家族の概念が曖昧なので

今になって思えば、随分と大人が出入りする環境に産まれたのだった。
“家族”というコミュニティに対する、自分の軸が世間一般のそれとズレていることに気付いたのは、大人になって随分と経ってからだ。

私は、大人がたくさん出入りする家に産まれて、広すぎる人間関係の中で、家族の概念が曖昧なまま育った。
ママ(母上)とママとお母さんと母さんとママさんとあーちゃんは全部違う人。
パパ(父上)とパパとお父さんと父さんとぱぱさんも全部違う人。
私と直接の血縁関係があるのは、ママ(母上)とパパ(父上)と弟。
毎日遊んで幼稚園にもお稽古ごとにも迎えにきてくれた“じぃじ”は血縁関係はなくて近所で喫茶店を経営していたマスターだった。
おばさんやおじさんや、たくさんの兄や姉のような人がいて、私の中ではそれが当たり前に家族だった。
正直、どの人までが血の繋がりがある本来の意味での“家族”なのかは知らない。

それがどんなふうに、私に影響しているのかもわからないけど。私は、親しい友人を家族の一部だと思っている節があるらしい。
或いは、友人という概念が薄いのか。
つまり、血縁者やパートナー以外の他人が家に居ることにあまり頓着しない。

遠く離れた場所に住む友人と、朝から晩までカメラをONにしたまま通話して過ごしながら、物理的な距離感が曖昧になってその場にいるような会話をする。
「もう、こっちの部屋へ、いらっしゃいなさいな。」
そう言ってから、その距離の遠さと近さに気付いて笑う。
多分、私は、私のパーソナルスペースであるこの部屋の半分が誰にも侵略されることがなければ、それでいいのだ。

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