旅は道連れにするな

2012年4月7日




東北へ向かう友人と、出発前にどうしても打ち合わせして置かなければならないことがあって、東京駅構内で待ち合わせをした。
東京駅は、丸の内も八重洲も長年に渡って工事が続いていて落ち着かない。
レンガ建築を戦前の三階建てに戻してステーションホテルを新装させたり、高崎線か宇都宮線か常磐線か、いったいどの路線を上野から延長するのかは知らねど、上野―東京間の混雑を緩和させるためのようだが、申し訳ないけどこの工事、今のところ私にはいっさい関係ない。
どうでもいいから、とにかく早いとこ完成させて欲しいと願う。

さて、東京駅でいつも必ず思い出すのは、随筆の名手で知られた百鬼園先生こと、内田百閒だ。
ご存知「阿房列車シリーズ」は大ベストセラーになり、その名は本業の小説でよりも有名になってしまった。
それが先生の本意だったかどうかはもう知る由もないが、幼少期の御婆日傘育ちのせいか、怖いもの知らずの言動(実は小心)と奔放(実は緻密)な性格によって書かれた数多くの随筆は、数多の読者を魅了し、現在にまで至っている。

その百閒が1952年の秋に、鉄道開業八十周年を記念して、東京駅名誉一日駅長に推挙された。
ご本人の文章が残っている。
先ずは前日から当日までの、当人は三畳御殿と称していた三畳三間だけの、麹町の自宅での様子。


 当日の前晩、制服制帽を届けて来た。一寸身に合はして着て見たが、丸で気違ひ沙汰である。しかし止むを得ない。
(中略)
 私の家の門内に自動車は這入れない。往来に出て、待つてゐる車に近づく時、辺りを見廻して用心した。近くに犬がゐたら吠えるだらう。気が立つてゐたら噛みつくかも知れない。

三畳御殿転居通知。

 
空襲で焼ける前の家と、今まで暮らしていた小屋の場所の記載もあり。
なかなか親切な通知だ。

そして東京駅に到着して駅員を招集し、堂々の訓示である。
ブラックジョーク全開の、その全文を載せる。

   訓 示
 命ニ依リ。本職。本日着任ス。
 部下ノ諸職員ハ。鉄道精神ノ本義ニ徹シ。眼中貨物旅客無ク。一意ソノ本文ヲ尽クシ。以ツテ規律ニ服スルヲ要ス。
 規律ノ為ニハ。千噸ノ貨車ヲ雨ザラシニシ。百人ノ旅客ヲ轢殺スルモ差閊ヘナイ。本駅ニ於ケル貨物トハ厄介荷物ノ集積デアリ。旅客ハ一所ニ落チツイテヰラレナイ馬鹿ノ群衆デアル。
 職員ガコノ事ヲ弁ヘズ。鉄道精神ヲ逸脱シテ。サアビ(本来の「ビ」はヰに濁点)スニ走リ。ソノ枝葉末節ニ拘泥シ。コレヲコレ勤メテ以ツテ足リルトスル如キアラバ。鉄道八十年ノ歴史は。倐忽ニシテ。鉄路ノ錆ト化スデアラウ。
 抑モサアビスノ事タル。已ニ泰西ノ強国ニアリテハ。カクノ如キヲ顧ル者ナク。人民ナル旅客ガコレヲ期待スルハ。分ヲ知ラザルノ甚ダシイモノデアル。愚図愚図申スヤカラハ。汽車ニ乗セテヤラナクテモヨロシイ。
 コノ理想ヲ実現セシムル為。本職ハ身ヲ挺(ヌキン)デテソノ職ニ膺(アタ)ラントス。
 部下ノ諸職員ニシテ。勤務不勉励ナル者アラバ。秋霜烈日。寸毫モ仮借スル所ナク。直ニ処断スル。
 諸子ハ駅長ノ意図スル所ニ従ヒ。粉骨粋(砕)身。苟(イヤシク)モ規律ニ戻ル如キ事ガアツテハナラン。
 駅長ノ指示ニ背ク者ハ。八十年ノ功績アリトモ。明日馘首スル。
  鉄道八十年十月十五日
   東京駅名誉駅長従五位内田榮造



駅員の規律として、百閒駅長のいうところの職務に忠実であれば、例え千トンの貨物を雨ざらしにしようが、客を百人轢き殺そうが構わないし、客は落ち着きのない馬鹿の集まりだと、物騒にも断定している。
諧謔が持ち味の百閒ならではの真骨頂だが、現代でこんな発言をすれば、非常識だと問答無用の言葉狩りに遭い、間違いなくマスコミの格好の餌食になる。
だから、終戦からわずか7年ながら、今よりもずっと言論の自由があったことが分かる。
庶民も、百鬼園先生の発言をユーモアと捉える懐の深さも持ち合わせていた。
「絆」といいながら、そのくせ何だか殺伐とした世の中にあって、これだけの人物はもう輩出しないものか。
とはいっても、百鬼園先生は後のフォローも万端怠りない。
訓示では「明日馘首スル」とあるが、

 
 訓示の最後の『明日馘首』するは、『即日馘首』の誤りではない。明日になれば、私は駅長室にゐない

練りに練った文章であろうし、自分はあくまでも一日駅長であることを強調して、ちゃんとオチもつけている。
「従五位」とは微笑ましいが、官僚機構や位階勲章などが大好きだった影響だろう。
稚戯のようにも取れるけれど、当人は名刺まで作り、ここだけは大真面目なのである。

世の中には「一日何とか」の類が多い。
警察、消防、確定申告の際の税務署など、枚挙にいとまがない。
願わくば、私も「何とか署」以外で、「一日何とか」をやってみたい。
もっとも、私は人と会ったりしゃべったり、とにかく最近はそんなことが一番の苦痛だから、「一日引きこもり」とか「一日無言の行」が向いている。
これならば、誰からも推挙されずとも簡単に出来る。

ところで、東北へ向かう友人が、出発の時刻までの間、打ち合わせのために入った駅ナカのカフェで言った。
「ねえ、一緒に行かない?」
「よし、決めた」
「ホント?」
「うん、新幹線の改札まで」
桜前線を追いかける旅に、心が揺れた。
見送るより、見送られる旅には、旅愁をかき立てる憧れと、わずかな優越感があるように思った。
百鬼園先生のような、目的のない旅も魅力だ。
もちろん、高校時代に夢中になった一人旅で。

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