君はいま駒形あたりほととぎす

2011年5月20日





この季節、それも駒形となれば、自然と口をつくのがこの句。
何とも爽やかな印象を受ける名句だ。
作者は新吉原の高尾太夫。
代々継がれた花魁の大名跡である。
客に惚れてはいけない掟の遊女ながら、その心情は可愛らしくいじらしい。

高尾太夫で思い出すのは、落語の「紺屋高尾」と「反魂香」
どちらも真っすぐで慎み深く、教養もあり、一般的な娼妓のイメージとは違う。
「品川心中」のお染などとは対極に演じられている。
それほど「できた」女性だったのだろう。

何代も継がれた「高尾」だが、句が何代目の作かは分からない。
伊達騒動にからむ高尾が刺殺され、一般的にはこの高尾が詠んだ句と解釈されているようだが、この時の女性ではないようだ。
また、紺屋高尾とも違う。
いずれにせよ、苦界に生きる女性とも思えぬ、単純明快ですっきりとした明るい句に仕上がっている。

さて、巷間の解釈は、高尾が想い人を待つ句だとしている。
そうだろうか。
私には、ありふれた季語の「ホトトギス」が、判断の邪魔をしているように思えて仕方ないのだ。
この場合のホトトギスは初夏の爽やかさを表している。
ならば客を待つ夜ではあるまい。
一夜を共にした愛しい男が「中」を出て、自分から遠ざかっていく情景ではないか。

今は公園になっている、かつての山谷堀を猪牙舟に乗って今戸から大川へ出て、そのまま少し下った辺りが駒形だ。
早朝か昼近かったかは分からないものの、高尾は、かりそめの一夜を思い返し、余韻に浸りながら男の背中を思い、大川の緩やかな流れと、まぶしい空の下で、川波に揺られて遠ざかる舟さえいとおしく感じている。
そこには、我が身を売る惨めさなど微塵もない。
小説の世界の話になるが、石川英輔描くところの大江戸シリーズの芸者、「いな吉」が、高尾太夫と重なった。
「いな吉」は想い人以外には、決して身を委ねなかった。
男にとって究極の理想の女性として描かれている。

江戸時代にはまだ無かった、東詰から見る駒形橋。
当時の風情を偲ぶ縁の何ひとつ残ってはいない。
想像が及ぶとすれば、この辺りから上流の吾妻橋にかけて、空襲による犠牲者が、川面を埋め尽くすように浮かび、流れて行ったという古老の話くらいだ。

「駒形」を使って句を作ろうと、ゆっくり歩を進めた西詰は初夏の光に満ちている。
隅田川の川風が頬に心地よい。
高尾に及ぶ句など、出来るはずもなかった。

橋のたもとにある「駒形堂」
橋が架かるまでは、ここから「駒形の渡し」が出ていたらしい。

駒形といえば「どぜう」
ここが「駒形」の地名であることに気付いた。
高尾の想い人は舟ではなく、徒歩で帰ったこともあり得る。
昔の町名は「浅草駒形町」といったはず。
男はめくるめく高尾との一夜などすっかり忘れ、案外ここで、夜に使い果たした精気を取り戻していたのかも知れない。
もし付け馬が一緒なら、それこそ落語の世界だ。
少しだけ、江戸時代に触れた気分になった。

哀しい定めと知っているから、この句の明るさが憐れで辛くなる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?