30歳になりました

今日で20代を終えた。

20代というのは一般的には成人をし、飲酒ができるようになり大学を卒業し、社会人となり、結婚や出産、人生の変化が多く起こる10年だと思う。責任も自分で取らないといけなくなるとか、いやでも大人にならざるを得ない20代。

成人した誕生日の夜、ちょうど10年前のわたしは母が買ってきてくれたケーキと共にワインを飲んだことを覚えている。酔っぱらったわたしは自宅のリビングで大の字に寝そべって「わたしは幸せものだ~~~~~」と涙を浮かべそのまま寝た。12月なんて当たり前に寒い。翌朝はしっかり風邪をひいていた。
なんて不安しかない20代の幕開け。

20歳の頃は投薬の影響もあって人生で一番太っていた。これを当時を知らない人に話でも絶対信じてもらえない。今より20キロは重たかった。一生の記念になりうる成人式の写真も手しか映っていないショットなのに「太っているだろうな」と容易に想像できるパンパンさ。

そもそも、高校時代、猛勉強して志望校に入ったはよかったものの、燃え尽き症候群と両親の険悪さも影響し、2年生の頃に不登校・そのまま休学。引きこもりのような生活を送っていたので、太った姿を誰かに見せる機会もなかったのは不幸中の幸い。

太るだけでは足らず、メンタルもしっかり蝕まれていき、10代の頃から数回精神科に入院していた。古い病院で、窓に格子がついているいかにもな建物。当時、希死念慮が強く閉鎖病棟にいることが多かったのだが閉鎖病棟は鉄の扉で常に施錠されており、許可がないと外へ出られない。(そもそもなかなか許可も下りない。)
入院期間の仰天エピソードは山ほどあるのだけど、脱線となるのでここでは省略。
余談だけど「ブラックジャックによろしく」の精神科編は本当にリアルな閉鎖病棟を描いているなと感激した。興味ある方は、無料で公開しているはずなので読んでみてほしい。

20代は具合が悪くなりつつも、ギリギリ入院はしていなかったが22歳くらいの頃に入院(3年ぶり3回目)をした。ああ、本当に一生こんな生活が続くんだなって絶望感でいっぱいになった。だって、病院に入院している人たちのほとんどがわたしよりも10から20も年上で、50代60代がむしろメインだった。「きっとわたしもゆくゆくはこうなっていくんだな」って思わされる環境がいやでも整いすぎていた。
3.11の地震も病院の中だった。当時は狂気に満ちた地獄みたいな院内だった。20歳の頃に両親離婚が成立し、その前後から会っていなかった父と5年ぶりの再会をしたのもこの入院の時だった。
3か月ほどで退院をし、わたしに後に転機となることが起こる。

母が転院を進めてきたのだ。
その先生は、わたしが治療していた病気の研究をし、本も何冊か執筆していた。しかしその病院は電車最寄駅からバスで30分と立地が悪く、なにより5年近くお世話になっている先生を裏切ってしまう気がして躊躇った。でもまあ今より悪くなることもないだろうと、転院をした。
その先生は飄々としていて、一言でいうと超クレバーなファンキーじいさんって感じ。初診は60分取ってくれるのだが、話をしてすぐ

「あなた病気じゃないよ」

???は????
じゃあなんでこんなことに?わたしのこの治療した5年は?
なに言ってくれてんのじいさん。
と思っていたら、先生は続けて

「まあ病気じゃないなら、元に戻るんだからいいじゃない。
 本当に病気なら大変よ、あっはっはっは」

と、超くそポジティブなこの言葉に当時のわたしは救われて
この先生に診てもらうことを決心した。

それからというもの先生は
「寝られるときに寝て、食べられるときに食べる。
 やりたいようにしなさい。」
と言ったので、自分でいうのもなんだけど、クソがつくほど真面目なわたしは言いつけをしっかり守って自由に過ごした。許容してくれた母には本当に感謝をしている。だが、それでも具合はよくなったり悪くなったりを繰り返し23歳の時に、自ら入院をしたいと母に申し出た。金銭的にかなり厳しい状況だったのも承知だったが、今までは、何か事故を起こしてから入院していたこともあって最悪の事態になる前に自ら入院したほうがよいのではと極限状態ながらに考えた。

ファンキーじいさんが紹介してくれた病院は、今までのところとは比べ物にならないくらい綺麗な建物で看護師さんもはちゃめちゃに優しかった。どうやらこれが今の一般的なスタイルだったらしい。環境も良くて、たくさん考える時間ももらえて、3か月弱で退院。失声症になった時期もありつつ、徐々に元気にはなりました。あれって、本当に声でないのね。びっくり。

その半年後には4年半ぶりにアルバイトを再開し、
そのさらに1年半後には一人暮らしを始めるという驚異的な回復。
これも先生にずっと言われ続けていたことで、
「アルバイトしたらいいんじゃないですか?」
「一人暮らししたらいいんじゃないですか?」
と毎週会うたびに言われ続け、
どうせできないと毎週返していたのだが、
「失敗したら辞めたらいいし、実家に帰ったらいいじゃないですか」
と言ってくれ、まあやってみるかと実行してみた。

一人暮らしも落ち着いた頃には
「もうあなたは卒業です。来なくていい。」
と毎週言われるようになり、
ここは踏ん張るときなんだと受け止め、通院が終了した。
「辛くなったらまたいつでも来てくださあい^^」と
受付をしている先生の奥さんも笑顔で送り出してくれた。

そこからは、本格的に社会復帰を目指すために25歳で就職活動をはじめ、半年間で25社くらい面接を受け、今の会社に入社をした。今までの経歴なんてゼロに近い中で、面接の時間を頂き、人柄やポテンシャルを買って、数社内定を頂けたことは、本当に感謝している。

27歳には一人暮らしで住んでいた近くで痴漢に遭い人生初の被害届の提出と弁護士を立てて戦った。正直とてもしんどかったが、転居を機にお付き合いしていた彼と同棲を始めた。

28歳には、高卒認定試験を取得し、念願の自動車免許も取得した。(しかもMTで!)
29歳で同棲していた彼と結婚をし、そのために7年ぶりに父と再会。
記念撮影もした。父と写真を撮るのは、たぶん15年くらいぶり。

30歳目前に住宅購入を心に決め、来年からは住宅ローンの返済が開始予定。期待と不安が入り混じる30代の幕開けです。

正直、心がくじけそうになる時なんてしょっちゅうあって、「どうせわたしは落ちこぼれがメッキ仕様になっただけで幸せになんて求めちゃいけないんだ…」とハイパーネガティブモードに突入することもあるけれど、20代が始まったころの「食べるものも着る服もお風呂も会話も自由にできなかった生活」を考えると、あそこまでの絶望まではないだろうと思えるので、毎日が幸せです。

軽く振り返るつもりがかなりのボリュームになってしまった。
30代もこれだけ書いても書き足りない10年になったらいいな。
大学入学・卒業が30代の目標です。

30歳になった誕生日の夜、夫が予約してくれたレストランでお台場の夜景の上を舞う花火を見ながらケーキを共に食べた。流石にお店で大の字に寝そべることはなかったけど、10年前と同じく「わたしは幸せものだ」と実感した。30代の幕開けは、10年前よりもわくわくしていた。少しは成長できたかな。

決して順調とは言えなかった30年だったけれど、ここまで生きてこられたのは、その当時いろんな人の助けがあったから。
本当に感謝しています。
これからは、わたしが誰かの助けとなれるように。

2019.12.14

しがないおたくの実情。