ドルフィンポートの思い出
今日で閉業から4年経過した
2020年の今日、ドルフィンポートが15年の土地契約を経て閉業となった。鹿児島の特産品や地元の食材を使ったレストランなどがそろった施設だった。
もともと当地はホテルなどの施設を建設するために開発された場所だったが、バブル崩壊で建設が頓挫した。暫くは草地だったが、2003年に鹿児島県が事業者を公募し、2005年4月に難産の末に開業した。県内産の木を使った建物で、南国を連想させる屋外デザインが印象的な施設だった。
最も思い出に残っているのが2018年のことだった。それまでは2008年にオープンしていた大河ドラマの篤姫館に行った位だったが、近くの専門学校に通っており、学校帰りに夏を除く毎日ドルフィンポートに設置されていた足湯に浸かるのが日課だった。
少しずつドルフィンポートに親近感を持っていた。学生で金欠だったから寿司屋やレストランを利用する余裕はなかったけれど、学校終わりが7時だったから割引されたおにぎりを食べながら足湯につかりそこから見える夜の桜島と錦江湾が好きだった。
そのドルフィンポートが閉業するのを知ったのが2019年のことだった。元々ドルフィンポートは2020年の鹿児島国体(2023年に延期になったが)の体育館設置のために2016年に前倒し閉業を当時の伊藤知事が計画し、それが原因でリコール騒ぎにもなったことは知っていた。しかし、当時はあまり鹿児島の地理にも詳しくなかったため、まさかこんなに早く閉業するなんてと驚きで隠せなかった。しかし、2019年に専門学校は卒業したので疎遠になってしまった。更に翌年は例のウイルスの襲来でほぼ通うことが不可能になった(自業自得だが)。
ドルフィンポートで予定されていた予定もほぼ中止になった。それでも最終営業日である3月31日は後悔したくないためこの日だけは行くことにした。客でごった返してておりこんなに人の多いのはいつぶりだろうと驚いた。コンサートやマスコミなども来ていた。最終日だがいつも通り足湯に浸かり、イルミネーションをお気に入りのシナモンの人形を添えて撮影し、後にすることにした。
ドルフィンポートは直ぐに解体され今は駐車場が残っているのみで、完全に更地になった。しかし、看板はなんと移転しためっけもん裏にも残っている。
実は自分もドルフィンポートに関する資料を残している。
ガイドブックだ。1つは自分用、もう一つはコレクターへの譲り用、最後は・・何Ⅰ0年後かの鹿児島市の寄付用だ。ドルインポート、一人での利用が多かったが今考えればめちゃくちゃな自分の青春に一役買ったようだ。
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