米津玄師『感電』が好きだ

先日、米津玄師さんが新曲をアップロードした。学生の頃から彼のファンで新曲が発表されると欠かさずチェックしている。noteを始めたきっかけは前回記事のためだが、折角の機会なので今回はこの『感電』について触れたい。どうせ誰も読んでないし小説を書くのにも飽きている。

曲名にひどく惹かれた

見出しにある通りだ。感電という文字の強烈さがすごい。家電を買ったときなどに目にすることもあるかもしれない「感電」の文字は、聞き慣れない言葉というわけではないが、それでも日常生活においてあまり口には出さないものだ。彼が歌詞に織り込む言葉は、一般人ならあまり結び付けないようなセレクトが多い。そこもまた非凡で魅力的なのだが、今回は異彩を放っている予感がしていた。

どうしてこの言葉を選んだのだろう、感電というタイトルをつけたくなるような歌なのだろうか。そんな期待に胸を膨らませて動画を再生する。

曲を聴いた私は「ん?」と首を傾げながら歌詞を調べた。そしてまた「ん?」と首を傾げた。感電の要素はどこにあったのだろうかと。

私は言葉の正しさにあまり強くこだわらない。こと歌詞というものに関しては、全体を通した何か一つのメッセージを伝えるための表現の一部となるからだ。よって、私はそもそも歌詞をあまり眺めずに曲を延々と聴き続けて噛んでいくタイプだ。だが彼の歌に関してはしばしばこうして考えるのだ。そうでなければ米津玄師という名のビッグバンには飛び込めない。

歌詞に注目する

あらためて全体を見てみても感電という要素は見受けられない。強いて言えば「稲妻」は共通点があるくらいか。だが感電と稲妻を結びつけるのは安直な気もする。

どのあたりが「感電」なのかわからない私は曲全体の印象をふんわりと捉えてみることにした。深読みせずに述べるとしたら「だれかと共に苦楽を分かち合いたい」のだろうかというところだ。

現在の社会情勢もあってか「これまでの日々が制限されることへの圧迫や喪失感」「思うように事が運ばないことへの無力感」「悲観する間も与えられずやってくる日常を脱却したい願望」などを煽られる。すべてを置き去りにして、自分の心を動かすものを追い求めていけたら。そして願わくはだれか傍にいてくれたら。そんなメッセージが込められているのだとすれば、わかりみ5000万点でしかない。

軽快な曲調でありながらどこか感傷的な雰囲気が漂っているように感じるのはそういった解釈をしたからだろう。米津さんの気だるげな声も一役買っているかもしれない。音楽の知識や技巧があるわけではないため、感傷的な雰囲気に聞こえる理由を音楽用語で説明できないことが悔やまれる。

見方を「感電」現象を中心にして考えてみる

米津さんが感電という現象を曲名にしたのはかならず何かしらの意図があるはずだ。彼は以前、聖書を読みながら曲を作ったことがある人なのだから。

米津さんのおかげでもうインターネットで「感電」と検索をかけても現象の説明ページはヒットしなくなった。流石だ。感電とは身体に電気が流れることを言う。漏電や落雷によるものを想像する人が多いだろう。

私は静電気以外の原因で感電したことはない。静電気を受けて感電と言えば少し仰々しい感覚はするが。それに加えて、静電気で受ける電気と、漏電ましてや雷で受ける電気とでは電力量が桁違いだ。ただあえて同列に語るとすれば、感電すると「ウワッ!!静電気きた……最悪……」としか考えられなくなる。つまり、頭の中が一瞬真っ白になったあと静電気のことしか考えていないわけだ。もしかすると米津さんはこの意識が弾けて白む感覚を歌っているのだろうか。

たった一瞬の このきらめきを
食べ尽くそう二人でくたばるまで
それは心臓を 刹那に揺らすもの
追いかけた途端に 見失っちゃうの

そんな気がしてきた。これらは感電の暗喩かもしれない。今いる世界の理から飛び出して行方も動機もわからないまま笑い合ったり喧嘩したりする素晴らしさを感電に例え、さらに「たった一瞬のきらめき」や「心臓を刹那に揺らすもの」と言っているのであれば、米津さんの感受性の豊かさにあらためて脱帽するほかにない。

そうなると「稲妻のように生きていたいだけ」という歌詞が少し浮いてくる。字を額面どおり受け取れば、すでに米津さんは「一瞬のきらめき」となっている。だが米津さんはあくまで「感電」しているはずだ。(体裁上「米津さん」と表記したけど「米津さんは感電している」の字面が与える奇妙さがすごい……。)

「感電」とは電気を受ける現象、稲妻とは電気そのものである。つまり、ここは感電した米津さんが今度はその身に受けた電気をそのままだれかに発する存在となる、そのように生きたい。という意味が込められているのではないだろうか。最初にふんわりと捉えた「だれかと共に苦楽を分かち合いたい」という印象と近いところに着地したのではないだろうか。

納得できたような、できていないような。だれかと答えをすり合わせたい気持ちでいっぱいであり、できれば答えがほしい。ただ書くことで解釈に深みは出た。

ここまで考えておいて歌詞に全く違う意図が込められていたとしたら恥ずかしい。ドラマ『MIU404』の主題歌なのだからドラマの内容を反映しているのかもしれない。同製作陣によって生み出されたドラマ『アンナチュラル』も人気を誇っていたのは当時耳にしていた。私はほとんどテレビを見ないのでどちらも未視聴のままだが気になっている。

ところで

歌詞にばかり触れたが本当にいい曲だ。まさに痺れるような中毒性がある。彼は以前、何から何まで一人で生み出すセルフプロデュースの化け物だったが、プロデビューしてだれかと共に音楽を作り出すようになって更なる化け物になってしまった。当時は「万人受けする曲を作るようになったな」くらいの変化しか感じていなかったが『Lemon』以降は一体何を見せられているのかという気持ちにしかならない。

『感電』はここ最近の曲でも昔の雰囲気を感じられる曲だと個人的に感じた。繰り返し歌われる以下の部分だ。

肺に睡蓮 遠くのサイレン
響き合う境界線
愛し合う様に 喧嘩しようぜ
遣る瀬無さ引っさげて

ハチさんっぽい。まあ米津さんの曲はハチさんっぽさがなくとも個性的だが、ふとしたときに彼のこういった独特の世界観が顔を覗かせるのも『感電』を好きだと感じた点だろう。ベースの音だろうか、低い音がずっと背景で鳴り続けているのだが、それがこのパートだけは不整脈のようにドッド、ド、ドド、と鳴っているのも面白い。

8月にこの曲を含めたアルバムが発売される。収録曲には未発表のものもあって楽しみだ。発売日まで、もう少し「感電」を味わいたい。

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