奥西死刑囚はこの塀の向こうにいる

2015年1月9日


今日9日、名古屋高等裁判所は8回目の再審請求を棄却した。
まだまだ証拠開示の壁が厚いことを思い知らされた日だ。

私がこの裁判について最初に書いたのは、2006年のことである。(前回参照)
しかしまだこうして書かねばならぬとは、何とも表現できない恐ろしさと虚しさを実感せずにはいられない。

奥西は強要自白の取り調べを受け、虚偽の自白調書を仕立て上げられた。
けれどこの時点では、警察は物的証拠を発見できず、犯人を特定できなかった。
そして検察は、状況証拠のみで裁判に臨んだ。

ぶどう酒を持ち込んだ奥西を目撃したとされる証人である男性の調書の内容は、何故か奥西の自白前と後で時間が改ざんされ、他の女性も当日の奥西の行動を訊かれ、自白の時間に整合するように訂正させられている。

一審の津地裁の小川潤裁判長は、奥西の自白に検察の誘導があったと指摘し、また、奥西以外の犯行も可能であったことも認め、無罪を言い渡した。

その無罪判決から5年、二審の名古屋高裁の上田孝造裁判長は、一転、検察の主張を全面的に認め、奥西に死刑判決を下し、やがて最高裁で死刑が確定した。

しかし検察の筋書通りに供述した女性は、マスコミの取材に対し、奥西には独りになる時間はなかったと、奥西がぶどう酒に毒を入れることは不可能だったことを答えている。
当時、捜査を指揮した警察署長の捜査メモにも、同様の記述がある。

裁判にどの証拠を提出するかは検察が独自に判断するもので、供述調書に相反する、無実の確証となる真実の証拠の存在は隠匿されたままになる。

当初、検察は供述調書の存在を否定した。
裁判員裁判では証拠開示の法整備が進んでいるが、再審請求審では検察に証拠開示の法的義務はないからだ。

すると、どのようなことが起こるのか。
検察が未提出の証拠は、結局、被告人が無罪であることを示す証拠ばかりになってしまう。
そこに正義を感じさせる匂いは皆無である。

2005年、名古屋高裁の小出錞一裁判長は、農薬に関する新証拠を評価するとともに、ぶどう酒の到着時刻も見直し、他の者による犯行の可能性を否定できないと再審開始を決定。
7回目の再審請求だった。

ところが2012年、同じく名古屋高裁の下山保男裁判長は、検察の主張を採用、再審開始の決定を取り消し、今回、同じく石山容示裁判長と木口信之裁判長は、検察に開示勧告をしなかった理由ものべていない。

静岡地裁が検察に証拠開示を強く迫った袴田事件とは正反対に、名古屋高裁の二人の裁判長は、保身のため上級審の顔色をうかがったということだ。

無罪判決を出した津地裁の小川潤裁判長や、再審開始を決定した名古屋高裁の小出錞一裁判長も生身の人間なら、再審開始の決定を取り消した下山保男裁判長や、石山容示裁判長と木口信之裁判長も同じ人間である。

同じ人間、裁判員でありながら正反対の結論を導き出したのは、そこに疑義があるからの両判断であって、公正であるべき裁判所ならば、深く新証拠を吟味する必要があって当然ではないか。

奥西とて人間である。
真実は彼しか知らないからこそ、法の冷静で慎重な判断が必要になる。

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