29歳 ワーホリ行くの諦めてフィリピンに残ることにしたお話し
初めての留学は27歳3ヶ月の頃でした。こんにちは、ふー🐮です。
当時の仕事で休みをもらって、2週間ターラック留学をしました。
英語を使う場面がちらほら増えてきた時代で、本屋さんの教材での自己学習ではらちが明かず、対面英会話はコスパ予算オーバー、オンライン英会話は続けられず…行ってしまえと、やけくそでフィリピン留学へ行くのです。
フィリピン留学との出会い
英語が話せないのに欧米なんて行けないと思っていた私は、距離も近い、東南アジアをイメージしました。今となっては、どうやって検索したのかも忘れてしまいましたが、留学フェアに行ったことは記憶に残っています。そこで出会ったのがブースの片隅にあったフィリピン留学でした。
初海外+初国際線=緊張
とりあえず、行けば何とかなる。行くまでが心配だ。と思ってたので、一番の心配は成田空港でした。結構バカにされましたが、成田空港までのスカイライナーのチケット購入とか、空港にどのくらい前につけばいいとか、窓口での流れ、そのあとの時間、すべてが未知で不安に押しつぶされる思いでした。逆にフィリピンにつけば、ピックアップは待機されているし、学校まで直通で行けるし、学校につけば、寝床はあるし、勉強するだけと思っていたので、不思議とフィリピンに対する不安はなかったです✨
フィリピン留学がもたらしたその後の考え方
語学の勉強はもちろんですが、海外生活に対する不安も尽きないかと思います。たとえ寮生活でも、一歩も外に出ないということはあり得ないし、同じ日本人が学校内にいても考え方は様々で、留学に来た理由も様々。それプラス他の国籍の学生も含めると、さらに分母は増えて、”多様性”と直面します。
語学習得だけではない
結果私は、4ヶ月以上の留学を経験しました。英語が話せるようになりたいと思って行っただけなのに、語学以上に何か得た気がしました。というか得ました。英語を教わるだけだと思っていたけど、実際は自分一人じゃないし、同じタイミングで入学する人たちとは、不思議な絆が生まれたり、グループレッスンともなれば、講師がうまーく話題を回して国ごとのマナーの違いを話したときは盛り上がり間違いないし、日本のことを知らないことに恥ずかしくなってくると同時にほかの国の子たちは、自国のこと愛していたり、歴史を知っていたりと、恥ずかしくなりました。自分は留学生かつ日本代表で今ここにいるんだなと痛感。
次のステップを考える
英語を学習することに楽しみを覚えた私は、2週間後の留学後すぐ半年後に4週間の休みを取り、再度フィリピンへ戻ります。まだ成田空港までの道なりは慣れないけど、もぉフィリピンにすでに魅了されてたのかもしれません。
とびとびの留学では英語を流暢に話せるようにはもちろんなりませんでしたが、英語を口に出す怖さを打ち破ることのには十分な時間でした。いつかもっと話せるようになったら、”今やっている接客できっと役に立つな”、”売り場の人にも使いやすいフレーズを教えられるな”と習得したものを共有できることをわくわくしていました。実際にそれが個人だけでなく、一つの売り場で役立つこととなりました。
ちょっとだけ英語にどん欲になる
当時おもてなし英会話のような、ビジネス英会話よりもっと現場寄りの英語を教わったこともあり、特定のフレーズを話せるようになる感覚でした。
目標が一つ達成したことでさらにもっとできるようになりたいと欲が出てきました。
そうなれば、おのずと道(思考)は開き、体感的にフィリピン留学に要する時間を6ヶ月は必要かなと思ったのです。
英語を使う会社に就職することもなく、海外移住も考えてなく、漠然と英語が話せるようになりたいと思っていたので、英検やTOEICなどは頭になかったです。6ヶ月申込みした直後突然ビビってしまい、3ヶ月に変更した経緯もあるのですが、3か月後現地で延長を考えようとちょっと自分を試してみたのです。
現地で仕事をもらうことに
3ヶ月の留学中現地で延長はタイミング的に叶いませんでした。夏休みの満室と相まり延長が叶わなかったのです。私の留学生活はトータル4ヶ月と2週間で幕を閉じました‥‥が、最後に留学していた学校で現地スタッフにならないかと声をかけてもらったのです。
学生スタッフ、別名学生マネージャー、別名ボランティア
・留学計画期間・・・約6ヶ月(24週間)
・実際の留学期間・・・約4月2週(18週間)
・学生スタッフの期間・・・6ヶ月(24週間)
学生スタッフのうまみは、何と言っても無料マンツーマンクラスが受けられること。
それ以外にも講師を選べたり、教材を選べたり、留学生あがりだとメリットがたっぷりでした。週末のピックアップや、放課後の突如の対応など、病院の引率、相部屋の人たちのトラブル対応、退学者の面談など、24時間体制の仕事ではありましたが、部活のマネージャーと思えばかわいいもので👼・・・いや、とても過酷でした。
日本1人+台湾1人+ベトナム1人+韓国いっぱいのオフィス
3ヶ月強、ESLコース(日常英会話コース)だった私は、突如ビジネス英会話というか、留学という専門英語を使わなきゃいけなくなりました。
英語場面1:デポジットの返金対応・・・ 対 フィリピン人HRスタッフ
英語場面2:単語テストの提出・・・ 対 フィリピン人ヘッドティーチャーチーム
英語場面3:部屋掃除のスケジュール・・・ 対 ハウスキーピングのフィリピン人
英語場面4:部屋のメンテナンス・・・ 対 メンテナンスのフィリピン人
英語場面5:新入生到着対応・・・ 対 入口のフィリピン人ガードマン
こんな感じで、毎日あらゆる局面で、クラスでは学んでいないようなもっと日常的な(語学学校の日常)英語が頻発し、業務を覚えると同時に、相手に伝わるようにと、作業の効率を考えて日々英語の実力を身に着けていく実践の積み重ねで、留学中より格段と英語力が伸びました。その間自分のクラスを受けつつ、学生の質疑にも対応したりと。日本語も間に挟みます。心地いい瞬間です。(日本語話せる~くぅぅって。)
ワーホリには行けなかったけど、結果オーライ
この仕事を引き受けるとき、契約期間中に30歳になるところでした。留学生の中には”ギリホリ”という言葉が飛び交ったり、卒業後ワーホリに行くと話している子もいたりのなかで、フィリピンにとどまることにした私ですが、英語力をあげる、という行動が結果的に海外生活と海外での仕事につながるなんてまさか思っていなかったので、とーっても結果オーライというか、人生において満足なのです。なぜなら、ボランティアスタッフののち、そのままカントリースタッフ(日本人スタッフ)として採用してもらったのです。
ワーホリというとても便利でお得なビザを最大限活用することはできませんでしたが、私にとってのワーホリになったのかなと思ってます。
留学は英語学習だけではない
”日本人って自分さえよければいいんでしょ?”ってフィリピンのあちこちで言われたことがあります。当たり前に自覚をしていなかった国民的な要素をふいに的を着かれて、改めて考えてみると、日本以外の人からはそういう風に見えるというか、言われてみるとそうかもしれない、そうなんだと客観的に自分を見ることがありました。
日本にしかいなかった自分がフィリピンに行って初めて気づくことはたくさんありました。
日本では当たり前のことが、海外では当たり前ではない。
国籍や肌の色で区別しがちであるが、その前にお互い同じ人間であり、習慣や慣習、考え方価値観が違うだけで、知らないことはいっぱいあるんだと。
英語学習の中で、さらには英語を通して人間観や、社会観を改めて学ぶことになるとは全く想像以上で、飛行機でたった5時間の約3000㎞、同じ島国なのに心の豊さの違いな
ど書ききれないくらい、教わることが多かったです。
最後に
そんなこんなで、フィリピン留学には、メリットがたくさんです✨フィリピンに行く時に周りから、フィリピン人英語話せるの~? 日本語も特に話せないのに英語を学んでどうするの?とか割と心無いことを言われることもありました。でも、行って良かった。本当に。考え方が変わるとか大きいことは言いませんが、自分と世界を少し知ることができます。マルタに次は行きたいな🍊
これからフィリピン留学を考えている人、英語力を身に着けたい人、すでにワーホリ中だけど思いのほか伸びない人、ちょっとでも共感できたら今の自分に耳を傾けてじたばたもがいてみるのもいいかもしれないです。
👇フィリピン留学はオンラインで手続き完結✨
👇CEBU21 note 人気記事はこちら✨
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?