唐松尾山登山

1995年12月6日 (水曜日)


 前回と同じ中島川口の登山道入口に着いたのが午前五時少し前。まだ辺りは深い闇の中で、見上げれば満天の星と、時折疾る流星が今日の晴天を約束してくれているようだ。流星は突然あらぬ方角から現れ、そして一瞬に消滅してしまうので、あわてて「読み書き算盤!」と叫んでも、なかなか間に合わない。車の中でサンドウィッチを頬張りながら、飽かずに空を眺める。

 すぐ南の一ノ瀬高原に開けた谷筋の先の方からじわじわと明るくなり始め、それを待って支度を開始し、六時三十分スタート。天気予報と素人の観天望気を頼りに、パッキングからポンチョ、ザックカバー、スパッツを外したので、今日はいつもよりひと回り小さなザックで済んだ。

 今日目指すのは唐松尾山。最初に組んだ計画では、ここから三ノ瀬まで車道を戻り、七ッ石尾根から牛王院平を経て唐松尾山へとしていたのだが、実際にここまで来て、たかだか二十分とはいえ、どうも車道歩きが嫌でたまらない。何か他に良いコースはないものかと市販の地図で思案しているうちに、ふと水源林の巡視道があることを思い出した。地図には載ってないので実際に現地へ来なければ分からない道だが、踏み跡は明瞭なはずだ。入口の案内板で確認すると、少し妙な組み立てにはなるが、充分に使えそうだ。迷わずに予定を変更する。

 まだ夜も明けやらぬ薄暗い道を行く。歩き始めてすぐの落葉松の植林帯は、まだ闇が濃く残り、バサバサと天狗でも現れそうな気味の悪いところだ。

 馬止から右に巡視道へ入る。落ち葉に深く埋もれてはいるが、コース自体は至って明瞭だ。何本かの枝沢を渡り小さな枝尾根を巻きながら、倒木をくぐったり乗り越えたりして、ほぼ等高線に沿って東へ向かう。右手には木の間越しに大菩薩が見え隠れしている。

 落葉松林の樹相が薄くなり、やがて平坦な、山道というよりはどこかの田舎道のようなところに出る。正面には、跳び箱が傾いたような飛竜山が大きな横っ腹を見せている。ガサガサッという音ですぐ横の落葉松の木を見れば、5メートルほどの距離で可愛らしいホンドリスがこちらをジーッと見つめている。気がつけば、ここが十字路になっていた。明るく開けた、陽の当たる気持ちのいい場所だ。登山道ではないので標識は何もないが、左へ行く。巡視道ではなく、林業の作業道のようだ。長い間かかって自然に踏まれた道とは違い、山の斜面に人為的に拓かれた新しい道であることが、道上に点々とある切り株で知れる。

 右に飛竜山、背中に大菩薩、空は雲ひとつない。朝陽を心地よく浴びながら、尾根上の明瞭な道をじわじわと高度を稼いで行く。地図を取り出して確認すると、どうも中休場尾根らしいが、地図にない道を来ているのではっきりしない。まあ方角は間違っていないので心配することもなかろうと先へ進む。

 時々振り返って見る大菩薩が、黒川・鶏冠山の奥から少しずつせり上って来て、登りの苦労などこれっぽっちもない。その左に頭を覗かせているのは雁ヶ腹摺山だろうか。それにしても端正な大菩薩の姿だ。きれいなピラミッドで堂々と座り、どうだ、立派だろうと、その存在を主張している。

 何度となく振り返り、「いいなぁ、来てよかったなぁ」と口に出してみる。その何度目かの時、思わず「あっ」と声を出してしまった。大菩薩のわずか右に、雪をまとった富士山が顔を覗かせていた。少しも気づかなかった。いつの間に現れたのだろう。それはあまりにも唐突だった。足を止め、その姿に惚れぼれと見入ってしまう。偉大なる通俗。その通俗なるが故に万人を惹き付けてやまない富士山。さすがに素晴しい。

 じっくりと見入るために、もう少し高度を稼いでから小休止しようと先を急ぐ。道はジグザグを切って斜面を上って行く。広く明るい空に、そろそろ縦走路へ飛び出るのではないかと期待するが、なかなか現れてはくれない。そうこうしているうちに落葉松の林に入ってしまった。もっと高みから富士を見ようと色気を出したのがいけなかった。仕方なく、それほど眺望の利かない林のはずれで小休止として、水筒の水で喉を潤した。風もなく穏やかな日和だが、五分もしないうちに身体が冷えてきたので、トレーナーを出して重ね着する。考えてみれば、ここはもう1,700メートル前後の高度があるのだ。早々に腰を上げる。

 手入れのされていない落葉松林の平坦な道をわずかに行くと、見ただけでうんざりする直登が待っていた。しかし、この状況は稜線や縦走路へ出る最後の詰めによくあるパターンなので、ゼイゼイと息を切らしながら、ここが正念場と、期待とやけくそ半々で登って行く。

 八時ちょうど、案の定、ひと頑張りで縦走路に飛び出した。小さな標識があり、ここまで来て自分のたどって来た道が、やはり中休場尾根だと知れた。左、笠取小屋へ70分、右、将監峠へ90分とある。

 ここから縦走路を東に、将監峠方向へ行く。ほとんど高低差のない日だまりの気持ちのいい道だ。すっかり葉の落ちた白樺の林、その枝や梢の奥に真っ青な空が広がり、そのコントラストの美しさにため息が出る。数年前の豪雨で道が荒れたと聞いていたが、コース自体もよく整備されており、家族ハイクも充分できそうな道だ。ただ、一ノ瀬川の源流を何度もまたぐので、日が当たっているとはいえ、沢筋はかなり凍結している。また、場所によっては落ち葉に隠れた部分が凍っていたりしていて、ある程度は神経を使う。二十数年前の夏、汗みどろになって雲取から歩いて来たことが懐かしく思い出されるが、いま歩いているこの道とはどうもイメージが重ならない。もっとも、当時は暑さに喘いで、豊富にある水場を通るたびに、源流の水をガブ飲みしていたことしか記憶にはないので、それも仕方のないことだ。
 

 水筒の水を捨てて氷結しかかった沢の水を補給したり、カメラを構えたりビデオを回したりしながら、のんびりと行く。
 やがて進むうちに豪雨の爪痕ともいうべき個所が現れ始めた。荒れた沢、深くえぐれて無残な姿をさらす沢筋に頼りない木橋が架っていたりする。沢だけにとどまらず、斜面の上部からザラザラと崩れ落ちて来る風化した砂礫が、復旧処理をした後のコースを埋めかかっている。

 かなり山の神土(やまのかんど)に近づいて来たと思われる頃、大崩落した沢に突き当たった。道は完全に分断され、立入禁止のロープの先から怖々沢を覗けば、その痛々しさに声も出ない。荒れ狂う嵐も自然の摂理なら、それを受け入れる山もまた自然の摂理に従い、この哀れな傷を負っているのだ。自然をつかさどる神が存在するのなら、あまねく畏敬の念を噛みしめずにはいられない。しかし、そのために大がかりな高巻きを強いられたのには、正直いって参った。岩に付けられた赤ペンキの矢印に従って、奥秩父特有の薄暗い原生林の斜面を直登する。これでかなり消耗した。頭を空っぽにして、とにかく身体を少しずつせり上げる。

 山の神土に着いたのは九時半だった。ちょっとした高原状の、日の当たる気持ちのいい場所だ。主稜線縦走路と和名倉山への分岐点でもある。穏やかな日をいっぱいに浴びて小休止とする。諸般の事情が許せば、ぜひ個人的な山小屋を建てたくなるような、そんな魅力に溢れている。
 正面に竜喰山を眺めながら水筒の甘露を味わい、行動食のチューブ入りの練乳をなめる。時間があればザックを枕にひと眠りしたいところだが、そうもいかないので立ち上がる。

 唐松尾山への道は主稜線の南斜面をじわじわと高度を稼ぐように付けられている。ちょうど山の神土からUターンするようなコースで来ているので、先ほどの崩壊した沢の上部を渡り返すような形になる。

 一直線に崩れ落ちた急傾斜のガレ場をおっかなびっくり越える。この頃になると、ずいぶんと高みにあった大菩薩も、こちらとほぼ同じ高さになっている。そのすぐ右には富士山がすっきりと全容を現している。だが風が強いらしく、頂上付近に発生した雲が、そのまま真横へ流れている。見渡す限りでは他に雲もないので、まるで富士山が噴煙を吐いているようにも見える。休憩したばかりだが、あまりの眺めの良さに西御殿岩への分岐点で、しばし立ち止まった。

 少し進むと稜線に出た。北側には林間からチラリと和名倉山が見える。だいぶバテて来たが、目指す唐松尾山はすぐ目の前だった。もう2,000メートルは越えているが、なぜかこんなところにカラスが二羽、カァカァと飛んでいる。ここで遭難したら、真っ先にあいつらが突つきに来るのだろうなと思う。目を突つかれるのは嫌だから、倒れて死ぬ時はうつ伏せになろうなどと、つまらないことを考える。というのも、今日もここまで、誰一人として人間の姿を見ていないからだ。十二月、それも平日となれば、こうしてノコノコと山歩きをしている方がおかしいに違いない。若干の後ろめたさも感じぬではないが、こんな休みの取り方しか出来ないのでどうしようもない。

 唐松尾山山頂は、前回の笠取山と同じように貧弱なピークだった。2,109メートルの標高は立派だが、眺望も利かず、どうにも張り合いがない。これでも雲取や大菩薩よりは高いのだ。もっとも、大菩薩もピークからの眺めは利かない。
 まあこれが奥秩父の奥ゆかしさだよと自嘲気味に三角点にタッチ、ひとまずホッとひと息ついてザックを下ろす。しかし腰掛ける手頃な場所も見つからず、カメラを片手に動物園の熊よろしく辺りをうろうろするばかりだ。仕方がないのでザックをデポし、カメラとビデオだけを持って、「この先行き止り」の標識を越えて、北側の尾根伝いの踏み跡をシャクナゲの枝をザワザワとかき分けて進む。
 ほんの二分ほどで見通しの利く場所に出た。ぐるり360度とはいかないが、南面以外の眺望はすこぶる良い。

 露岩の上に立ち、東から飛竜、雲取を始めとして、両神山、御座山、甲武信三山、国師岳と、おおまかな山を指差し確認する。それ以外の山々は後日に座同定するとして、ビデオを回し、カメラのシャッターを切る。なにしろ動いていないとすぐに身体が冷えて来るので、急いでデポ地点まで戻り、即、下山することにした。

 山頂から一度急下降し、その後はアップダウンで痩せた稜線を西へ行く。倒木混じりの原生林が続き、雰囲気は悪くない。疲れた身体に黒エンジュの登り返しは腹が立つが、それを過ぎればしっかりした道をただ高度を下げて行くばかりだ。

 水干尾根の分岐を過ぎ、水干まで足を延ばす。冬枯れた多摩川の水源は、南面しているにもかかわらず底冷えがひどく、片時もじっとしていられない。急いで湯を沸かし、カップ麺のカレーうどんとおにぎりで遅い昼食にしたが、まったく身体が温まらないので早々に撤収、シラベ尾根から黒エンジュの分岐を経由して山を駆け下った。

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