お福さん

2003年8月30日




初めて彼女を見たのは三年前だった。
薄汚れて警戒心の強そうな目が印象的だった。

それからもたびたび見掛けて、やがてこちらから「お早う」とか「お、今日も元気で野良やってるな」とか話し掛けながら通り過ぎていた。

飼い猫ではなさそうで、それでもしたたかにこの地域で生き抜いているのだから、こんな小さな猫でも自立してるんだなあと、妙な部分で感心した。

一度、立ち止まってしゃがみ込み、「おいで~」と呼んだことがある。
するとこちらに背を向け、ピンと立てた尻尾の先をクルンクルンと動かしてくれた。
そっぽを向いて無視しているように見えても、これは猫特有の挨拶で、こちらを認識してくれているのだ。

次の機会では、呼ぶとかったるそうに近づいてくれて、足にまとわりついた。
ちょっとうれしい。
でもマーキングされてんじゃなかろうかと、これはこれで複雑である。

十五年ほど前に一度だけ拾った子猫を飼ったことがあるが、兄が欲しがったので譲った。
だから猫の可愛さはわかっても、その生態はイマイチ不明である。
冬だったので、湯たんぽ代わりに抱いて寝た程度だ。

さて、この三毛猫である。
一年近く見かけなかったので、きっとどこかで出産と子育てをしていたのだろうと想像した。

やがて私を見つけると、ちょこちょこ寄って来るようになった。
安心しているのか、存分に体を触らせてくれる。

野良臭はせず、どこかでどなたかの飼い猫になったかと思ったが、首輪もなく詳細は不明。
ただし、通行人が近づくと逃げるので、人間誰にでも愛想がいいわけではなさそうだ。

必ず出会えるとは限らないので、エサになるようなものは持たない。
彼女も食べ物を欲しがる様子を見せないので利害や上下も介在せず、それなりに友好な関係が続いた。

ある時気づいた。
この三毛と会うと、その日はちょっと良いことに恵まれることがあるのだ。
それは、乗り遅れそうな電車に焦って駅へ急いでいた時、にゃあと呼び掛けられて思わず立ち止まり、電車をあきらめて背中や喉を撫でてからゆっくり駅へ向かった。

すると間に合わなかったはずの電車が五分遅れで到着し、無事に乗ることができたり、次の出会いの時は、自販機で当たりが出て、もう1本ゲットできたり、いつものパン屋さんで最後のカレーパン1個を確保できたりと、他愛ないことばかりだったが、小さくても幸運には違いない。
それから私は、この三毛を「お福さん」と呼ぶことにした。

福ちゃ~んとかお福さ~んと声を掛けると、すたすた近づいて来てにゃおと挨拶してくれて、また私の足に体を擦りつけながら動き回り離れようとしない。

だから写メを撮ろうにもブレたり半身しか写らなかったりで、まともな写真はこの二枚のみ。
今年の春の画像である。

数日前、マンションの管理人さんとしばらく立ち話をした折に、二ヵ月ほど前に三毛猫が車にはねられて死んだと聞かされた。
市役所に知らせたらすぐに車が来て回収して去ったという。

お福さんとは限らないが、どうも心がざわざわするし、ここしばらくお福さんを見ていない。
私もツキにも見放されているような気がしている。

人間のメスは対応がわからず苦手なので近づきたくないが、もしお福さんがどこかで生きてくれているのであれば、ぜひ近づいて来てほしい。

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