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<親の姿のように子は育つ>

●チエちゃんにかかったら
チエちゃんは、元気でおしゃべりな女の子です。
知り合いの人がいると、すぐに、知り合いのそばに話しかけに行くのです。
「おっちゃん、何しとんの」
「おっ、チエちゃん」
「チエちゃんは、何にも悩みがなくてええなあ」
「うちだって、いっぱい悩みがあるけど、出さんだけや」
「結構、悩みを外に出さんのって、結構しんどいんやで」
「おっちゃんこそ、いつも暗い顔して、全身悩みだらけって雰囲気出せて、えーなあ」
「悩みがあってええなあってなんや」
「俺だって、悩みたくってなやんでいるわけとちゃうぞ」
「悩んでいる暇があるっていることやと思う」
「おっちゃんを見とると、つくづくええなあと思う」
「おっちゃん、たぶん金回りがええんとちゃうか」  
「貧乏暇なしって、言うやないか」
「貧乏やったら、その日食うてくために、食う分を必死に働いて稼がなあかんよな」
「おっちゃんは、他事を考える暇があるくらい余裕があるんや」
「つらいとか、苦しいとか考えとる暇あったら。おっちゃん、働かなあかん」
「そして、お金持っとるから、悩みが増えるんとちゃうか」
「よう言うやろ。つらいことを、ひと手間かけて丁寧に向き合い扱うと、しあわせになるって」
「知っとるやろ、辛と幸という漢字」
「つらいっていう漢字「辛」に、一本、いちを加えると、しあわせという漢字「幸」になるやろ」
「お金余っとるんやったら、ウチにあげたりーや」
「ウチやったら、いっぺんにお金使こうたるで」
「チョコレートやろ、お菓子やろ、ジュースやろ、全部買うて食べたるで」
「ウチに恵んでくれへんか」
「ウチのココロの奥にある、お菓子一杯食べたいという暗闇が、一気に晴れるんやけどなあ」
「そやなかったら、悩みが出てこないほどしっかり働きいな」
「しっかりはたらけや」
「はたらくっていうことは、自分のためにあるんやけど、傍が楽になるっていうのが、「はたらく」っていう意味やで」
「暗くなる前に、もう一度、働く意味考えた方がええで」
「・・・」
ていう、調子です。
 また、知り合いでなくても、まるで自分が大人であるかのように、人に接するのです。

●チエちゃんが知らない人と出会ったら
チエちゃんが、小学校の帰りに出会ったおばさんに話しかけに行きます。
「おばさん、こんにちは」
「おばさん、この辺では、見かけへん顔やなあ」
「おばさん、どっから来はったの」
「この辺は、夜も物騒やから、歩かん方がええよ」
「泊まるんやったら、ちょっと向こうに、おしゃれなちょっとかけ流しの温泉付きの宿があるよ」
「ちょっと、出される食事は、上品でちょこっとしかない
「でもって、高いだけ」
「けど、味はいいって、店の人は言うとる」
「ウチは食べたことも言ったこともけど」
「どうせ、あれやろ。自分のとこを悪う言うはずないから、いいように言ってるだけだろうね」
「行くんなら、ウチが連れてってあげるんやけどね」
「行く」
「ありがとね、おじょうさん」
「やったー、行くんや」
「いや、今日は、知り合いの家に来ただけだから、帰りの新幹線も予約してるから」
「残念やけど、泊まらないんです」
「じゃあ、今度来たときは、紹介するからね。きっとだよ」
「・・・」
こんな調子です。
子どもだから、誰かに騙されて連れ去られたりするかもしれません。
ましてや、大人だったら、不審者や危ない人と思われますね。
しかし、ふるまいは大人、でも、中身は子どもなんです。
だから、こんなことになってしまうチエちゃんなんです。

●温泉で
チエちゃんは、ママと体を洗った後、ちょっと大きくなったので、一人で温泉の浴槽に入ります。
「おー、いい風呂だ」
「極楽、極楽!」
そばに来たママが微笑んでいます。
「どこで、そんなことば覚えてきたんだろう」って思いながら。

●チエちゃんが叱られる
「うちのチエが申し訳ありません」
ママが謝っています。
「うちの子は、何も悪気があるわけではありません」
宿の支配人が、しかたがないなあと思いながらも、二度と同じことを言い回らないように、ママに注意しいているのです。
「ウチの宿は、よい食材で、喜んでもらえるように食事を作り、サービス満点の宿です」
「それなのに、お宅のお嬢さんが、ウチの宿は値段が高く料理が少ない」
と、いろいろな人に言って回っているのです。
 「ウチのチエがそんなこというわけないじゃないですか」
 「何かの間違いではないのですか」
 「いいえ、先ほども、泊まろうかどうか迷っていらっしゃった玄関前の方をお誘いしましたら、こんな話をされたのです」
 「さきほど、学校帰りのチエちゃんという女の子が、私に話しかけてきて、この辺りには宿が一つしかないけど、その宿は、やめた方がいいよ」
と言うのです。
 「なぜか」と聞くと、
「あの宿は、料理が高くて少ない」というのですから、迷っていたんです」
 「確かに高いかもしれませんが、お宅のチエさんがわざわざ言う必要ないじゃないですよ」
 うちに帰ってきたチエちゃんに、ママは怒り心頭で、怒鳴りつけました。
 「チエ、あんたは、泊まったこともないのに、そんなこと誰から聞いたの?誰かに言わされてるんじゃないの?」
 チエは、自分が言ってはいけないことを言っているということがわかりません。
「えっ?」
「ウチは何か違ったこと言ってんかなぁ」
「だって、ママがいつも近所のママに言ってるじゃない」
「あの宿に泊まる人の気が知れん」
「うちで、食べた方がどんなに安くていっぱい食べれる、って」

●チエちゃんは、素直な子
 子どもは、近くにいる大人の言動をよく見ているものです。
 大人のいいこともよくないことも。
 大人は、話す相手や状況を考えて、内容を区別して話します。
 子どもは、聞いたことがまるで本当かのように話してしまうのです。
 子どもには、大人の程度がかかりません。
 まわりから生意気に感じる子どもは、よくそういったところがあります。
 生意気に感じる子どもは、親がそういう部分を持っているのに違いありません。
 そういう親に限って、うちの子にそんなことを教えたのは誰だろうと、外に原因を探そうとします。
 「しんちゃんと遊ぶようになったら、生意気になった」
とか、
 「学校で注意してください。クラスの子に悪い言葉を教えられて、家では大変なのです」
とか。
 だって、うちでは教えていないんですから。
 しかし、しっかりとそばで聞いているんです。
 親の性格や習慣を、そして考え方、嗜好性までも、子どもは学んでいるんです。
 チエちゃんは、ある意味、とっても素直な子だったと思いませんか。

●子は親の鏡(親は子の鏡)
「人のふり見て、我がふり直せ」
とは、よく言ったものです。 
 子どもを見れば、親が見えてきます。
 親を反面教師にできる思春期ならともかく、小さいときには、特に子どもの様子を見ると親の考え方が見えてきます。
 さきほどの
「極楽、極楽」
は、パパがよく言っているのを聞いているんです。
チエちゃんは、何が極楽なのかは、はっきりとわかっていません。
風呂に入ったら、そう言うことを覆えたんですね。
 周りの人が反応して喜んでくれるのを見て、調子になって使いまくるということでしょうか。

●やはり、「親は子の鏡」
 子どもは、家庭で、基本的なことを学びます。
 子どもにかまうこと、接すること、話すこと、抱っこすること、ご飯を食べること、笑うこと、楽しいことをすること、喜ぶこと、添い寝すること、無視すること、たたくこと、けること、虐待すること、・・・」
 いろいろあります。
 でも、プラスのストロークやマイナスのストロークなら、ココロ貯金が貯まるのでいいのですが、ディスカウントは、子どものココロ貯金に最悪の傷で穴としていっぱいもれます、しばらくその傷を残してしまいます。
 親の真似をいつの間にかしていることは、さらに、その子の子ども、そして、・・と引き継がれていってしまうのです。
 その連鎖を断ち切るのは、今のあなたです。


東ちひろは、すべてのお母さんの味方です!