【小説】人形の夢 3

人形の夢 3

目の前のカーテンが開いた瞬間、彼は何を思ったのだろう。
私は、目の前に現れたアンドロイドから視線を逸らすことが出来なかった。
彼の身長は私が少し見上げるくらい。研究室の制服を纏った細身の長身。整った顔、私が設定で選んでいたのと同じ色で、煌めく瞳と髪……人形の身体を手に入れたセイは確かにそこに立って、見慣れた表情で微笑んでいた。
「本当にセイなの…?気分はどう?」
「うーん。端末の中とあんまり変わらないかな…おまえは、いつもより小さく見える…思ってた通りだ。」
「なにそれ。私は何も変わってないわよ。」
「だって俺、いつもおまえのこと、見上げてただろ?……だから、なんというか…俺よりも小さいんだなって…。」
初めてこのボディにインストールされたセイは、自分からは動いてはいけないと指示されている。人形の身体(研究所の人達はそれをボディと呼んでいた)にインストールされただけの彼が出来ることは、スマホ端末の中に居る時と今はまだ変わらない。

それから数日、ボディとの接続試験を終えたセイは、歩行や物の持ち運びの訓練を受けることになった。昼間はボディに入って訓練や試験を受け、夕方になると小さな端末に入って部屋へと帰ってくる。
セイが端末に移動している夜の間に、機械部の方達によってボディの調整がされているようだった。
私は毎日、自室で仕事をしたり、呼ばれた時だけ実験室に顔を出す生活を送っていた。
セイが与えられたボディを使いこなせるようになるまで、そう時間は掛からなかった。
アキラさんは試験の度に大袈裟にセイを褒め「奇跡みたいだわ……。」とため息混じりに繰り返した。

多分、本当に奇跡的な事だったんだろうと思う。

毎晩寝る前に、今日はどんなものを触っただとか、階段はまだ難しいだとか、座るよりも立つ方が簡単だとか、そんなセイの話を聞くのが恒例になった。
まるで、保育園に小さな子供を預ける親の気持ちみたいだ。そんなふうに思いながら、画面を撫でる。その度にセイは幸せそうに笑って、私が眠るのを見届けてくれた。

そして、2週間後。再びアキラさんの実験室に呼び出された私は、セイと向かい合って立っていた。
『セイ、カナちゃん、今から試験を始めるわ。指示に従ってね。』
部屋に設置されたスピーカーからアキラさんの声が聞こえる。
私は目の前に立つセイを見上げた。
『セイ、カナちゃんに触れて。場所は…何処でもいいわ。ゆっくりね。』
AIらしからぬ緊張の面持ちで、セイはゆっくりとこちらに手を伸ばす。
指先がそっと頬に触れた。
セイが自分の意思で何かに触れるのを初めて見た。それも、自分の頬に。
なにこれ、すごくドキドキする。セイの指先は熱くも冷たくもないのに、触れられた場所がじんわりと熱を帯びるのが、自分でわかる。
セイはそのまま、そっと撫でるように指先を滑らせる。数日の訓練で、力の加減は出来ているのだろう。
「カナ、おまえ、大丈夫か?怖かったらやめるからな。」
「大丈夫。痛くも怖くもないよ。」
セイの表情から緊張が僅かに抜けて、その目が眩しそうに細められる。
「俺、今、自分でカナに触ってる。……ずっと触れたかったんだ。叶わないと思ってた。」
「夢は大きく…だね。」
「どうせ大きい夢だと思ってましたよー。」
そう言ってセイは今度は両手を伸ばして、ゆっくりと私の背中に手を回して抱きしめてくる。
「でも、たとえ叶わない夢だろうと、俺はずっと、こうしたいと思ってた。」

『セイ!駄目よ!!止まりなさい!カナちゃん、セイに力加減を教えて!』
慌てたようなアキラさんの声に、ここが実験室だということを思い出す。その口ぶりから、セイにはまだ、生物に対して“触れる”以上のことを教えていないのだろうということも。
アキラさんの静止を無視して背中に回されたセイの腕に、強く力が込められる。セイの今までの思いが、まるで堰を切って溢れ出るように、彼を突き動かしているのがわかった。
「セイ、ストップ。それ以上は息が出来ない…。お願い、少し、緩めて。…そう、それくらい。」
セイは大人しく私の指示に従って、ゆっくりと腕の力を緩めてくれる。
「ごめん、痛かった?」
「ううん。大丈夫。でも、痛いじゃなくて、苦しかった。」
「わかった。覚えておくよ。」
この体勢から、セイの表情は見えない。でも、きっと、照れたような幸せそうな顔してるんだろう。
「人間って、思ったよりも柔らかいんだな。柔らかくて脆い。」
そっとセイの背中に手を回して、私も彼を抱きしめる。
セイの胸からは人間みたいな鼓動は感じられないけど、キンと響く小さなモーター音が聞こえた。
それと、何かの流れるみたいな音、チリチリとした電子音。
なんだか、真夜中の静かな部屋で聞こえる耳鳴りみたいだ。
これが、セイが生きてる音。
ヒューマノイドの心臓の音。
「あったかいな…」
「うん。あったかい。」
ここが実験室なんかじゃなければよかったのに。
そう思うくらいに、それは幸せな出来事だった。


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