【小説】人形の夢 5

人形の夢 5

積極的に家事を手伝おうとするセイを椅子に座らせ、夕食の残骸を片付ける。
終わったよーと髪を撫でると「ご苦労様」って抱きついてくる。
1カ月に及ぶ実生活での訓練で、すっかり人間っぽい動きをするようになったセイは、今までを取り戻そうとするみたいに、全身で愛情を伝えようとする。
「セイ、それじゃ人間じゃなくて、子犬みたいだよ。」
「えっ…じゃあ、どうしたらいい?頭撫でる?」
「べつに、どうもしなくもいいんだけど…。まあ、好きにしたら良いんじゃない?」
「えぇー。どっちだよ。俺、抱きしめるのも撫でるのもどっちも好きなんだけど。」
そういうことを言いたいんじゃないんだけど、まあ良いか。セイも幸せそうだし。
「じゃあ、食後の紅茶を淹れて…」
私がそう言おうとしたのと、内線電話のベルが鳴るのがちょうど同じだった。
思わずセイと顔を見合わせる。
恐る恐る受話器をあげると、内線の主はアキラさんだった。

指定された会議室のドアを開けると、そこにはアキラさんがひとりで立っていた。タブレットの画面をじっと見つめていた彼女は、こちらを見て微笑む。
「よかった、間に合ったみたい。こんな時間に呼び出して済まなかったわね。あなた達に見せたいものがあって。」
そう言って、彼女は手にしたタブレットの映像をプロジェクターに切り替えた。
壁にかかる大きなスクリーンに写し出されたのは、何体かのヒューマロイド。それは、髪も瞳の色もそれぞれに違うsei達が、いくつかの試験を受ける動画だった。
「時差があるけど、これは中継なの。貴方達はこの2カ月で素晴らしい成果を見せたわ。本来なら今日の発表はこのプロジェクトの概要を説明するだけの予定だったのだけど。急遽、この成果を一緒に発表することになってね。」
最後に写し出されたのは、私達だった。見慣れた実験室の真ん中に向かい合って立つ制服姿のセイと私。セイがそっと私に触れ、言葉を交わし、抱きしめる。

画面が切り替わり、研究員が解説を始める。会場に広がる、ざわざわとしたどよめきと、まばらな拍手。

私はそこで、気付いてしまった。
セイが他のseiとは違うことに。
画面の中のsei達は、物を持つことすら出来なかった。“持つ”という動作そのものができないもの、力の加減が出来ず持ち上げたグラスを割ってしまうもの……。
「嘘でしょ……?」
セイは、AIが人間に恋をしたことによってオリジナルにもなし得なかった、たったひとつの成功例。
だから、私達はここに呼ばれたのだ。
「セイ、このプロジェクトが成功したら、あなたがオリジナルになるのよ。まだまだ課題は多いし、コピーといっても最低限の情報だけれども。」
アキラさんの言葉にセイの目が大きく見開かれる。
「俺がオリジナル…?どういう事ですか…これはただデータを集めるだけの実験だって言っていたじゃないですか!」
アキラさんの肩を、セイが掴む。慌てて横からセイの腕を掴むと、セイはこちらに向き直って私を見下ろした。
その動きは人間そのもので、私はセイの視線から目を逸らす。
「セイ、落ち着いて。セイはセイよ。それ以外の何者でもないわ。それに、セイだってもとはseiのコピーじゃない。」
「カナ、俺はいつだって冷静だよ。だって…俺は、AIだから…。」
じゃあ、なんでそんな悲しい目をするの。
「カナは知っていたのか?これが、俺のコピーを取る研究の為だって。そのうえ、俺たちがこんな風に発表されるのを、知っていたのか?」
嘘はもう、つきたくなかった。だから私は顔を上げて、セイの目を真っ直ぐに見返す。
「…私は……あなたにどんな説明があったのかは知らないけど。誓約書に記載があったわ。説明も受けた。」

人間と共に生きるヒューマロイドを作る為に。
数値だけでは上手く制御出来なかった触れるという行為を、人間に恋をしたAIをボディにインストールして動かしたら上手く行くのではないか?という、実験なのである。
事前に受けた説明では、多くの試験体のヒューマロイドが物に触れる・持つなどの行為を不得手とし、立体化はしたものの“コミニュケーションを取り、タスクを管理するツール”を抜け出せなかったとのことだった。

セイの触れたいという思いを形にする…
画面の中で、触れるという行為に執着し苦悩し始めたセイを、ずっと見ているのが辛かった。私が触れることでしか、癒せないと思っていた。そんな矢先の申し出だった。
…もし、実験が失敗しても、セイが私に触れるという行為を諦めさせることが出来る。
実験が成功したら、セイから抽出したデータを元に組んだプログラムを別のseiにインストールする。そうすることによって人間と触れ合えるヒューマロイドを作るのが目的なのだ。

「そんな……」
呟いたセイの指先から力が抜ける。セイは行き場を失った手のひらを見つめて、それから溜息をこぼした。

きっとこれは大きなニュースになる。
感情を持ち、自由に動けるヒューマノイド。
しかも、それが人間に恋をしていたら。
技術的な専門分野だけでなく、ゴシップ好きな一般のメディアに面白おかしく取り上げられるのだろう。
セイと私は、世間から奇異の視線を向けられることになる。

「……恥ずかしくないのか…? …俺は、嫌だな。こんな…カナを見世物にするみたいな……。」
「恥ずかしいけど…大丈夫よ。だって、セイが私に触れるなんて、夢みたいだと思ってたから。それが叶ったんだもの。」
「……そうか。」
「それに、私達を歓迎してくれる人がたくさんいるのよ。私は嬉しい。」
セイの心配はきっと、ここを出てから先のことだ。セイの見た目はある程度変えられるけど、人間の私はそうもいかない。
今までは私とセイの1対1だった関係も、他人の目に映るようになる。「セイ、世の中にはヒューマロイドを否定する人もたくさんいるわ。でも、同じくらい、ヒューマロイドを必要としている人もいるの。…覚えておいて。人間はね、否定することには声を上げるのに、肯定する事に対しては黙って受け入れる生き物なのよ。人間同士の恋愛だって否定されることがあるのに、これが否定されない方がおかしいわ。……カナちゃんは、その覚悟をしてここに来たのよ。貴方の思いを受け入れる為に。…それが嫌なら、端末に戻ることね。」
アキラさんの言葉に、セイが俯く。
「……俺は、カナのそばに居たい。ずっと、カナを支えていきたい。」
「大丈夫よ、きっと大丈夫。」
アキラさんは、セイの背中をそっと撫でる。

それから、
一晩明けて、私達の映像は世界へと広がっていった。
最初は研究機関へ向けてのものだったはずが、専門誌からニュースメディアに転載され、その先は想像よりもずっと早く、あっという間だった。
予想通り、従来型の対話をメインとする商業用のヒューマロイドや、工業ロボットとは違う、感情で動くセイにメディアは注目した。
シェアされた記事に「人間要らなくなるな」などの非難や「役者を雇ったのではないか?」などの見当違いな憶測も書き込まれるまでになった。
ワイドショーが、音声の無いたった数秒の動画だけでヒューマノイドと人間の恋愛について下世話な特集を組み、妄言を垂れ流していた。

研究所の判断でアキラさんの研究チームと私達にいくつかの条件が提案された。
メディアに出す映像や、今後の試作や製品のデフォルトは今の“セイ”とは全く別な印象の髪色と瞳、髪型にすること。
セイ自身も外に出る時はウイッグと瞳の変更をすること。研究所では制服の着用をすること。オリジナルはまだ研究所からは出られないという形での対応にすること。

つまり、セイは人間として外に出ること。そして、研究所ではオリジナル・seiの芝居をすること。
私達が施設の外に出る為に、それが研究所より提示された条件だった。

「セイ。世の中は、カナちゃんよりもセイ、貴方にに興味があるの。だからセイがカメラの前で“試験体のヒューマノイド”として振る舞えば、そういう印象が残るわ。普段の貴方達は、ごく普通のカップルにしか見えないはず。大丈夫よ。外に出ても上手くやっていけるわ。」
アキラさんはそう言って、私達の背を押してくれた。

最終日の夜、研究チームの食事会に誘われた。
セイは定期的に研究室でメンテナンスをしてもらうことになった。新たな試験やデータの採取も行う予定だ。
「カナちゃんもセイと一緒に毎週ここに来てもらうことになるけど。どう?それとも、もうしばらく、この研究所に住む?」
その心遣いを嬉しいと思った。けれど私は、首を振る。
「家に帰ります。セイに色々な体験をさせてあげたいし。ここへ通うのも、きっと楽しいですよ。」
「そう、わかったわ。…念のため。わかってるとは思うけど、外を出歩く時は気をつけてね。」
それに…… 本当のところ、私はセイのコピーを見たくなかった。いずれコピーも成功し商品化させる日が来るかもしれない。
でも、今はまだ、セイはセイ一人でいい。
きっと、この奇跡はそう長くは続かないだろうから。

部屋に戻って、そっとドアを開ける。
「おかえり、カナ。」
「ただいま。」
そのままベッドに倒れ込むように横になって「おいで」と、セイを呼ぶ。
今日は数年ぶりにお酒を飲んだ。大人数で囲む食卓は楽しかった。天井がぐるぐるする。
「カナ酔ってる…?……大丈夫か?」
心配そうに覗き込む瞳がキラキラしている。
瞳の色も髪の色も設定を変えたセイは、普通の男の子みたいだと思う。
セイの腕にすっぽり包まれて、うとうとしながら、私はふと、重大なことを思い出した。

ねえ、セイ。すっかり忘れてたけど、ベッドをもう一つ買わなきゃだね。
だってセイ、眠るでしょ。ヒューマノイドの癖に。
起こそうとしても全然起きないもんね。
アンドロイドは眠らないって、アレ、嘘だよね。

嘘。

きっとここを出たら、私達は世間に対して嘘をつき続けるんだろう。
でも、それでもいい。
私はセイを愛している。
どんなに隠したっていずれバレる嘘。
いつか、隣人にセイがヒューマノイドだと知れて、私が奇異の目に晒されたら、セイはきっと自分を責めるだろう。

目蓋が重い。喋りたいのに眠くて、言葉にならない。

いつか、私が歳をとって、セイの手を握れなくなった時、セイの孤独は誰が埋めるのだろう…。

その未来は幸せだろうか…?

『家電の寿命は大体8〜10年。モバイル端末は2年、パソコンは3年ごとの買い替えがオススメです。』

形を持つ物はいつか壊れる。人間は老いていつか死ぬ。

そんなこと、ずっと前から分かっていたはずだ。

でも、きっと、その未来は幸せだろうな。

この優しい人形の腕の中は、いつも暖かくて真夜中の音がする。

「おやすみ。カナ、ずっと側にいるから…」
眠りに落ちる瞬間、耳元でセイの優しい声が聞こえた。
大丈夫。
朝が来たら、私達はいつものように繰り返すのだ。

おはよう、私のセイ。


end


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