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なりたい自分

約二年前、自分の好きなところについて書いた。

自分の内側を外に出すなんて恥ずかしい、と長く思っていたので、殻を破る意味合いでもあった。
そこから少しずつ『大丈夫かも』を積み重ね、今年に入り、小説、バケットリストを公開できた。

私より上手い人は沢山いるけど平気?
他人の目が気にならない?
できなかったらどうする?

私は完璧主義だと思う。
ゴールまでの過程で自分の思い通りにいかないことが起こると、あぁもうだめだ、と諦めてしまう。全部無かったことにする。
本来の私はのんびりした適当人間であるはずなのに、スイッチが入ると、自分の長所であった美的センスが発動し、少しのミスも許さなくなってしまう。
完璧な私を見てもらわなければ。
完璧な私が書いた、完璧な作品を見てもらわなければ。

『自分の内側を外に出すなんて恥ずかしい』は、『完璧じゃない自分を見られるなんて恥ずかしい』だった。

気づいたときの私

完璧じゃない自分を恥だと思っていたのか。
そっか。
掘り下げた先にあった思考に気づいたとき、自分に恥だと思われている自分が可哀想だと思った。同時に、自分のことを恥だと思っている自分がとても滑稽とも。

これやりたい、いいアイデアを思いついた、とそのとき気分が上がっても、「でも」「〜だから」とすぐ否定が入ってしてしまうのも、完璧じゃない=恥に繋がってるからだと思う(年齢、環境、容姿、条件などが頭によぎるのも)。

他人の目が気にならない?
できなかったらどうする?
他人の目が気にならないように考える、誰も私のことなんて見てない、できないのならできるように努力する。今までやってきたこと。
私にとってそれをすることは、完璧を目指すことと同じだったから、結局同じ悩みに戻ることになる。

そこから足掻いて足掻いて気づいたこと。
私に必要なのは『完璧じゃない私が完璧だと知る』なんじゃないか。
ひっくるめてそれでいい、とマルをすること。

他人の目を気にする私でいていい。
できない私でいていい。
不安を心に飼っていてもいい。
文章が下手くそな私でもいい。
馴染めない私でいていい。

完璧じゃない私こそが完璧。
欠点ばかりの私こそが完璧。

完璧を求めて苦しくなっていたのに、欲しかったものはすでに持っていただなんて。力が抜ける。あまりに呆気ない。けど、それに気づけたから、自分の内側を外に出してみようと思えることができた。

二年前の私がなりたかったのは、自分の好きを表現すること。

いま、私はそれになれている。
自分が書いた小説が好きだ、自分の夢が好きだ、と言える。
小説を書いているのも、なりたい自分が小説を書いていたから。
両手いっぱいの夢をみるのも、なりたい自分が夢の中で楽しそうにしていたから。

なりたい自分に、自分がなる。
なりたい自分も完璧じゃない。

まだまだ試行錯誤していると思うし、もうだめだと全部放り投げてるかもしれないけど(いや〜、私ならやりかねない)、それでもまた小さな『大丈夫かも』と『大丈夫だった』と積み重ねて、あなたに憧れているいまの私に言ってほしい。

「いまの私も全然完璧じゃないけど、超〜〜〜楽しいよ」

って。
そう言ってくれるのなら、過去の私も、いまの私も救われる。『大丈夫かも』って思える。

完璧じゃない私で、あなたになり、完璧じゃない私の背中を全力で押すよ。
完璧じゃない私を全肯定するよ。
完璧じゃない私を一番近くで応援するよ。

それがいまの私が #なりたい自分

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