明日は明日の風が吹かうではないか



2017年9月2日



沼津から第二東名に乗って西へ向かう。
一本道だからナビを見る必要もない。
トンネルの多さが気になるところだが、これだけ空いていれば、仮に逆走車が来たとて、かわすこともできる。

ボリュームを上げて静岡県の民謡を聴きながら、道は快適である。
晴れた日の駿河路はノーエ節が似合う。

のぼりつめればトンネルとなりこだまする 山頭火

仰いで雲がない空のわたくし 同

ぐつすりと寝た朝の山が秋の山々 同

途中、覆面パトが、ドイツ製の車を止めていた。
こちらは時速100~110キロ程度で走行するトラックを見つけ、その後ろを走る。

これが疲れず、気楽でいい。
ただし車間は空け、スリップストリームでは走らない。

秋の山へまつしぐらな自動車で 山頭火

この数日間は楽しかった。
しかし昨日楽しかったからといって、今日も楽しくなるとは限らない。
用心が肝要である。

浜松のSAでの昼食は、地元浜名湖産のうなぎを使ったうな丼。

どうせSAでの食事だから期待していなかったが、やはり値段に見合わぬものであった。

若い頃、ドライブで浜名湖を一周した折に、湖畔の食堂で食べたうな重も「どうせ」の味だったことを思い出してしまった。

注文から30分程度待ったので、割きから作ってくれたのだろうが、連れと店を出てから、「よっぽど、うなぎパイ買って食べた方が正解だったんじゃない?」と顔を見合わせた。

うなぎは四万十川か、利根川の一部に限る。
調理は老舗店のベテラン職人に限る。

浜松だからだろう、鍵盤のオブジェはわかるが、その上に雷神?の子供の像。

カミナリが頻繁に落ちる土地なのか、それともこの地方の民話などに関わる噺でも伝承されているのか…。

SAを出る。
しばらく走ると、また覆面が獲物を狩っていた。

一ヵ月ほど前、某県の県道を走行中、県警の若い本官(Aとしよう)に冤罪の濡れ衣を着せられた。
片側一車線のほぼ直線道路、制限は40キロだった。

そこそこ車は多かったものの、流れは順調で、どの車もほぼ制限速度で走っていた。
ミラーを見ると、2台後方の車が追い越しをかけ、私のすぐ後ろに付いた。

追い越し禁止区間である。
急いでるんだなとミラーを注視していると、その車は左折して横道に逸れた。

そして100~150メートルほど先で、「とまれ」の三角旗を持った本官Aに停止を命じられた。
ネズミ捕りをやっていたのだ。

しかしこちらは流れに乗って走っていたし、ほぼ制限速度を守っていた。
本官Aが言った。
「追い越し禁止区間ですよ」

そんなことはお知らせしてくれなくとも知っている。
すぐにピンと来た。

後方で追い越しをかけ、そのまま左折した車と勘違いしているのだ。
ボディカラーもほぼ同色だったから、明らかな誤認である。

「してませんよ」
「警官の私が現認しているんです」

本官から現認と言われてしまえば、それは裁判になれば証拠として採用される。
明白な冤罪ではないか。

こりゃ面倒なことになるぞ。
でも、していないものはしていないので否認を通すしかない。

秋の空高く巡査に叱られた 山頭火

山頭火も本官に目を付けられたようだ。
ぐるんぐるんと脳味噌が揺れたような気がした。

鹿児島県志布志市内のお寺に、この句碑があると聞いたことがある。
最近の冤罪事件ではあまりにも有名な「志布志事件」があった土地である。

身に覚えがなくても、ちょっとでも逆らえば、いとも簡単に留置されてしまうご時世だ。
時に「権力」が暴走する恐ろしさは、過去の冤罪の数々が提示している。

しかし、あ、そうだ! と思うところがあって、こちらも強気に出ることにした。

「切符切るなら切ってごらん、でもサインや押印は拒否するよ」
「はい、それでも結構ですよ」

巡査が威張る春風が吹く 山頭火

本官Aも強気である。
職務に忠実な姿勢だけは評価してあげよう。

「キミの名前を教えてくれるかな」
「○○県警交通課の××と言います」

今、自分はずいぶん厭味なオヤジをやってるな、との自覚があって、少しはAに申し訳ないと思うが、大人のズルさ、世間の実相とはこのようなものなんだよ、と知らせたい気持ちもある。
(だから中年は嫌われるのだけれど…)

「で、この現場の責任者と、交通課の係長と課長、あ、それから署長の名前も教えてくれるかい」
「そこまで必要はないでしょ」

何か手こずってるな、とでも思ったか、本官Aの上司らしき本官Bが寄って来た。
Aがヒソヒソ説明している。
厄介な奴、とでもBに告げ口しているのだろう。

Bと向かい合った。
私は無言でマイカーのドライブレコーダーを指さす。

そして画像を再生して二人に見せた。前方しか録画できないので、左折して去った車は映っていないが、私がAに停められ、Aと対峙している様子まで、すべて映っていた。

一応、Aと上司Bの両本官の名前は訊いた。再び車を走らせると、両名の名前はすでに忘れていた。

印象に残ったのは、画像を見せてからの卑屈なほどの低姿勢だったが、上司がまともなら訓戒程度の処分を科すのだろうが、もみ消してミスなど無かったことにするに違いない。

もしレコーダーが未装着だったと思ったら、冤罪の怖さがじわじわと湧いて来た。警官の「現認」は、証拠と同等の効力を持っている怖さだ。

今回は見間違いのミスにせよ、警察による冤罪のねつ造はいとも簡単に白昼堂々行われ、権力側のミスは身内同士のかばい合いによって常に握り潰されてしまうのだ。

私はレコーダーに救われたが、こうして毎日、日本中で真っ当に生きている多くの人たちが、国家権力から理不尽な嫌疑をかけられ、悔しい思いをしているのだろう。

画像をネットに流せばそこそこ反響もあるだろうが、こちらは呑み込んで大人の対応をする。


再び民謡、今度はちゃっきり節を聴きながら京都へ向かう。
ドライブレコーダーは停止させない限りエンドレスで録画を続けるので、12時間で上書きされ、やがて元の動画は消える。

昨日は昨日の風が吹いた、
今日は今日の風が吹く、
明日は明日の風が吹かうではないか。   山頭火

昨日まて楽しかったから、今日も楽しもう。
山頭火に励まされている。



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