慰霊登山へ

2006年9月23日



風化とは何だろうと思う。
少なくともここ上野村ではそんなことは有り得ない。

昭和60年12月20日、前橋のスポーツセンターで身元不明遺体の出棺式があった。
その時の上野村村長黒澤丈夫の式辞である。

諸霊 願くば諒とせられよ。
事故を振り返って、故障発生後約30分間諸霊が死の恐怖と戦いつつ、肉親を思い悩まれ、搭乗機の操縦機能回復を祈られた御心情を思えば、我等の胸は張り裂けんばかりで惻隠の情を禁じ得ません。
肉親への思愛の情は理を超越して限りなく、人生一日も長かれと希うは万人の望み、それを突如発生した事故ゆえに、消滅せられた諸霊とご遺族の心中を察すれば、生者必滅は人の世の定めとは言え、余りにも非情な別離に誰か涙なきを得ましょうや。
況して一命を失なうだに不運なるを、死して尚肉親のもとに帰り得ない諸霊の悲運を思えば、涙更なるを覚えます。噫、天も哭け地も哭け。

(財団法人慰霊の園発行「鎮魂のしおり」より抜粋)


昭和61年8月3日、慰霊の園で一周年の追悼慰霊式があった。
同じく黒澤村長の式辞。
村長はその最後をこう結んだ。

上野村民は、今諸霊をこの地に祭り得て厳かに祈ります。諸霊願わくば、この地に心安かに眠り、我等と共に上野村の天地に懐かれ給えと。
(中略)
終りに私は、諸霊と上野村民との交りが、霊界と現世と遠く離れて始まったことを悲しく思います。我々は霊の存在を信じ真心をもって諸霊を供養申し上げます。

庶幾くば安んじて
眠り給え

(同「鎮魂のしおり」より)


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