国師岳・北奥千丈岳登山

2010年11月11日

寝坊をしてしまい、自宅を出たのが午前四時。七時頃までに大弛に入っていないと駐車スペースが無くなってしまうので、中央高速で時間を稼ぐ。いつものファミリーマートで食糧を仕入れ、今日は杣口林道を行く。まだ明けやらぬ空には星が瞬き、中天高く月が残っている。予報も降水確率0%といっているので先ずは安心。だが、やや風が強いのが気に掛かる。

峰越林道の途中で夜が明け始める。広葉樹の葉はあらかた落ち、道はところどころで凍結している。金峰山から朝日岳にかけての上部は一面の樹氷で真っ白になっている。

カーブを曲がった先、5メートルの距離で立派な角を持ったニホンカモシカと遭遇、道の真ん中で数秒のにらめっことなる。一瞬、大きな岩ではなかろうかと見まごうほどの奴で、こちらが徒歩ならば思わず逃げ出してしまいたくなるところだ。互いに予期しない出会いだったものだから、ただ見つめ合うばかりで次の行動に移ることが出来ない。数十秒、固まったままで気まずい時が流れる。やがて私が助手席のカメラに手をのばしたのをきっかけに均衡が破れた。奴は一度空を仰ぐと、何もなかったようにゆっくりとした足取りで樹林にまぎれ、沢へ下って行った。

それにしても奥秩父に限らず、この天然記念物のニホンカモシカの姿はあちらこちらの山でよく見かけるようになった。食害などの話も頻繁に耳にするが、ただ山歩きをするだけの身には、このニホンカモシカとの出会いは山行のいいアクセントになる。今日は他に、モコモコと暖かそうな毛に包まれた愛くるしいリスも現れた。

大弛峠一帯は、西から厚い雪雲が流れていた。弱い気圧の谷が通過するとは聞いていたが、そんなものはとっくに通り過ぎたものとばかり思っていた。ちらほらと白いものが舞っている。思わず「おいおい、約束が違うじゃないか」と声が出るが、振り仰ぐ空間に、下界の晴天はその欠片すらない。カーラジオでは『今日は雲ひとつない穏やかな朝を迎えています』と言っているのが面白くない。

ぐずぐずと迷っていたが、装備を整えて七時十五分出発。吹きさらしの表コースを避け、旧縦走路を選ぶ。枯れた沢筋を急登。十分ほどで傾斜が緩くなり、いかにも奥秩父らしい樹林帯の道を行く。時折、頭の上で風が鳴り、それとともに大量の細かな霰がバラバラと落ちて来た。岩や木の根まじりのコースが見る間に白くなり、油断しているとズルッとコケそうになる。カメラを出そうとザックを下ろせば、知らぬ間に大量の霰がザックの上に積もっており、「オレはこいつらまで背負っていたのか」と腹立たしくなる。

やがて通行止めのロープをまたいで表コースに合流、樹層の背が低くなり明るい印象になった。だが、風をまともに受けるようになり、激しく流れる雪雲の中を足元だけ見つめながら歩く。ところどころにあるシャクナゲも、いかにも寒そうに葉を震わせている。

ひと登りで前国師に着く。雲と霰に阻まれ、たいして見通しは利かない。雲の切れ間に国師と北奥千丈のシルエットがかすかに望めるだけだ。風を避け、頂上東側の岩陰に隠れてひと息つく。

下の方から人の声が聞こえ、やがて女性ひとりを含む二十代四人のパーティーが登って来た。今日初めて出会う登山者だった。なにやら楽しそうにおしゃべりをしながら私の前を通り過ぎる。その時、ラストのひとりが岩陰でゴミを見つけたらしく、「あ、こんなところにゴミが落ちてるよ、しょうがねえなあ」と言いながら、ゴミのビニール袋を拾い上げた。なかなか感心な奴だと思っていると、何を錯覚したか、こいつがジロリと私を睨んだ。まるで私がそのゴミを捨てたと責めんばかりの表情だった。冗談じゃない。こちらは周囲に散乱している煙草の吸殻を拾い集めているのだ。

私が睨み返すと、こいつは通り過ぎた後で振り返って、「こんにちは」と、取ってつけたような挨拶をして消えて行った。その足元にはもっと目立つゴミが落ちていたが、そいつらはそれを拾う素振りすら見せずに行ってしまった。そのゴミを拾い、奴らの後を追うかたちになった。

三繋平で奴らの踏み跡が北奥千丈へ向かっているのを見て、こちらは先に国師へ行くことにした。

大弛からジャスト一時間。ほんのひと息で、南面のひらけた国師岳に到着、三角点にタッチする。だが視界は50メートルもない。岩陰に身を隠そうと頂上付近をうろうろするが、どこに逃れても風が意地悪く回り込んで来る。おまけに北奥千丈とおぼしき辺りからは、先ほどの四人組の嬌声が聞こえて来る始末だ。

雲が切れないかと十分ほど粘ったが、結局あきらめて北奥千丈へ向かうことにする。四人組が石楠花尾根を下るとは思えず、どうせ三繋平からのピストンだろうし、ならばそろそろ戻って来る頃だろうと見当をつけた。視界は利かないにしても頂上は独占できる。だがそんな期待は甘かった。頂上直下、ちょうど樹林帯の尽きる辺りのコースのど真ん中に、奴らはいた。コースをふさぎ、湯を沸かして四人はカップラーメンをすすっていた。私はことさら四人を無視し、「失礼」とひと声かけて強行突破を図る。四人はラーメンと割り箸を持ったままの間の抜けた姿で、仕方なさそうに道を空けた。

奥秩父最高峰、2,601メートルの北奥千丈岳は、国師以上に風雪が強かった。岩やハイマツには小さいながら「エビのしっぽ」が付き、すでに冬を装い始めている。しかし、晴れた日には絶好の眺望を得られる山頂も、視界が利かなければただの土石の盛り上がりでしかない。とにかく寒い。寒風を背に小キジを撃って早々に退散。再び四人組をかき分けて尾根道を駆け下る。そして前国師へ。ここまで戻って来ると、なんと、有ろうことか急速に雲が切れて来た。五分も佇んでいるうちに、先ず北東の三宝山が姿を現し、続いて甲武信岳、木賊山がその全容を見せた。麓の川上村には暖かそうな陽が射している。

やがてすぐ目の前の国師、北奥千丈も山頂を見せ始めた。振り返ると金峰山の五丈岩までもチラチラと見え隠れしはじめている。ただ、甲州側から吹き上がって来る強風には参った。風と共に樹氷の欠片が氷の礫となって飛んで来る。先ほど小休止した岩陰に身を潜め、風の切れ間を狙ってカメラのファインダーを金峰に向ける。

ひと通りシャッターを切ったところで下山、今度は正規のルートをたどり、「夢の庭園」経由で大弛へ戻る。途中、凍結していた木組みの階段でスリップ、尻をしたたか打って、まるで敗残兵のような気分になり、九時四十五分、大弛小屋の前を通って車にたどり着いた。

ヒーターをガンガン焚いて、半ばふて腐れ気味におにぎりを喰う。もう一度登り返すか、それとも金峰にでも行こうかと考えたが、いまひとつ気分が乗らず、続々と入山して来る登山者を横目に山を下ることにした。

車の腹をこすらないように、注意して下る。

帰りの青梅街道は、ちょうど奥多摩の紅葉と重なり、大渋滞だった。

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