笠取山登山

2014年11月22日

前日に崩れかけた天気もやや持ち直し、雲が多いものの雨の心配はなさそうだ。
午前5時、自宅を出発。
予定では雲取山に登ることにしていたが、青梅街道から後山林道に入ってわずかなところで通行止め、仕方なくUターンする。
ここに車を停めて林道歩きをしてもいいのだが、日の短いこの季節、悪い足をひきずりながらの雲取山は少々こたえそうなので急遽計画を変更、多摩川の水源を訪ねることにした。

青梅街道まで戻り、さらに西へ向かう。
おいらん淵の上から一ノ瀬へと上る。
奥に進むにしたがって霧が湧き始め、一ノ瀬の集落は氷点下の気温の中で静まり返っていた。
時間は7時を回り、民家の小さな煙突からは朝餉の細い煙が立ち上っている。
今はしっかりと戸締まりのされたバンガローや民宿を左右に見ながら三ノ瀬へ。
かつての名アルピニスト大島亮吉の紀行文を読むと、この三ノ瀬には哀しい過去が秘められていることが知れるが、現在ではそんな暗さは微塵もない。

多摩川水系の源流となる笠取山への登山口のひとつ、中島川橋へ着いて先ずは軽く腹ごしらえ。
軽い準備体操をして7時30分スタート。
橋から南へ100メートルほど行ったところがコースの取り付きになる。
すぐに檜と落葉松の樹林帯に入り、オフロードバイクでも通れそうな、よく整備された緩やかな道を行く。
風はないのだが、そのぶん寒気が地表一面にわだかまり、まるで浅瀬の水をかき分けるように、寒気を足でかき回しながら歩く。
逆にこの寒さを楽しんでやれとばかりに、わざとペースを落とす。

馬止の標識を過ぎると、尾根を巻くように付けられた明るい道になる。
直登の近道もあるが、そんなものには目もくれず、マイペースでじわじわと高度を稼いで行く。
直登して来た道の合流点に立派なベンチがあった。
少し早いがここで小休止とする。
腰掛けたいのだが、白く凍りついたベンチに座る気が起きない。
位置関係から推測すると大菩薩が見えそうな場所だが、相変わらずの霧で視界は100メートルも利かないのが残念だ。

ここからはまた樹林帯の暗い道になる。
だが本当によく整備されたコースで、とても山道とは思えない。
全体的に、まるで昔ながらの街道を行くような雰囲気が漂い、ふっと、正面から手甲脚絆、振り分け荷物の旅人が現れるのではないかとの錯覚さえ覚える。
小鳥のさえずりのひとつもない静寂の中を、自分の立てる足音だけを聞きながら進む。
この山域を歩くのに一番いい季節は少し外しているのだろうが、初冬の山には何とも捨てがたい魅力がある。
こちらの足音に驚いたのか、道のすぐ脇の笹藪でガサガサッと大きな音がした。
何の動物かはわからないが、こちらが相手の領分を侵していることは確かなので、その場所だけ足早に通り過ぎる。

間違えようのない一本道なので漫然と歩いて来たが、感覚的には西へ西へと向かっているような気がして仕方ない。
本来ならば真北を目指さなければいけないところだ。
何となくおかしいなと半信半疑で歩くうち、5~6回のジグザグを繰り返してわずかに進んだ先で、予定通り縦走路に突き当たった。
ここにも立派なベンチがあり、黒エンジュとある。
右は将監峠方面、左はシラベ尾根を経て水干(みずひ)となっている。
標識の横には東京都水道局のバカでかい案内図があり、この辺り一帯が多摩川水系の源流であることがわかる。
水干とは、水源のそれこそ最初の一滴が生まれる場所で、水道局も周囲の整備に力を入れているわけだ。
そういえば中島川橋の登山口にもここ以上に大きな案内板があり、それには確か「水源地ふれあいの道事業」とあった。
巡視も頻繁に行われているのだろう。
標識もしっかりとしたものだし、何よりここまでゴミひとつ落ちていないのは、我々の知らないところでの巡視員の努力があればこそだろう。
最近はどこの山へ行っても散乱するゴミを見慣れてしまっているだけに、タバコの吸い殻ひとつ、ビニールのかけらひとつ落ちていない山は、それだけで感動する。
願わくば、これ以上、案内板や標識を増やさないで欲しいと願う。
誰もが自然と触れ合えるのは素敵なことだが、すべての人がこのかけがえのない自然を大切にしてくれるとは限らない。
山好きだけが自然を大切にし、慈しんでいるとは言わないが、観光目的の浮かれ気分の人々が入って来るとなれば、山は確実にゴミであふれ、荒廃する。
世界遺産にもなれない富士山が、人間の身勝手と愚かさを象徴している。
そんな僭越なことを考えながらザックを下ろし、立ったまま小休止する。

黒エンジュから北へ歩き始めると雲が切れ、正面にわずかに笠取山が見えて来た。
ピラミッド型の端正な姿だが、ボリュームがなく、どことなく貧弱なのが寂しい。
その姿も、歩くうちにやがて見えなくなってしまった。

小さな沢を一本越えるとシラベ尾根の分岐になる。
地図で見ても、この辺りは道が交錯し、標識がなければわかりにくいところだ。
直進すれば笠取小屋だが、右の道へ入る。
この道がいきなりの急登だった。
ひと頑張りで水干尾根の分岐のはずだからと、がむしゃらに高度を稼ぐが、これが距離は短いものの、とてもひと頑張りでは済まなかった。
いい加減登ったと思うところで息が切れ、おまけに、コース上には腰掛けて下さいとばかりに露岩があったので思わず休んでしまう。
息を整えてから歩き始めると日も照り始め、やっと雲の上に出たことがわかる。
山腹を巻いていた道がいつの間にか尾根上に出ており、左手の眺望が開けてきた。
それでもまだ雲が多いが、遠く見え隠れしているのは大菩薩だ。

水干尾根の十字路に出ると水干まで300メートルとあったので向かった。
目指す水干はガレた沢で、この時期には源流水どころか一滴の水も垂れることなく干上がっていた。
なるほど水干とはよく言ったもので、名前の通りで見るべきものはなかった。

十字路まで戻り、一番不明瞭な踏み跡をたどって最後の直登をする。
痩せた稜線に出て小さなピークをひとつふたつと越して行くが、隣り合ったピークがどれもほとんど同じ高さなので、いったいどれが正真の頂上なのか判然としない。

やがてひとつのピークに達し、振り返ると古木の幹に「笠取山」と小さな標識があったので、ここが頂上だと知れた。
何とも張り合いのない貧弱な山頂だが、それでも1,953メートルはある。
もっともこの標高は分相応というべきで、これが2,000メートルを超えていれば、それこそ背伸びし過ぎだろう。
露岩のまじった頂上には三角点もなく、ところどころにシャクナゲの葉が震えているばかりだ。
縱走路から見た整った姿も、実際にこうしてピークに立ってみれば笠の形などとは程遠い。
もっとも帰ってから調べてみると、決して笠の形からから来た名前ではなく、その昔、甲州と武州の国境見回りの役人が笠を取って挨拶し合ったところからその名が付いたという。
なるほどと思うが、それが仕事とはいえ、こんな場所まで大変なことだったろう。
タイムマシンでもあれば飛んで行って、ぜひその労をねぎらいたい。

見通しはそれほど利くわけではないが、雲の切れ間に大菩薩が見え、一瞬ではあるが木賊山の右肩にほんのわずか、甲武信岳がのぞいた。
北の埼玉側は一面の雲海で、雁坂の辺りから張り出した尾根が数本、雲の下に沈みかけている。
南から湧いた霧が流れてすぐ眼下の雁峠の上を通過し、それが集まって武州側の雲となって行く。

ここで昼食にしようと考えていたが、うすら寒いのでミニアンパンをひとつ口に押し込んで、そそくさと頂上を後にする。
いつの間にか雲も増え、日が陰って来ていた。
すぐ西のピークからは雁峠方向への急な下りになるが、いったいどうしたことか、この辺りの立木がほとんどすべてといっていいほど黒く焼け焦げている。
落雷による火災か、それとも人間の火の不始末か。
いずれにしても胸の痛む光景だ。

右下には雁峠山荘の赤い屋根が見えている。
日が射していれば最高に気分の良い明るい場所だが、体がすっかり冷え切っていた。
どこかで落ち着いて温かいものを口に入れたかった。
勾配が強すぎて、両手を使わなければ下るのが難しい。
しまいにはついにスリップ、2メートルほどやりたくもないシリセードをやってしまった。
情けない思いで下り切ると、すぐ左手には柳沢峠から続く斎木林道がコースに並行している。

分水嶺で昼食にする。
なだらかな高原状の一角で、ピークともいえない小さな丘が多摩川、荒川、そして富士川へと雨水を分ける地点だ。
ここにも立派な案内板とベンチがあり、休憩を取るにはちょうどいい。
コッヘルに湯を沸かす。
風はまったく無いのだが、寒気が足元から這い上がって来る。
カップラーメンにおにぎり一個。
(残りのおにぎりは、簡単な山行でも非常食として必ず取っておく)
しかしどうも体が温まらない。そそくさと後片付けを済ませて歩き始める。

雁峠へ往復。
田んぼのようにぬかるんだ道を、靴にいっぱい泥をつけながら歩く。
ところどころにニホンカモシカの新しい足跡があった。
落葉松林の中に建つ雁峠山荘は人の気配もなく、ひっそりと静まり返っていた。
シーズンを過ぎた小屋前の水場では、勢いよく水を吐き出すゴムホースが、まるで蛇がのたくるように、ひとり侘しく踊っているばかりだった。
それにしても今日ここまで、まったく登山者の姿がなかった。
寒風が吹き抜ける峠に立ち尽し、しばしの間、独りを噛みしめる。

分水嶺まで戻り、林道を笠取小屋へ向かう。
ここも無人の建物の間を抜け、ミズナラの一休坂を下る。
途中のコース上に動物のフンが落ちていた。
大きさから想像すると、どうも中型獣のものではないかと思われる。
しゃがんで仔細に見てみると、アケビを食べたらしいことがわかる。
まだ新しい。
思わず辺りを見回してみるが、もうその落とし主がいるはずもない。

勾配のきつい道を半ば駆けるように下る。
新緑の頃は最高に気持ちのいい道だろう。
少し前の季節なら、マイタケも多く出るに違いない。
一休坂十文字のベンチでミズナラの巨木を見上げながら、最後の休憩を取る。
そしてヤブ沢からの道に合流し、やがて一ノ瀬川本流左岸のプロムナードを歩いて作場平橋へ出た。
ここからはのんびり30分弱の林道歩きでスタートの中島川橋に戻る。
時計はまだ3時を回ったばかりだった。

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