川原寺

2008年1月2日




記紀などの文献も曖昧で、川原寺は謎の寺だ。
橘寺の北面に隣接し、広大な寺域に荘厳な堂塔を誇ったという。
創建年次は不明だが、どうやら七世紀中頃以降に建立されたようだ。
「川原」ですぐに連想されるのは、大化のクーデターで蘇我入鹿暗殺を目の当たりにした斉明(皇極)が、板蓋宮が焼失したすぐ後に仮の宮とした川原宮である。
どうもその宮跡に創建されたのが真実ではないか。

入鹿暗殺の首謀者は斉明の息子、中大兄皇子。
やがて中大兄は天智となって飛鳥から近江に遷都するのだが、やはり斉明の息子で実の弟、大海人皇子との確執により、天智の子、大友皇子と争うことになる。
壬申の乱で敗れた大友が天智の皇統を継承した天皇であったという説もあるが、それは天武となった大海人によって史実が書き換えられた可能性を排除できないからである。
いずれにせよ、七世紀は皇統をめぐって権力闘争に明け暮れた時代だった。
以後、皇統は天智系、天武系に別れることになる。
血塗られたそれらの原点は、すべてこの飛鳥の地にある。

寒風の中、急いでスケッチを終えた。


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