紫匂ひ


「美」に憑かれた男二人の対談集。
陶工唐九郎に乞われて「紫匂ひ」と命名した文士立原は、刃のような審美眼で、碗を創造した陶工の美意識までを切り削ぎ、己の内面に取り込んだ。
そして「美」の儚さと強靭さの実体を信じた。
志野茶碗の名品はこうして逸品に成り得たのだ。
「喫茶去」の精神を知らしめる一冊。

「喫茶去」の三文字には気品がある。
禅と茶の精神は一体。
公案の出典は中国の高僧、趙州禅師。
貴賎や貧富、人品の区別なく茶を振る舞う心。

鍛えられた美は普遍である。
美とは精神の背骨である。
座禅後の一服を僧房で頂く。
すると公案の真理が視えて来る。

かつて文部省は生活雑器の益子を芸術と錯覚し、俗物老人を人間国宝に認定した。
唐九郎とて俗人には違いないが、美を認識する眼は確かだった。
文化庁の高松塚古墳での失態も記憶に新しい。
もっとしっかりしてくれい!

皆さんには退屈でしょうが、私はこんなことを想い、こんな文を綴っているのが楽しいのです。

今日はこのくらいで。

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