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東京は近くにありて

東京は遠くなかった。
千葉県松戸市から皇居までおよそ20km。
小学校高学年になって5階の教室に移ってみると、晴れた日には東京都庁の二股ビルが陽炎のように見えていた。

だから、余計に東京というものが遠く思われた。
大人たちは毎朝東京に働きに行くが、子供はそうではない。東京は、そこに見えているがさわれないものだった。

千葉県松戸市には何もなかった。
何もないというのは文字通り何もないということではなく、むしろゴミゴミと建売住宅がひしめきあっているような場所だった。だが、そこでは別段何も起きないのだ。
穏やかな生活だけがそこにはあり、何か「面白いこと」はどうやら江戸川の向こうで起きているらしいとだけ、蜃気楼のような東京を見ながら思っていた。

しかし、幼い頃の僕が考えていた「面白いこと」は、きらびやかなディスコとかそういうものではなかった。
それはテレビで一度だけ見た、人間離れしたスケールを誇る巨大な工業地帯であった。あるいは地球の環境にも影響を及ぼすという自動車でぎっしりの高速道路であった。
あそこでは何かが起きているのだ。

東京湾という言葉も好きだった。今でも好きである。
何より「トウキョウワン」という響きがいい。「ワン」というところになんとなく余韻がある。
この言葉はおそらく、幼児向け「はたらくくるま」図鑑で覚えた。
幅広のクローラをつけた湿地用ブルドーザが夢の島の埋立地で働いている、というようなキャプションであったと思う。
「トウキョウワンノユメノシマ」というのは何のことかさっぱりわからなかったがその響きは幼児であった僕を非常に興奮させ、母にそのように申告したところ「わたしもトウキョウワンという言葉すきよ」と言われた。母は変なことに関してものわかりが非常によかった。

その夢の島に、父に連れていかれたことがある。
東京都の教員をしていた父とその同僚と一緒に、釣りに行ったのだ。夢の島は特に夢っぽいことはなく、非常に静かな緑に溢れた場所であった。しかし、こういう場所を僕は見たことがなかったので、なんとなく今でも現実の彼岸を訪れたような記憶として覚えている。

とにかく以上のような意味において、東京というのは「こことは違う、すぐそこにあるところ」であった。
この薄紙いちまい隔てたような感じはいまだに解消されていない。
大学生になってからは毎日東京へ通うようになったが、夜になると松戸の実家へ帰っていたから、なんとなく昼間のあいだだけ偽物の東京人をやっているような感覚があった。
その後、実家を出てから住んだ街はモスクワと横浜だけで、いまだに東京はなんとなく「薄紙いちまい」のままである。

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