金峰山登山

1995年10月21日 (土曜日)

 午前三時、自宅を出発。走り始めてすぐにコンビニでおにぎりとパンを買い、深夜の青梅街道を下る。柳沢峠を経由、空には吐き気を感じるほどの星、また星。
 塩山から牧丘へ。いつもの恵林寺近くのファミリーマートは寄らずに、そのまま大弛峠を目指す。塩平の辺りでそろそろ明るくなり、焼山峠から少し下って金峰泉。ここから今度は柳平の集落を抜けてゲートを通過し、峰越林道に入る。毎年六月から十一月の間しか利用できない上に、今年は補修工事も重なり、通行は時間制限になっている。朝は八時三十分から工事が始まり、昼の一時間を除いて日暮れまで通行止めは続く。もっとも数日前に大弛から川上村へと偵察済みなので、時間や路面に問題はない。

 地図ではこの辺りから秩父多摩国立公園の区域なのだが、それらしい標識もなく、しばらくは簡易舗装の道を行く。途中一ヶ所、ぽっかりと視界が開け、左手にみごとな富士山が姿を見せる。九合目辺りから上が冠雪、やはり富士は月見草とともに雪が似合う。車を停め、最初のシャッターを切る。

 やがてコースは本格的なダートになり、グッとスピードダウン。それにしても荒れている。十年近く前に走った時は長野側の方がひどかったが、それが逆転してしまっている。深く掘れた轍や、むき出しになった岩。小さな沢筋では、その流れが道を削り、大きな段差になっている。うっかりして一、二度車の腹をこすってしまった。こんな時、ホイールベースの長い車は不利だ。しかし高度を稼ぐに従って視界が利くようになると、正面に金峰山のボリューム感あふれる山塊が出現し、目印の五丈岩が、明けたばかりの朝日を浴びて金色に輝いているのが見て取れる。
 峠まで後わずかというところから、コースは信じられないほど快適に舗装され、六時三十分、そのまま標高2,360メートルの大弛峠に到着。

 昨夜のうちに上ってきた人たちだろうか、こんな時間でもすでに十台近くの車が停まっている。ここへ来るといつも思うのだが、奥秩父主脈のこんな高所まで車で上って来られるのは本当にありがたい。本来なら、どう頑張っても日帰りなど不可能な山域だ。地元の山梨、長野ナンバーのほかに、熊谷、土浦、習志野ナンバーもある。遠くからご苦労なことだが、この林道が甲信を結んでいることで、奥秩父へのアプローチが便利になった。国道140号線の雁坂トンネルが開通すると、もっと簡単に入って来られるようになるのだろうが、それでも、秩父から中津川林道を使い三国峠を越えれば、北関東からの入山は楽だ。もっとも、中津川林道も峠から埼玉県側はかなり荒れている。見回しても人の姿が見えないのは、みんな早々と入山しているに違いない。一泊なら甲武信往復、日帰りなら金峰往復とみた。

 ここで初めて長野県側の眺望が得られる。足下には千曲川源流の戦場ヶ原、男山、天狗山から三国山への尾根の連なり、そのわずか左にちょこんと頭を覗かせているのは、日航機事故で全国に知られてしまった、あの御巣鷹山だろうか。御座山のはるか彼方には浅間山がすっきりと姿を見せている。
 七時出発と決め、おにぎり二個で軽く腹ごしらえ。その間にもちらほらと車が上って来る。じきに駐車スペースも埋まってしまうだろう。紅葉シーズンの好天の土曜日、歩くことなく町中からやって来られるのだから、これも無理はない。

 七時になったので装備を整えて出発。目的はもちろん金峰山。日帰りには過分な25リットルのザックに、これまた新しいトレッキングシューズ。ここから金峰まで標高差わずか300メートル。しかしもう十年も山から遠ざかっているので、どれほど体力が落ち、また消耗するかはまったく見当がつかない。

 標識に従ってまずは第一歩。薄暗い樹林帯の中をいきなり急登だ。よく踏まれた登山道の両隅に、十センチ近くも成長した霜柱が融けずに残っている。ここで初めて、山へ来たな、との気分になった。それも大好きな奥秩父だから爽快感もひとしおだ。そんなわけで自ずから気合いが入ってしまい、最初はゆっくりの鉄則を忘れたわけではないのだが、若い頃の感覚がどこかに残っているらしく、ついオーバーペースになってしまう。斜面に丸太が置かれ、コースは階段状にこしらえてあるが、ところどころ土が流れ丸太が飛んでしまっている。なので体を持ち上げる一歩が大きくなり、事故で悪くした膝に負担がかかる。三脚は必要だが、一眼レフも二台(一台はリバーサル用)は要らなかったし、交換レンズもズームではなく、標準だけで良かった。後悔しても始まらないが…。

 小さなピークを越し、だらだらの尾根歩きになる。林層も薄くなり、左に富士、右に浅間が見え隠れしている。もうひとつ小さなピークを下り、再度樹林帯に入ると朝日峠に着く。ここで五分の小休止、息を整える。標準タイムを少しオーバーしているが、これは怠惰な暮らしのツケと肝に銘じておこう。

 落ち着いたところで朝日岳への登りとなる。頭を空っぽにしてじわじわと高度を稼ぎ、やがて頂上直下、東面の岩場に出た。ここからの眺めは最高だ。思わず再度の休憩。手頃な岩に腰掛ければ、足下に甲府盆地、その奥に御坂の山並み、そしてひときわどっしりと富士山の全景、裾野まで一望だった。歩いて来たコースに目をやれば国師岳、そのすぐ右には奥秩父最高峰の北奥千丈岳、左奥には甲武信岳、三宝山が控えている。この場所で2,550メートルはあるはずだが、快晴のうえに完全無風状態なので、テルモスから注いだコーヒーの湯気がまったく揺らぎもしない。これほどの上天気は滅多にあるものではない。普通は日が高くなるにしたがって全体的に靄がかかってくるものだが、今日はそんな気配がない。まるで時が止まったような感覚だ。山の秋も深まり、紅葉もかなり進んでいるのに、じりじりと日射しが強い。ここで長袖のシャツを脱ぎ、Tシャツ一枚になる。この頃にはぽつりぽつりと登山者も増え、七、八人が休憩をとっている。

 十分ほどで立ち上がり、朝日岳最後の登りにかかる。頂上付近は疎林のなだらかな尾根道で、特別どうということはないが、その西方のガレ場まで来ると、今度は目の前に金峰山が指呼の距離で現れる。左右から延び上がってきた斜面の頂点に、ひときわ大きく五丈岩が据わっている。天気のせいもあるのだろうが、全体的に明るくおおらかな印象だ。頂上付近はわずかに森林限界を超え、思わず昼寝でもしたくなるような伸びやかな草原に見える。もっともそんなことがあろうはずもなく、あれは一面のハイマツ帯だ。

 ガレ場を一気に下る。油断するとひとたまりもない急斜面だ。帰りにここを登り返さなければならないと思うと気分も萎えるが、ここまで来たらもうそんなことは言ってはいられない。
 下りの途中から再び深い樹林帯に入る。金峰と朝日の鞍部に瘤のように盛り上がった鉄山は北側を巻く。鬱蒼と生い茂った、いかにも奥秩父らしい道は静まり返って気持ちいいが、張り出した木の根が行く手をさえぎり、すこぶる歩きづらい。それでも少しずつ高度を上げていくと森林限界を抜け、いっぺんに空が広くなった。回りは案の定一面のハイマツ帯で、その中の細い道を最後の登りで、いよいよ金峰頂上付近の半ば荒涼とした広場へ飛び出す。この辺りは賽の河原と呼ばれ、あちこちに石積みのケルンが並んでいる。
 そして標高2,599メートルの頂上へ。九時五十分。大弛からの標準タイムは二時間三十分だが、途中で繰り返した休憩を勘案すればまずまずのタイムだろう。

 足の調子が悪いので五丈岩に登るのはあきらめ、向かいの巨岩の堆積の上に場所を定める。ちょうど畳二畳分ほどの平たい岩があったので、ここを幸いと、どっかと腰を下ろす。そして心ゆくまで360度の眺望をほしいままにする。まずは何といっても富士山。御坂山塊を露払いに、堂々と周囲を睥睨している。そしてなだらかに延びた裾の脇に、意外と立派な姿で太刀持ちを務める毛無山、右に聖、赤石、悪沢を中心とする南アの連なり。鳳凰三山の奥にひときわ高く濃鳥、間ノ岳、北岳の白根三山。千丈、甲斐駒、その右奥に独立して木曽御岳。やや右に乗鞍。北アの南半分を隠して八ヶ岳。その手前に清里、野辺山高原。すぐ足元には奥秩父の西の果ての瑞牆山、小川山。再び八ヶ岳に目を戻して、北のはずれに蓼科山。ずっと奥に新雪を乗せた鹿島槍、五竜、白馬などの後立山。少し途切れて戸隠、妙高。もっとコンディションが良ければ日本海まで見えるというが、距離があり過ぎて、さすがにそこまで定かではない。真北には浅間、四阿山。はるか彼方に上越の山々。ぐっと手前に両神山の岩峰。そして奥武蔵。すぐ目の前にはつい一時間前に踏み越えて来た、朝日からずっと続く奥秩父主脈の三宝、甲武信、国師。北奥千丈のなだらかに下っていく尾根の奥に、道志と丹沢山塊。かつてこれほどまでの眺望を得たことはない。書き連ねた山々すべてが、かつてピークを踏んだり分け行った懐かしい場所だ。

 大袈裟な形容ではなく、今こそが人生一番の至福の時と断言できる。しばらくは呆けたように、この雄大さに恍惚となった。岩の上に足を投げ出し、まるで天下を取ったような気分で笑みがこぼれる。こぼれても余りある絶景だ。ここへたどり着くまでの労苦などは一瞬で消し飛んだ。その後、リバーサルで五十枚は撮っただろう。
 五丈岩の造形も、相変わらずみごとだった。数百トンはあろうかと思われる立方体の巨岩が、まるで積み木のように整然と重なり合っている。この五丈岩に限ったことではない。神の造りたもうた造形だからこそ、自然の美しさは言語を絶し、人々の心を惹きつける。

 二時間近くほどファインダーを覗いていただろうか、やっと我に返って昼食にする。三々五々やって来た登山者たちも、そこここでお弁当を広げている。中にはガスコンロで湯を沸かし、何故か大きな土瓶でお茶を飲んでいるグループもいる。この頃にはかなり人の数も増え、二畳の我が陣地に侵入を試みる不心得者も出始めた。しかし、回りを見渡しても大多数は成人、それも五十代、六十代の人たちが多く、人数の割には天上の静寂は保たれている。中高年夫婦の仲睦まじい姿なども微笑ましく、こちらも優しい気分になって、陣地の隅を誰かに譲ったりしている。これが明日の日曜ともなると、頭の芯にまで響く子供たちのかん高い声が満ちるのだろう。まだこの時点でも風はそよとも吹かず、日射しばかりがちりちりと強い。Tシャツの二の腕をたくし上げると肌が焼けているのが分かる。もう十日もしないうちに十一月になる標高2,600メートルの山頂とはとても信じられない陽気、そしてゴロンと三十分の昼寝、勝手にこの岩を「トカゲ岩」と命名した。

 復路は朝日岳西側のガレ場に難儀し、へろへろになって大弛まで戻った。最大限に車を使う初心者コースといえど、やはり十年のブランクは大きかった。峠は大混雑。オフロードバイクのお兄ちゃんたちの大群や、チャリで上って来た青年たちの嬌声に溢れていた。

教訓。
単独行は、もっとマイナーな山か、平日の山行を選ぶべし。

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