年暮れてわがよふけゆく風の音に心のうちのすさまじきかな
2016年12月29日
百人一首に採られた「めぐりあひて…」より数倍も優れた歌だと思うのは私の独断であり、それは紫式部の歌のみを鑑賞する人には受け入れがたいものに違いない。
前置きとして、簡単にこの歌から鑑賞してみたい。
めぐりあひて見しやそれともわかぬまに雲がくれにし夜半の月かげ
紫式部集の巻頭に置かれた歌だから、式部にしてみれば自慢の歌だったことがわかる。
世人は恋の歌と誤解するし、私とて同様だった。
たまたま町ですれ違っただけの人に、一目惚れすることが若い頃には何度かあった。
誰でもこんな経験はあったはず。
しかし声を掛ける間もなく通り過ぎてしまい、一期一会にもならぬ単なるすれ違いでしかなかった。
男の私にしてみれば、この魅力的な女性も、いずれどこかの男性と恋に落ち、結婚するのだろうと、ちらりと思う。
羨ましくも寂しく、己の卑小さを思い知らされるような切ない感慨を味わった。
これは男女の別を問わないエピソードとして、胸の中にこの歌が刻まれた。
ところが、これは幼なじみに邂逅したものの、その友人が早世した追悼の歌であることを知った。
雲がくれと人の死が響き合っていることに気づくべきだった。
懐かしい人の死は「雲がくれにし夜半の月かげ」だったのだ。
また前置きが長くなった。
タイトルの歌に戻る。
年暮れてわがよふけゆく風の音に心のうちのすさまじきかな
紫式部日記や、その生涯を記録した書物や年表などを目にしてしまうと、式部の動向やら何やらがおおよそわかってしまい、この歌の魅力が一段と輝いて来るのだ。
だから理解して下さる方も多いのではと想像している。
わかった上で、この歌単独で読むと、式部の胸中には荒涼の風が吹いていたのだと理解できる。
「わがよふけゆく」は、夜更けと我が身が衰えてゆくが掛け言葉になり、おまけに年の暮れと冒頭に置かれたものだから、どうしても無意識に式部の人生と重ねて理解しようとしてしまう。
ところが、紫式部日記のこの歌の部分を読んでみると、決してそんな光景や心象ではなかったことがわかる。
21段、12月29日の記載である。
師走の二十九日に参る
初めて参りしも今宵のことぞかし
内裏へ帰参した今日29日、初めて宮仕えをしたのも12月29日だった。
そして当時の回顧が続く。
いみじくも夢路にまどはれしかなと思ひ出づれば、こよなくたち馴れにけるも、うとましの身のほどやとおぼゆ
当時は夢路をたどるような戸惑いがあったが、やがてその暮らしにも馴れて、今ではうとましく思うこともある。
夜いたう更けにけり
御物忌みにおはしましければ、御前にも参らず、心細くてうち臥したるに、前なる人びとの
内裏わたりはなほいとけはひことなりけり
里にては今は寝なましものを、さもいざとき沓のしげさかな
と色めかしく言ひゐたるを聞く
夜もずいぶん更けてしまった。
御物忌み(前日の28日に行われた賀茂の臨時祭)だったので、精進潔斎をしなければならないから御前にも出仕せずに心細く独り寝をしていると、以前から一緒にいる女房たちが、
内裏はまだまだにぎやかですね。
里では今ごろはとっくに寝静まっているでしょうに。
男たちの履音も騒々しいことです。
おそらく女房の局を訪ねる男たちなのでしょう、と言い合っているのを聞いた。
年暮れてわがよふけゆく風の音に心の中のすさまじきかな
とぞ独りごたれし
年も暮れて私の人生も終盤に近づいた、これからは若い人たちの時代なのだと思い知らされ、心の中は木枯らしのように荒涼としている。
と独り言のように歌を詠んだ。
こんな情景からタイトルの歌が誕生したわけで、何だ、こちらの深読みだったのかと現代人はコケるのである。
それでも前記したように、歌だけを単体で鑑賞すれば、また違った味わいが生まれるから不思議であり面白い。
紫式部の歌は「源氏物語」だけでも800首近くあり、ストーリーの進行や展開に付随して詠まれたものだから、当時の女流歌人のように苦労や苦心の痕跡が見つけづらい。
こちらも歌の瑕疵を重箱の隅に探しているわけではないので、好き勝手な解釈で鑑賞している。
ふと人生を振り返ると、荒野を独り行くような生涯だった。
もっともこの歌の誕生は「源氏物語」の執筆時期とほぼ平行で、式部さん、あなたが輝くのはこれからですよ、とエールを送りたい。
歌だけを切り取り、念入りに読み込むと、絶望した式部さんに、私は胸が張り裂けそうになる。
これも一年がまた終わり、こちらも老けてゆく感慨の為せる業か。
こんな思考を、毎年、それこそ賽の河原の石積みやシーシュポスの岩のように繰り返している。