2~3年かけて47都道府県を全部行く旅 1.新潟県(新潟市・佐渡市)
コロナのおり、海外にも行けないので国内旅行でもしようかと思って新潟に行ってきました。
大きな幻想を抱いて海外に行き、失敗するよりも日本各地をまわった方が楽しいのではないかというのが、新潟から帰ってきて思った感想です。
当たり前のことですが、本州くらいであれば移動費も大してかからず、言葉も通じ、メニューから食事の味を想像することができます。わくわく感にやや欠けるところもありますが、安心して旅行することができます。そしてなにより名古屋発で考えると韓国2泊3日分の費用で新潟旅行が3回できます。費用の差が段違いです。
1-1.佐渡までのルート
名古屋から新潟まで飛行機、電車、バスと公共交通機関の選択肢は豊富ですが、費用をとるならバスになります。
名古屋から新潟まで名鉄バスが1日2本、昼発夜着昼行と夜発朝着の夜行です。時期によって値段は変わり、5000~8000円で行くことができます。
感染症対策の面では夜行バスはマスクを外して睡眠をとる人をちらほら見かけたので、飛行機より劣ります。おそらく到着時の疲労を考えると体力のない方は飛行機がよいでしょう。
5時半に新潟万代シティバスターミナルに到着します。周囲はショッピングモールや飲食店で溢れていますが、もちろん閉まっており、空いているのはコンビニくらい。
歩いて5分の距離にマクドナルド新潟万代店ががあり、開店は万代シティ周辺だと最も早い6時です。ただし「新潟まで来てマックかよ」という意見もあります。
ところがこの店舗はNGT48サインが飾ってあり、新潟に来たことを実感することができます。早朝の新潟観光をしようと思ったら、ここか信濃川散策しかありません。
佐渡へ行くにはジェットフォイルとカーフェリーのどちらかでいきます。ジェットフォイルは特急料金的ものとしてカーフェリー代プラス3000円程度かかります。
夜行バスに乗るような節約志向の旅行者はカーフェリー2等室(3370円)を選びました。
※今回は佐渡汽船の往復フェリーと旅館付きフリープランを利用
便は少なく6:00の次は9:20になってしまいます。6時はバスによっては間に合わないので9:20を選択しました。ターミナルまでマクドナルドから歩いて15分かかるので、8時45分まで時間をつぶすことになりました。
1-2.佐渡 トキの森公園
トキの森公園まで行くには新潟交通佐渡が運行する路線バスで行くことができます。
両津港佐渡汽船バス停から南線に乗り、トキの森公園バス停で下車すぐです。南線はトキの森公園を経由しないバスが多く、トキの森公園に停車するバスは8時台~14時台に両津港佐渡汽船を出発するバスのみとなっています。
2020年現在、鳥インフルエンザなどの感染症がはやっているため、トキの森公園の見学エリアが大幅に制限されています。そのため、見学時間は1時間を見て置けば十分だと思います。バスは大体1時間おきなので、ちょうどよいスケジュールが組めました。
「マジックミラーの向こう側からトキを観察することができます。鏡の向こうに人間がいるとはトキも思っていないので、鏡に近づいてきたトキをまじかで見ることができます。」という触れ込みのマジックミラーから撮影しました。
あまりにもトキが鏡から遠い場合、スタッフが望遠鏡を遠くのトキに合わせてくれます。
帰りのバスの車窓からトキらしき鳥影を見たので途中下車して見に行きました。美しい朱鷺色の羽を持った鳥が2羽、おそらくトキの夫婦でしょう。
※トキは臆病な生き物なので遠くから見守りましょう。田んぼは私有地なので田んぼの中に入らず、道路から見守りましょう。私はルールを守った結果、トキなのかサギなのかよくわからない写真しか取れませんでしたが、これはカメラが悪いのです。
1-3.佐渡金山
トキの森公園バス停から両津方面行バスに乗って新穂バス停で佐和田バスセンター行に乗り換えるか、トキの森公園バス停からそのまま佐和田バスセンター行に乗るかの2通りあります。どちらも新潟交通佐渡南線です。
佐和田バスセンターから本線に乗り換え、佐渡金山もしくは相川バス停で下車します。
相川から歩く場合、トロッコ列車線路跡をたどりつつ、歩いて30分かかります。
私は相川から歩きました。佐渡金山までの道すがら最初に出てくるのが、北沢浮遊選鉱場です。ここで水と金鉱石をかき回すと泡に金がくっ付いて浮かんでくるそうです。金が水に溶けないことを利用したものです。
浮遊選鉱場の向かいにはシックナーというろ過装置やトロッコ列車線路跡が保存された公園になっています。
そこから夜間ライトアップされた浮遊選鉱場を見ることもできます。
浮遊選鉱場から金山に行く途中、宮内省所有時代の事務所も残されています。現在は郷土資料館になっています。
明治時代に宮内省御料局の佐渡金山関係事務所として建設され、後に三菱に払い下げられたたてものです。1棟だけでなく建物群として残されており、機能していた時代を彷彿とさせてくれます。
続いて最近まで三菱マテリアルの採金工場として稼働していた廃墟群です。なにやら公開に向けて整備をしているらしく、将来が待ち遠しい施設です。
崖の上にある白い平屋は砕石機です。石を崖下に落として砕くという原始的な砕石機を平成8年まで使用していたようです。
上の建物も良いですが、注目すべきは土台の石垣です。おそらく明治時代に積まれた藻ものだと思います。なかには人造石というコンクリのような人工的に作られた石材も使用されています。
こうして徒歩30分の道のりを2時間くらいかけて佐渡金山に到着しました。予約なしで見ることができる幕末の坑道と現代の坑道のほかに、事前予約で更に深くまで見ることができるツアーもあります。ぜひ予約をお勧めします。
2-1.新潟市の近代建築
新潟市は北前航路の拠点として江戸時代から栄えていました。栄えていたと言っても秋田、酒田、直江津、敦賀などなど日本海側諸都市と大差のない都市でした。江戸時代後期から戦前にかけて対外貿易や信濃川治水事業の進行で日本海側第一の都市に成長します。金、石油、米、海産物など多様な資源にも恵まれます。
こういった歴史を持つ新潟市は発展段階の建築物が多く残されています。
幕末の開港のさいに作られた税関です。新潟市歴史博物館に保存されています。この地域の土蔵によくみられる海鼠壁が美しい建物です。
日本も大政奉還など諸々のゴタゴタを経て民主化します。民主化したら議会が必要になります。
そこで明治16年に県議会議事堂が作られます。一見すると洋風建物ですが、瓦は江戸時代からの伝統的な桟瓦を使っていたりしています。
県議会議事堂は現在憲政記念館として公開されています。憲政記念館がある白山公園には明治~昭和にかけてつくられた財閥の住居やそれに付属する庭園もあります。
戦前の新潟には地方財閥という地元の金持ちが数多くいました。白山公園には燕喜館という新潟三大財閥の1人である斎藤氏の住居が、そしてこの写真に写っている庭園も斎藤氏が所有していたものです。
旧斎藤氏別邸内の庭園で名称にも指定されています。二階建ての母屋から庭園を見下ろすことができます。明治時代から流行り始めた、格式に規制されない自由な庭園作庭技法です。そのため2階という斬新なビューポイントを設けているのです。
新潟の近代建築で外せないのが万代橋です。昭和3年築造ですが、現代の車社会に対応しているというオーパーツ的な橋です。
設計者は相当な先見の明を持っていたのでしょうか?当時の量産車といえば数年前にフォルクスワーゲンビートルが発売されたばかりです。
以上、新潟旅行でした。2021年になってまたコロナウイルスが盛り返してきました。あと46都道府県行けるのでしょうか?
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