木守柿 ~素人俳句が気にくわない俳人~

人間サマの取り分はすでに確保して、今年の柿のシーズンは終りました。

後は鳥や虫たちの分で、越冬のための栄養となるよう、このままにしておきましょう。

他にも、再び大収穫できるようにとか、来年の五穀豊穣を願うとか諸説あるようで、ならばリンゴは? 梨は? ミカンは? と、木守柿ならぬ木守果樹の啓蒙活動推進を考えたくなります。

で、くだらない駄文はほどほどにしますが、「木守柿」は秋の季語のはずなのに、中には冬として用いている方もいらっしゃるようで、ちょっと混乱しています。

でも季重なりにならなければいいだけのことで、冬に秋の句を詠んでも、文科省の国語審議会や俳句協会などからクレームが来る心配はありません。


山頭火も柿が好きだったようで、いくつもの柿の句を遺しています。


柿が赤くて住めば住まれる家の木として


何おもふともなく柿の葉のおちることしきり


   郵便屋さん

たより持つてきて熟柿たべて行く


やつと郵便が来てそれから熟柿のおちるだけ



私は自由律も俳句と思っているので、ああ、いいなあ、と鑑賞しています。

ところが、自由律は俳句ではない! と切り捨てる俳人も、碧梧桐や井泉水の新興勢力が活躍を始める頃から、途切れることなく連綿といらっしゃるようで、明治33年~昭和43年を生きた某俳人の著書では、バッサリどころか完全に無視されていました。

素人の俳句がとにかく腹立たしいらしく、少々長いのですが、序の章の文章を転記してみます。


 いままで無数の初心俳句に接してきましたが、常に痛感することは、どの人も常に同じ入口から俳句の道に入り、常に同じ過誤を繰り返します。たとえば、星や灯(ともしび)は必ず「瞬く」と表し、センチな人は「うるむ」と言います。雨は必ず「しとど」に降り、果実は必ず「たわわ」に生(な)ります。紅葉や赤いカンナは必ず「燃え」、空や水や空気は必ず「澄む」で、帰路は必ず「急ぐ」とし、自転車は、必ず「ペダル踏む」とやります。

 農夫は「背を曲げ」、農婦は「腰太し」にきまっています。母は必ず「小さし」であり、これはまあいいとしても、どんな老齢の作者でも、必ず「妻若し」とやるのは、いささかベタ惚れが強過ぎます。早乙女は必ず「紺絣」を着、どんな洗いざらしでも「紺」は「匂(にお)わ」せます。日向ぼっこは必ず老人と孫と猫とが縁側に登場します。犬は出てきません。



「犬は出てきません」に私好みのユーモアのセンスを見ますが、以上のような、いわゆる手垢の付いた表現はさすがにしないものの、ごもっともと同感しつつ、はて、私も昔はこんな俳句を作ってたかしらと、未だに未熟な我が身を省みるのです。


 たとえば「柿」という題が出たとすると、(中略) だれが示唆したというわけでもないのに、初心者が最初に作る句は、
必ず、柿がたった一つ梢に残り
必ず、夕陽が照らす
という場面をこしらえ上げ、
 夕陽に沁み梢に残る柿一つ
 柿一つ梢に夕焼褪せてゆく
 夕焼の空燃え高き柿一つ
 柿一つ取り残されて秋は暮る
であり、あるいは「一つ」ではなくとも、夕方に持ってくる傾向が強烈です。
 峡(かい)暮れて柿に残れる日の匂ひ
 丘の柿夕日真赤に吸いこみぬ
 柿の木の夕焼いつか空に帰し
柿と夕焼との連想はともかく、常にたった「一つ」というのが妙です。
まことに不思議でありながら、また常に事実であります。身に覚えのない人が何人いるでしょうか。



著者(残念ながらすでに故人です)は素人の俳句を十万句集め、それでも足りなかったらしく、五万句追加して十五万句を収集したというのですから、ただ者ではありません。

わずかこれだけ書いただけでも、多少なりとも俳句に関心をお持ちの方なら、あ、あの本、とすぐに思い当たることでしょう。

アイロニーに満ちたこの本に出合ったのは四十年近くも昔のことで、友人に「俳句の奇書見つけた」と知らせたことを覚えています。

素人の不出来な俳句に、皮肉たっぷりの容赦ない指摘で笑わせてくれます。
友人と、それこそ自分たちのことは棚に上げて大笑いしたものです。

でも、作句に及び腰になりました。


自戒。

俳句とは詠まず読むもの柿一つ

ちょっとおふざけが過ぎました。


再び山頭火。



 前も柿、後も柿、右も柿、左も柿である。柿の季節に於て、其中庵風景はその豪華版を展開する。
 今までの私は眼で柿を鑑賞していた。庵主となって初めて舌で柿を味わった。そしてそのうまさに驚かされた。何という甘さ、自然そのものの、そのままの甘さ、柿が木の実の甘さを私に教えてくれた。ありがたい。
 柿の若葉はうつくしい。青葉もうつくしい。秋ふこうなって、色づいて、そしてひらりひらりと落ちる葉もまたうつくしい。すべての葉をおとしつくして、冬空たかく立っている梢には、なすべきことをなしおえたおちつきがあるではないか。
 柿の実については、日本人が日本人に説くがものはない。るいるいとして枝にある柿、ゆたかに盛られた盆の柿、それはそれだけで芸術品である。
 そしてまた、彼女が剥いでくれる柿の味は彼氏にまかせておくがよい。
 柿は日本固有の、日本独特のものと聞いた。柿に日本の味があるのはあたりまえすぎるあたりまえであろう。

みんないつしよに柿をもぎつつ柿をたべつつ


山頭火好きの俳句ネタでした。

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