続 木守柿

前回の続きです。

ムズカシイ言葉をこねくり回し、それを引っ付けたり分解したり、それが俳句っぽいよねと思っていた愚かな期間を過ごし、俳句が仕掛けた底なし沼に溺れかけた時がある。

俳句って、日々の暮らしの中で、常に俳句脳を保持していなければ出て来ない。
訓練や鍛錬が必要なのはわかるけど、いつも仕事脳、金策脳に固定されているから、切り替えも出来ないし、だからいまいましいのだと気づいた。


数十年前に購入したが、いつも爆笑してしまう傑作俳句本。

また転記だけしてお茶を濁す。
素人の句が気に食わない某俳人の寸評が辛辣で笑える。


    舟底を叩く小波(さざなみ)夕涼し


小波は船べりを叩きます。大荒れの時に底からぶつかることで、夕涼しなどと澄ましてはいられません。


    毛虫いま世紀の脱皮色変えむ


意味がわかりませんが、ことに蛹になる前に、毛虫が抜け殻から出るならば大発見の新種で、これ一つで、作者は世界的昆虫学者になります。


    金魚屋の金魚は人の手に慣れて


こんな人懐っこい金魚がありますか。


    短日やのみより脆き石を割る


当然過ぎてつまらぬ事実。硬い道具だから、より軟らかいものを細工することができます。逆が成り立つならば、こんにゃくで大理石を彫刻することになります。


    定年期色づき落ちるみなし栗


実がないから、みなし栗、ない物が色づいたり、落ちたりしません。それともいがだけが落ちたのでしょうか。


    乾涸びし咽喉張り上げて残る虫


のどで鳴く秋の虫も、新種大発見です。


    飽くなき咀嚼金魚は無より糞生ず


金魚が、鮫のように歯で水を噛みます。そして水ばかり飲んで、よくも糞をひることができると感心しますが、それは作者の頭が足りないからです。


    窓のなき家今日も茄子を焼く


これはどんな建て方の家でしょう。


    蝶傷つけし猫へつばくろ襲いけり


ことに勇敢な、正義感強い燕ですが、いいかげんな作り事でした。


    唖蝉を鳴かし寡黙の反抗期


鳴かない雌の蝉を、どんなふうに鳴かせたか、これもいい加減な作り事です。


    芽草の黄燃えて水薬飲み量る


燃えるほどに黄色い草の芽は、何でしょう。下五は水薬を飲んだ後で、量る言い方は、残り分を量ったのですかしら。


    閨怨の夕べ湖畔に蛍追う


閨怨とは、夫の旅立ちで、妻が孤閨を嘆ずること。この妻は、そんな寂しい気分なく、外へ出て蛍狩りにはしゃいでいます。


    蕪村忌や大河の水跡輝けり


作者は蕪村の「大河」の句でも考えたのでしょう。中七以下は、大河が蒸発し、なめくじみたいに、跡が光っている表現。


    黒潮に犬が吠えつく日の盛り


沖を流れる黒潮を、犬がよく見分けたことです。いい加減な作り様です。


    灯にデモの羽蟻は蓑を捨てて恋


上五は比喩と見て許しても、中七以下、羽蟻は何も捨てません。


    梅雨の海地平線なし生き難し


海に地平線がないのは当然です。


    津軽なる海の霧氷に耐え難し


海上の樹氷は、何を想像させたいのか。


    生命が墳墓や空蝉の骸かろき


抜け殻がまた死んで、その死骸です。上五は何の意味ですか?


    大木を摑み甲羅のままの蝉


また蝉の句で、甲羅を背負っています。


    逃げまどう胎児絶叫銀の匙


胎内でまごまご逃げたり、死ぬほどの声を出します。この句は、悪い意味の前衛俳句を狙ったのでしょうか。



これでわずか数ページの転載。
こんな調子で延々とシニカルな寸評が続く。
添削はほとんどなし。

俳句に関心のない人でも、これらの句が、どこかおかしいぞと気付くレベルの出来でしょう。
それをムキになってこき下ろすのは、真実、俳句を愛する故なのか、単なるストレス発散なのかはわかりかねるが、寸評を超えた私憤に笑い疲れ、何だか寒々として来た。


著者はずいぶん昔に故人になられたが、著者の作る句の評価は芳しくないものばかりで、素人の私が言うのも如何かと思うが、実際に凡庸な句ばかりだった。
故に故人の名は秘す。



拾遺

<角封に慕情激しき春の雨>
<梅雨に身を委ねし無言虚無の中>

 西洋封筒に入れたラブレター、と妙な事を持ちだし、慕情切々たるを訴えます。傍から見れば珍妙な姿でした。後句前半は、妙に力を入れすぎ、下五で更にそれを強調します。両句共ドギツく誇張しています。


<からす瓜虚空の恋の爛熟す>

 烏瓜が赤くぶら下がっていることでした。作者は「虚空の恋」の語に得意であるらしく、「恋が爛熟す」でもそうらしく思えます。結局こけ威かしの、からっぽな言葉の羅列に終わりました。


<肉となる話もゆかし土用餅>

 読み出して、下劣卑わいな話かと驚いてみると、それが床しいとなる。おやと思って深刻に考えた挙句、土用餅を食えば肥る、それで土用餅が筋肉になることと合点しました。そんな話が何で奥床しいことでしょう。そして言葉つきは非常に偏頗に粗雑でした。


<道暮れて山吹の黄が胃にしみる>

 花の黄色に打たれたことは宜しいとして、的確に胃袋にしみたといいますが、実はその的確さがトンチンカンでした。作者は余程腹がへっていて、山吹の花を見て、食えるかと腹の虫が鳴いたのかもしれません。


以上です。
笑わせて貰い、且つ、寒々としました。



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