性格だったこともあり基本的には所謂「エンジョイ勢」と呼ばれる

「まぁそこまで全力を注いでいるわけではなくて楽しむことが最優先」

的な心持ちで遊ぶ、あるいはそういうスタンスであることを公言するプレイヤーでした。
勿論それはなにも悪いことではなくて、
何千時間と遊んできた今もその考えが良くないと思ったりはしていません。
どんなプレイスタイルを選択しようと自由です。

【選択しなかった方】
ただ、何事にも言えますが何かを選ぶということは同時に何かを「選ばなかった」ことになる場合も多いと思います。

ある時期僕は先述のSplatoon2というゲームでなかなか勝てずそこそこ荒んでいました。
やればやるほど気分が落ちてしまう、そうわかっていても尚やり続けてしまう。
そういう状況に長く陥っていました。

実はSplatoon2というゲーム、僕にとっては明確な「勝ち負け」のあるはじめてのゲームでした。それも対戦相手は実在する人間です。
そういった条件下で負け込むとやはりどうしても劣等感を感じずには居られませんでした。
同じ試合にいる8人のなかで自分だけが悪い戦績をしている。そんなことの繰り返しを毎日何時間もやっている、わかっていても繰り返す。
馬鹿みたいな話ですが本人は至って真面目です。「本来日頃の鬱憤を晴らすくらいであるはずのゲームでこんな目に遭って理不尽だ!」とまで思うほど、頭に血が登っていました。
しかし当然ながら、いくら熱中していてもそれだけで勝てるわけではありませんよね。

なぜこんなに勝てないのかわからない。勝ちまくっている人と自分の間にある「差」の正体が一切わからない。

打開策が見えなくなった自分は次第に「楽しむ」という目的すら見失ってただただ時間と精神を削っていましたが、まあ流石に良くも悪くも限界が来るものです。

「楽しくない。」

単純にそう感じるようになりました。
気づくのに時間がかかったというよりは、
なかなか認められなかった、という方が正しいかもしれません。

楽しくないのは、勝てないから。
勝てないのは、自分が下手だから。

「下手なままの自分」では選べない、
「もっと楽しめるはずの時間」の存在を
ようやく認めた、と言ったところでしょうか。

【たかがゲーム】
時々みかけますよね。

「たかがゲームで強かったからって偉くなった気になるな」

確かに間違ってはないと思います。
ゲームがいくらできたところで、
学力やコミュニケーション能力が欠落しては好ましくないというのが世間一般の考え方でしょうし、僕もその通りだと思います。

ただ、よく考えてみるとこれはゲームが上手い人に向かって投げられている言葉ですよね。

ゲームが下手で、上達もしない自分。
しかも他のことも一切、最低限すらこなせていない自分が「たかがゲーム」と言って片付けてしまってはもはやただの"言い訳"。
もっと言えば直近の課題から目を背けていて、
何事に対してもそういう生き方(逃げ方)
をしてきた結果が、
「何一つ最低限すらこなせていない人間」
をつくりだしている。

そんなところにまで発展していきました。
ゲームを入口にここまで発想が飛躍するのは
感度が異常だと思われるかもしれません。
しかし、

「何かで優れる者は"上達"するプロセスを知っていて、それを応用することで他分野でもある程度の結果を残せる」

というような格言の影響も受けていた僕は
「何事であろうと」という意識が強かったのです。


【適用範囲】
「ゲームができてもねぇ」
一見すると間違っていない言葉。
しかしそれも誰が使うか、どんな意図で使うかによってはある意味間違っていることになってしまうのかもしれません。
少なくともその時の僕は「たかがゲーム」を自分に対して適用すべきではないと判断しました。

それは「もっと成長したい」なんていうハイレベルな思考ではなくて、
ただ単に「勝てなくて悔しい」という気持ちにきちんと向き合うという、ただそれだけの過程にようやく踏み出せた大きな一歩だったと今では思います。

【たかがゲーム、されどゲーム】
「たったそれだけ」がずっとできなかった十数年を振り返れば、あのゲームによってもたらされた変化は侮ることができず、「たかがゲーム」などとは言えない。

そんな感じの結構個人的な話で申し訳ないんですが、皆さんがもし趣味をバカにされたりしたときには反論として利用する等うまいこと役立ててもらえると嬉しいです。(適当)

【クソガキの後書き】
めちゃくちゃ偉そうに語りましたが、
本来多くの人はもっと早い段階で、そしてゲーム以外の機会においてこういう経験をしているんだろうと思います。それをやっと自分も得ることができて、それがたまたまゲームだったというだけの話です。
でもそれも捉え方によっては

[人によっては何が転機になるかわからない]

ということでもあると思うので
身の回りの様々な分野について
「なんの役に立つの?」なんて言ったりするのは
ちょっともったいないかも、
そんな感じのことが言いたくてこの記事を書いた次第でこざいます。
なのでこれを読んだあなたが日々どんなことに打ち込んでいようとも、本当に綺麗事ではなく僕からすれば尊敬です。

「たかが自分」なんて言わないで皆さんもっと胸張って生きて欲しいなと思います。

※こんなことまでは考えない方が楽というか、人生楽しめるとは思うんですが、それが難しい人間はそういう人間なりの「姿勢」を探すのもいいんじゃないかと思う今日この頃です。

約2700文字の超長文最後までお読み頂きありがとうございました。







……ハァ〜〜〜〜〜〜めちゃくちゃキレイに決まった(多分)〜〜〜キモチィぃ~~〜〜WWWWWWWWWW
🦍🦍🦍×5億

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