女郎蜘蛛の食事



テレビなどでよく見る光景だが、サバンナで肉食獣が草食獣を捕えて首に噛みつき、息の根を止めようとする傍から、他の仲間たちが腹に牙を喰い込ませて草食獣の内臓を貪り食う場面に出くわすと、残酷だなと思う。

それは生きながら己の肉体を喰われてゆく心持ちを自分の身に置き換えて想像してしまうからで、弱肉強食とか自然界の摂理とかわかっていながら、生きることや死んでゆくことの現実の姿に圧倒される。

食事中のジョロウグモ(女郎蜘蛛)を見た。

捕えた獲物は新しいものではなく、すでに黒ずんで干乾びているように見える。
その大きさからコオロギかミツバチあたりだろうと見当をつけるのだが、よくわからない。

餌食になった昆虫に意思や感情が無いと思うのはこちらの勝手な判断で、だからこうして見ていられる。
たとえ感情や苦痛があったとしても、生態系のバランスがこうして保たれているのだと思えば助けることはしない。

少しの時間、観察した。

獲物の体液はほとんど吸い尽くしただろうに、それでも獲物を器用にクルクル回し、名残惜しそうに、まだ食事を続けている。

ジョロウグモの腹が毒々しい色彩だから何となく嫌な光景だなと思ったりもするが、クモにしてみればやっとありつけた貴重な食事だから、獲物は粗末にしない。

こんなところは人間も見習うべきで、以前、ファミレスでのこと、体格の良い30代とおぼしきサラリーマンらしき男が、頼んだ大盛りライスを半分以上残して出て行ったのを目撃した。

注文した料理が届く前に、サラダバーで山盛りのポテサラやコーンなんぞに喰らい付いていたので、ライスは食べ切れなかったのだろう。

こんな時は親の顔も見たく無くなるし、やはり氏より育ちなのだなと思う。
思うだけで口には出さない。


30分後にまた見たら、獲物は廃棄されていた。
干乾びてミイラ状になった獲物は、やがて土に還るのだ。

生きたまま腹を喰われるのと、体液や血液を吸われるのは、昆虫にとってどちらがよりマシかと考えたが、神経や感情が無ければどちらも同じなのだろう。

人間だって肉食をするのだから、日々の食事は感謝して食べようと、幼稚園児的な、それでいて宗教の根源的な心情が甦った。

小学生の時は、ハンバーグは食べられたが、ステーキやすき焼きは食べられなかった。
食肉になる以前の姿を想像してしまったからで、そのせいかどうかはわからないが、ずいぶん虚弱な子供だった。
私の肉は、すべて兄が食べてくれていた。
思えば極端な感情移入をしていたのだと思う。

大人になっても平気で食事を残す人は、どのように育てられたのだろう。
親の顔はおおよその想像がつくから、やはり見たくはない。

ちなみに、私の親の顔が見たいという奇特な方がいらしても、両親はすでに他界しているので不可能であります。
でも食事を残すなんて破廉恥な真似はしないから大丈夫、たぶん…。


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