休日は自宅で渋滞のニュースを観ていよう

2014年1月2日



渋滞を予想して、宿を早めに出た。
なにせ、今日は箱根駅伝の往路の日だから、予想が外れることは考えられない。

伊豆スカイラインを軽快に北上すると、ところどころのポイントで富士山が見える。
正月二日。
俳句で「初富士」は、一般的に元日の季語とされている。
それでも今年初めて見る富士だから、私にとっての初富士である。

そして正月の「初」はと考えれば、何といっても初夢だ。
地域によって異なるが、大体は二日の晩ということになっている。
(昔は大晦日の晩だったらしい)
別の地域では、節分の晩というところもある。
しかし、昔の節分は正月だったから、結局は同じこと。
ここでも、現代と旧暦とのズレがあり、今年こそは旧暦カレンダーを買おうと思った。
それも毎年思うだけで、必要があればネットで済ませてしまうから、やや不便でもある。

二十四節季や七十二候は、どうしても本来の季節を感じながら味わいたい。
大寒を大きく過ぎてからの本格的な寒さの襲来や、立春を迎えたのに、春はまだはるか遠くにあるといった季節のちぐはぐさには違和感しかない。
そんな中で、なるほどと思うのは「暑さ寒さも彼岸まで」という例えくらいか。
だが、これは二十四節季や七十二候とはまったく無関係である。

残雪は路肩のみ。
ノーマルタイヤで、チェーンも積んでいないから、路面の状態を気にしていたが、問題もなく走れそうだ。

新年を迎えて初めて見るのが初夢と、個人的に勝手に決めている。
だから私の場合は大晦日の晩、すなわち元日の早朝である。
ところが、よほど強烈な内容の夢以外は、起きた瞬間にほとんど忘れてしまうから、それで今年一年の吉凶を占うことはない。
たまに縁起を担ぐことはあっても、そもそも占いを信じてはいないから、初夢云々に意味付けはしない。
現実主義でも合理主義でもなく、ただ、記憶の底に沈殿していた過去が、何かの拍子に、さまざまなシチュエーションで浮かび上がるのが夢。
それが吉夢なら上々吉といったところか。

辛く悲しい夢を見て、思わず泣いたことが過去に一度だけあった。
涙で目が覚めた。
それにしても、数日経てば、その内容もすっかり忘れてしまった。
逆に、超ハッピーな夢で、こんなこともあるんだと喜んだ。
これもすぐに忘却の彼方に追いやられてしまった。
両方とも、一面では夢の実態であり、本質である。
願望は叶えたいが、正夢なんて有り得ない話だ。

夢は見たが、起きた瞬間に忘れてしまった。

宿にいた三日間、ほとんどを眠って過ごした。
パターンが決まっていて、三時間ほどで必ず目が覚める。
しかし寝起きは最悪で、寝足りずに疲れは取れず、いつまでもぼんやりしていた。
そのうちにまた眠くなって、同じように三時間眠る。
その繰り返しだった。

コアラは一日に二十時間も寝ているそうだが、心底、コアラが羨ましくなった。
起きている時は、ひたすらユーカリの葉を食べている。
いつでも人間稼業からおさらばしても悔いのない身としては、食べて寝るだけの一生というのも悪くないなと思ったりする。

車外は寒風。
それでもビューポイントではつい車を停めてしまう。

雪化粧とはよくいったもので、女が化粧で武装するように、富士は冠雪によって完璧な姿になる。
東西から眺めるのとは違い、南北からの遠望であれば、宝永山の突起も気にならず、ひたすらなだらかで、たおやかな裾野の拡がりを満喫できる。
完成されたシンメトリーは、見る者の心を安定させる癒し効果もあるように思える。
日常の雑事の煩わしさを、一時でも解消させてくれる安息がある。

常に富士山を正面に見る伊豆スカイラインの北上は本当に良いコースで、場所によっては右に相模湾、左に駿河湾や沼津や三島の市街地が見え、飽きることはない。

芦ノ湖スカイラインに入って、ナビは今日初めて御殿場の案内を開始した。
ナビをオフにしておけば良いのだが、到着時刻を知りたくて、そのまま勝手な暴言を聞き流していたのだ。
それというのも、カーラジオの駅伝中継の中で、時折挟まれる交通情報を頼りに、まだ東名上りは途中で3キロの渋滞が発生している程度、と安心していたのに、わずかな時間でどんどん渋滞が延び、すでに10キロ越えと告げている。

それにしても、あらかじめナビを有料道路にセットしていたにも関わらず、私のナビは十年も前のアナログ的ディスクだから、融通が利かない。

以下、ナビの暴言の数々。
最短距離で御殿場へ進むのが常識なのだが、冷川では修善寺へ下って沼津ICへ向かえと指示するし、亀石峠では逆に東へ宇佐美へ下れと出る。
それを無視して北進すると、今度は山伏峠から網代を指示する。
また無視をしていると、韮山峠では再び西へ下り、しつこく沼津へと誘う。
そして熱海峠まで来ても、やはり熱海へ向かえとわがままを言う。
十国峠を過ぎると、ターンパイクを使って箱根湯本軽油で小田原厚木道路を走れと、伊豆スカイラインの走行を認識しながら、もう無茶苦茶である。

眼下の芦ノ湖も良い。
湖の、あの奥が今日の駅伝のゴールなのだと、中継を聴きながら、ご苦労さまと言いたくなる。
翌日は、今日スタートした大手町へ戻るのだから、正月から二日をかけて無駄な努力をしているな、などと考えてはいけない。
ラジオはNHKだからまだしも、日テレのテレビ中継では、シード権シード権と、必要以上に絶叫するアナウンサーに毎年辟易する。

今年も新しい「山の神」は出現するのか。
そもそも世のお父さんたちにとって、山の神ほど恐ろしい存在はないのであって、男子大学生の活躍は日頃の鬱憤の溜飲を下げる好材料であり、一服の清涼的存在でもある。
自分では頑張れないから、お父さんたちは沿道でひたすら小旗を打ち振り、ガンバレ~と大声を出すのである。

お父さんたちは無意識のうちに公私混同して、実は自分自身を応援しているのだ、などと気楽なことを考えている間に、ラジオの渋滞情報は20キロを越えてしまった。
急いで御殿場ICへ下る。

なるべく渋滞を回避しようと、宿を早く出たものの、ある程度は覚悟をしていた。
11時過ぎには高速に乗るつもりが、御殿場のアウトレットへ向かう車の大渋滞にはまり、それで30分のロスをしてしまった。
今の時間、10分遅れれば1キロ以上は渋滞が延びる。
昼を過ぎればそれに拍車が掛かり、東名を抜けても首都高3号線の渋滞も長くなる。
いずれにせよ、少し遅れただけでも、何もいいことはない。

長期戦を覚悟し、昼食を何とかしなければと、足柄SAに入る。
ところがここも人、人、人で、フードコートは通勤ラッシュ並みの大混雑。
ならば何でもいいからテイクアウトでと思うも、マックですら大行列だった。
仕方なく、ローソンで飲み物と菓子パンを買って、早々に車を走らせる。
(SAのマックは、地元と同じメニューでも、三割から四割は高い大名商売をしていた)

朝までの贅沢三昧が嘘のようだが、それでも、三日間、主食が米関係ばかりだったので、コンビニのパンもすこぶる美味しく感じる。
と、味覚に意識を集中させて気を紛らわせるのも限界で、覚悟の上とは思いながらも、やはり渋滞は腹立たしい。
それというのも、永田町辺りから流れた話を思い出したからだ。

渋滞している有料道路の通行料金を割高にしようと企む輩がいる。
割高になれば、わざわざ高いお金を出して渋滞にハマろうとする車も減るのでは、との考えらしい。
JRの優待特権パスを持っていたり、いざとなれば、高速の流入を規制して悠々と快適に走る人種の思考である。
一般道が混めば、新たなバイパスを造る絶好の口実になるし、彼ら彼女らは、とにかく景気対策といえば、建築や土木の新規公共事業しか思い浮かばないから、こんな発想ばかりが出る。

少し前、日本列島を幾つかに分割して、休日をずらそうとの提言のようなものがあった。
それも結局はウヤムヤのうちに消えた。
単なる思いつきに過ぎなかったからだ。
休日が決まっている庶民は、好き好んで渋滞にハマっているのではない。
それにしても、次から次へと、よく思いつくものだ。

話が段々やさぐれて来たので、そろそろやめよう。

延々と渋滞の続く中、東洋大学の設楽くんが往路のゴールテープを切った。
我が母校も、また今回もシード権を獲得した。
論旨は滅茶苦茶だが、よくぞ頑張ってくれた!

午後遅くなると、渋滞はさらに延びたようだ。
車より、人力の方が速かったのではないか。
永田町よ、旧暦の正月も休みにしてくれないか。
これは庶民の思いつき。

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