ナナメさん画像

ナナメさん#003 ちあきさん

ちあきさんのプロフィール

・36歳、女性、山形県高畠町出身

・通った学校について教えてください:米沢興譲館高校→茨城大学人文学部

・部活動
音楽部(合唱)(高校1年)
グランドホッケー部 (高校2・3年)
邦楽サークル(琴・三味線)、旅行サークル(大学時代)

・好き(得意)だった教科・分野:国語・日本史
・嫌い(苦手)だった教科・分野:理科

・卒業後の略歴
大学卒業後、地元の金融機関に就職。地元置賜と夫の赴任先であった首都圏とで計6年勤務。第一子出産後、福祉系NPO法人に再就職。子育て中ママ向け再就職相談事業など携わる。現在は山形の人材紹介会社で転職支援に関わりながら、個人としては山形ママ向けに活動中。

・現在の家族構成:夫・娘(7歳)・息子(2歳)

・休日の過ごし方:家族とのんびり

・おすすめの本:メモの魔力

ウルトラマン

親子でウルトラマンが大好きなのだそう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ふたりのお子さんを育てながら、昨年夏にキャリアコンサルタント試験に合格。そして個人で活動しながら人材紹介の企業に入社。仕事の幅を着実に広げているちあきさん。しかし、ここまでの道のりは決して平坦なものではなかったとのこと。
学生時代からこれまでの歩みをお聞きしました。

様々なことに興味を持ち、挑戦してみた学生時代

――まず、高校をどのように選んだのか、教えていただけますか。

中学生の時から漠然と「大学には行くんだろうな」と思っていました。父の大学時代の話をたまに聞いていたので。中学時代までは成績もよかったので、自然な流れで進学校を選びました。当時はプロ野球を観るのが大好きで、大学に行ってマスコミ業界に入り、スポーツの取材をしたいなと思っていました。

――高校に入ってからも軸はブレなかったですか?

マスコミへの熱意は少し薄まっていましたが、進路選択の授業で「社会学」という学問があることを知って。特にジェンダーについて説明してあった部分に興味が湧きました。「男らしさ」「女らしさ」とは何か?みたいな分野ですね。小さな頃から、母が「嫁」として苦労しているのを見て育ったので「どうして女の人はこんなに大変な思いをしなければならないんだろう」と思っていたからだと思います。

――それで社会学を学べる大学に?

はい。あとは田舎で育ったので都会への憧れがあり、「社会学」「関東」「国公立大学」という観点で大学を選んでいきました。

――大学のお話を聞く前に、高校時代をどう過ごしたかお聞きしたいなと。部活には入られていましたか?

1年生の時に合唱部、2・3年生の時にはグランドホッケー部に入っていました。中学の時に合唱が楽しくて、高校で合唱部に入ったのですが、あまり活動が盛んではなく、ちょっと物足りなく思っていて。そんな時グランドホッケー部の子に誘われて、移ることにしたんです。合唱部の仲間には引き止められもしましたが、もう気持ちは決まっていたのでスパッと移りました。

――高校時代の勉強にはついていけましたか?

そうですね、何とか。でも理科には苦労しました。特に化学!先生が言っていることも、クラスメイトが質問している内容も、本当にサッパリわからなくて。テストで30点台を取って衝撃を受けたことを今でも覚えています(笑)

――私も化学で32点取ったことがあります…。仲間がいた(笑)
さて、それでも見事大学に合格されたわけですが、大学での勉強はいかがでしたか?

大学は社会学だけでなく、経済や法学など幅広く学べて面白かったです。研究室の先生もいい先生で、居心地がよかったですね。先生とは社会人になってからもたまに連絡をとっています。

――どんな大学生活を送っていましたか?

何か一つのことに熱中したというよりは、勉強もサークルもバイトも楽しんだ感じです。
サークルは旅行サークルと邦楽サークルに入っていました。旅行サークルは、誰かの車に乗せてもらって日帰り旅行して、夜は飲み会みたいな感じ。色々なところに行ってみたいという気持ちはあったし、仲の良い人が旅行サークルにいたので私も入ってようかなと。邦楽サークルでは琴や三味線に挑戦していました。ピアノをずっとやっていたんですけど、大学ではちょっと変わったことをやってみたくて。楽しかったです。

成人式の日が転機に。山形での就職を決意

――大学に入ってからも、ずっとマスコミ志望だったのですか?

初めのうちは漠然と「マスコミ」と考えていましたが、本当にそれが自分がやりたい事なのか自信がなかったし、希望の分野に配属が叶うのかなど、不安もあったと思います。そんな中、成人式に出席したのですが、それが転機になりました。

――成人式ですか。どんなことがあったのでしょうか。

来賓の挨拶で「あなたたち一人で、成人の日を迎えたとは決して思わないでほしい」との言葉があって。家族に感謝してね、という内容の挨拶だったと思うのですが、私は当時県外にいたこともあり、家族はもちろんだけど山形の風土・食・人など山形で暮らした環境が今の私を形作っているのだと猛烈に感じたことを覚えています。
加えて、成人式の懇親会で旧友たちとお酒を楽しんでいるときに「地元にいる友人がほとんどいないんだな」と分かったことも大きかったです。このまま誰も山形に戻らなければ、山形という私を形作ってくれた場所そのものが衰退してしまうなあ・・という危機感のようなものを勝手に感じました。そこで山形で就活することに決めたんです。

画像3

ちあきさんの地元 高畠町の名所「瓜割石庭公園」


――なるほど。どんな企業を受けたのですか?

当時、私の地元で「大卒女性」が「新卒」で入れる会社は多くなかったです。県外の大学だったので山形の企業からの求人票も来ず、リクナビなどに掲載のあった会社や、就活セミナーで出会った会社にエントリーしました。正直、選択肢は少なかった気がします。それでも何社か内定をいただき、「地元に経済面で貢献できそう」との考えから金融機関を選びました。

就職して目の当たりにした「働く女性の現実」

――金融機関に入ってみていかがでしたか。

私は総合職での入行だったのですが、同期の総合職が数十人いる中で、女性は数人でした。今でも覚えていますが、同期の女性が男性から「自分は仕事がデキると思ってるから総合職にしたんだろ」と言われているのを見たんです。その子は泣いちゃってて。自分もそんなこと(自分は仕事がデキる)を思って総合職を選んだわけではないのに、周りから、同世代の同期の男性からそんな風に思われることがあるんだ、とショックでした。
支店に配属になってからも、「総合職だから」と会議や研修に呼ばれることが多くあり、一般職の人も同じように働いているのにな、とモヤモヤとした気持ちが生まれることもありました。
この経験も、ジェンダーにずっと関心を持ち続けている理由の一つになっていると思いますね。

――なぜ総合職を選ばれたんですか?

性格上、決められた業務をやり続けるというよりも、色々な仕事を幅広くやってみたいと思うようになるだろうな、と思ったので。それに実家に戻りたいとは思っていたけど、そのうち別の地域へ出たくなるだろうとも思ったし。自分の興味と特性で選んだ感じですね。

――ご結婚されてからはいかがでしたか。

はい。入社して丸四年で結婚することになり、夫の赴任先であった首都圏へ私も引っ越しました。そこでも私はそれまでと同じ金融機関に勤めていたのですが、とても小さな支店だったので、自分の裁量で色々できて楽しかったし、上司や同僚にも恵まれて。一緒に働く人が違うだけで、同じ仕事でもこんなに違うんだなと思いましたね。そのうちに妊娠し、夫の異動に伴って山形市へ引っ越しました。

――出産後は、また働きたいと思っていたのでしょうか?

私は働き続けたいと思っていましたが、会社の事情がありやむを得ず退職することになりました。自分で「辞めよう」と決めたわけではなく、「そうせざるを得なかった」退職なので、悲しさ、悔しさ、見返したいという気持ち…色々な葛藤がありました。この時のことは、今もどこかにずっと引きずっている気がします。

「やっぱり働きたい」。保活、就活を経て、未経験の仕事に飛び込んだ

――産後、再び働き出した経緯を教えていただけますか。

やっぱり働きたい、と思ったんです。専業主婦のときは社会から取り残される感覚や、居場所を失ったような感覚がありました。なので、仕事への気持ちがどんどん高まって。そもそも自らの決断で退職したわけではなく、会社の事情での退職だったので、ここで立ち止まりたくないという想いが強くありました。そこで、「求職中」ということで保育所を探しました。決まるかどうかもわからない、でももし決まったら仕事探しだ!って。知り合いの保育士さんから話を聞いたり、保育所を見学に行ったりして、申し込みました。そしたら幸い保育所が決まって。急いで就職活動をしました。そこで出会ったのが福祉系のNPO法人でした。

――そこではどんなお仕事をなさったのですか?

色々な業務に携わりましたが、一番力を入れて取り組んだのが、子育て中のママ向けの再就職支援事業です。それにはリーダーとして立ち上げから関わりました。金融機関では経験したことのない業務ばかりで、周りに聞いたり自分たちで考えたり何とかやってた感じですが、新しい分野の事業全体を広く見ることができ面白かったです。

――慣れない仕事で大変ではなかったですか?

異業種の仕事と、子どもの新生活と二つのスタートが重なり大変な面もありました。ですが、私は同僚に恵まれました。私ひとりの力ではなく、同僚と一つひとつの事業を創りあげた感じがします。また、プライベートでは子どもの保育所の保育士さんや、他の保護者との出会いも大きかったです。

――どんな人が周りにいてくれるかは、本当に大きいですよね。よかったです。

ただ、その頃私の夫は仕事が忙しくて帰宅も毎日遅くて。仕事はやりがいもありましたが業務量の多さと責任の重さ、それにワンオペ育児、二人目が授からないなどいろんなことが重なって、メンタルを壊してしまいました。ギリギリまで「今日は絶対これをしなきゃいけないから、行かなきゃ…」みたいな感じで出勤していたのですが、とうとう動けなくなって。周りの勧めで病院に行き、即休職が必要と判断され、3ヶ月後に退職しました。

家族の支え、そして療養中に授かった赤ちゃんが、気持ちを前向きにしてくれた

――そうだったんですね…。

でも、ありがたいことに、夫も、夫の両親も私の両親も、誰も私を責めたり非難したりすることがなかったんです。病気の私もしっかりと受け入れてくれた。家族の支えを受けて、ゆっくり回復していくことができました。
そんな時に、第二子を授かったんです。

――おお!おめでたい…ことですが、まだ療養中だったんですよね。実際どのようにお感じになりましたか?

ずっと欲しいと思っていたのですが、正直、戸惑いもありました。でもお腹にもうひとつの命があるのを感じることは、前向きな気持ちに繋がりました。

――そしてご出産後は、しばらく育児とご自身の療養に専念していたんですね。

はい。それで息子が1歳になる頃に、定期的に通っていたメンタルクリニックを卒業したんです。自分が「病人」じゃなくなったことで、とても開放感がありましたね。それで、これから何しよう!と考えていたところ、金融機関時代の同期のことをふと思い出したんです。彼は私と同じ頃に金融機関を辞め、新しい仕事にチャレンジした後に、先輩たちと人材紹介会社を立ち上げていました。彼とは時々連絡を取っていたのですが、療養に入ってからはほとんど連絡をとっていなくて。久しぶりに会って話をしていたら、自分がキャリアコンサルタントの勉強をしていたことを思い出したんです。

テキスト

思い出した、「働く女性を支えたい」という想い

――へえ!そうだったんですか!いつ勉強されていたんですか?

NPO法人で再就職支援をしていた際に、再就職を希望される方に対して自信を持って相談に乗れるようになりたいと、勉強をしていたんです。資格取得のための講座に通って、学科と実技のうち学科試験は合格済みでした。ですがそのまま休職、退職してしまったのでもう取ることはないだろうな、と思っていたのですが…。

彼と話をしたことで、自分が誰かの「働く」に関わったり、応援したりすることに興味ややりがいを持っていたことを思い出したんです。そこで、もう一度勉強して、キャリアコンサルタント資格を取ろう!と決意。仙台に通って実技試験対策の講座を受け、去年の夏に合格することができたんです。

――それはよかったです!おめでとうございます!

初めは、フリーで活動していこうかと考えていました。以前やっていたような女性の再就職支援のほか、育休中のママの復帰準備や、働くに限らずモヤモヤしたママの相談にも乗ったりしたいなって。でもその人材紹介業をやっている元同期の会社の人と会って話をしたり、少し一緒に仕事したりしていくうちに、自然な流れで「正式に入社して一緒に働こうか」となって。
今は、これまでの経験から、「心身の健康」と「家族」を大切にして働きたいと強く思っているのですが、私のこれまでの事情を理解した上で、フリーでの活動も応援するし、出勤日なども調整できるよと受け入れてくださったので、本当にありがたく思っています。

――ちあきさんが今の職場に巡り会うことができて本当に良かったです!最後に、今後の目標や、挑戦したいと思っていることをお聞かせください。

まずは、勤め始めたばかりの今の会社で、人材コンサルタントとして歩めるようになることが当面の目標です。山形で転職したいと思ったとき、仕事で悩んだときに、一人で悩むのではなく、会社の存在を思い出してもらえるようにしたい。もしくは私の存在を思い出してもらえるようになりたいです。お取引企業の声も、実際にいろいろお聞きして山形のリアルを知ったうえで、業務に活かしていきたいですね。
あとは、私自身、専業主婦をしたり、ワンオペでフルタイム勤務したりと色々経験したことで、「働く」の部分だけでなく、「子育て」「生活」の部分でも、同じくらい悩みが生じるのだなと実感しました。それに、女性は身体の変化もあるし、体力も男性ほどなかったりもする。そんな山形の女性の「働く」や「生きる」について関わったりキャリアを共に創ったり、何かしらの助けになりたいなと考えています。

メモの魔力

相談相手だけでなく、自らとも向き合い続けるちあきさん。

「ずっと上り調子だったんじゃなくて、上がったり下がったり色々ありながら、気づいたらここにいた」と語るちあきさん。自分の経験を誰かのために生かしたいと行動する姿は勇気をもらえます。ちあきさんの活動によって、これからたくさんの女性が、それぞれのペースで前に進んでいけるはず!と感じました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?