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70人訳聖書と聖書の霊感

 本文は、出版準備中の書物の聖書論に関わる部分を抜き書きにしたものです。たまたま、先日対談した島先克臣さんと言う方が、過去になされた聖書に関わる非常に優れた論考を拝見する機会があり、それに触発されて、ここに掲載してみました。なお、出版準備中の書物は、啓示論に関する本で、特に特殊啓示と呼ばれる内容について述べたもので、全体の全5章中の第2章(全7節)の3節4節にあたる部分です。以下本文に入ります。


第三節 七〇人訳聖書の問題

聖書は、神の啓示の働きの結果です。そのことを、テモテへの手紙第二を記した聖書記者が次のように述べている言葉に顕著に表れています。

また、自分が幼い頃から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに至る知恵を与えることができます。聖書はすべて神の霊感を受けて書かれたもので、人を教え、戒め、矯正し、義に基づいて訓練するために有益です。
             テモテへの手紙第二、3章15節から16節

ここでいう神の霊感とはθεόπνευστος(セオプニュ―マトス)であり、それは神の息が神の口から吹き出されたものであるということを意味します。つまり、聖書の言葉は、神の口から吹き出された言葉なのです。先にも述べましたが、聖書は人間の言葉をもって書かれているのです。しかし、その人間の言葉は、神によって吹き出されたものなのです。つまり、人の口を通して神の言葉を噴き出させ、その結果、神の言葉である聖書が生み出されていったと、テモテへの手紙第二の記者は言うのです。だから、神の言葉である聖書は啓示が生み出していった結果なのです。その啓示が論証し難い信仰の事実であるならば、当然その結果である「聖書は神の言葉である」ということもまた信仰の事実として受け止めるべきものであると言えるでしょう。この「聖書は、神の霊感によって書かれたものである」という言葉は、聖書自身の自己証言です。聖書は聖書自らが神によって書かれたものであるとそう主張するのです。しかし、このテモテ第二の手紙で言う聖書は、先ほどのヨハネ5章39節の場合と同様に旧約聖書であって、そこには新約聖書は含まれていません。だとすれば、新約聖書は神の霊感を受けて書かれた書物ではないのでしょうか。

いやそれ以前に、そもそも、ここでいう旧約聖書とは、わたしたちプロテスタントの教会が用いている旧約聖書なのかどうかということさえ問題となります。と言うのも、一般にプロテスタントの教会は新約聖書・旧約聖書66巻を正典たる聖書であるとしますが、このような正典理解は、プロテスタント教会の理解であり、カトリック教会や正教会の正典理解と必ずしも同じではありません。と言うのも、カトリック教会も、また正教会も、プロテスタントの教会が外典(απκριφα:アポクリファ)と呼ぶものも聖書の一部だと考えているからです[i]。日本聖書協会による新共同訳聖書や協会共同訳聖書の中に、新旧約66以外に外典というものが含まれているものがあります。この外典の部分は、70人訳聖書(Septuaginta:セプティアギンタ/略語LXX.)と呼ばれるものに含まれているものです。このヘブル語本文(マソラ本文)になくLXX.だけにあるものを外典(アポクリファ)と呼ぶのです。しかし、イエス・キリストの時代にはこのLXX.が一般的に使われていました。それゆえに、新約聖書にある旧約聖書からの引用の中にはLXX.から引用されているものもあるのです。そのようなわけで、カトリック教会では、この外典を第二正典として旧約39巻と同等に扱い、正教会では、クリスチャンにとっての正統な旧約聖書の原典は、ヘブル語原典(マソラ本文[ii])ではなく、LXX.だとします。

これに対してプロテスタントは、正教会とは逆にLXX.はもともとヘブル語聖書の翻訳なのだから、ヘブル語原典に含まれていたもののみが聖書とされるべきであるとして、マソラ本文に含まれていない外典を聖書の一部とは認めていません。もっとも、このことはある意味、プロテスタント教会に大きな課題を残すことになったことは否めません。たとえば、イエスの母マリヤの処女降誕を示す預言の個所として挙げられるマタイによる福音書1章23節の言葉は次のように記されています。

「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」これは、 「神は私たちと共におられる」という意味である。

この言葉は、旧約聖書イザヤ書7章14節の引用であるが、引用元のイザヤ書においては、「おとめ」という言葉はアルマーとなっており、一般的に若い娘を意味します。それを処女として理解するのはLXX.が、このアルマーを「処女」を意味するπαρθένος(パルセノス)と訳しているからです[iii]。実際、この個所を含み新約聖書の多くの引用がLXX.からのものです[iv]。また、聖書として受容しているものの配列は、マソラ本文ではなくLXX.の配列であり、その表題もLXX.に負うものです。とりわけ、聖書の配列には、一巻の書としての神学的理解がそこにあります。当然、そこには何らかの神学的意図があったと考えられるでしょう。加えて新約聖書を含み正典結集がなされたとされるカルタゴ会議(397年)における旧約聖書の正典リストには外典も含まれているのです[v]。このことを考えると、プロテスタントの教会であっても、LXX.を全く無視し、排除するというわけにはいかないでしょう。

 しかし、だからと言ってヘブル語原典を重んじる必要がないというのではありません。翻訳よりもオリジナルの言語の方が重要なのは自明なことです。だから、旧約聖書39書を理解するためには、まずマソラ本文から入る必要があることに異存はありません。ただ、LXX.の重要性は、そのヘブル語原典を、どのようにキリスト教会が理解し受容してきたかということにあります。つまり、LXX.はあくまでも翻訳であり、そこに見いだされるのは、ヘブル語原典の語義に対する解釈なのであって、最初期のキリスト教は、へブル語本文による聖書を、LXX.を用いつつ、旧約聖書の文言を解釈していったのです。そしてそれは、旧約聖書と新約聖書を決して分断させず、むしろキリスト教とユダヤ教と連続性と解釈の差異を明らかにすると言えるでしょう。その意味では、LXX.がもつ歴史的意義は決して小さくありません。また、いわゆる外典と呼ばれる部分は、LXX.自体が原典なのです。そしてその原典である外典が、マソラ本文の最後の歴代誌から新約聖書の時代までの間にある約400年間の中間時代の歴史を埋め、旧約聖書と新約聖書の歴史を結ぶ。それは、キリスト教の歴史観を捉える意味で、きわめて重要なものです。ところが、現実に聖公会を除くプロテスタントの諸派教会においては、一部の聖書学者が、その研究の中でLXX.を取り上げることはあったとしても、実際の教会の現場では外典が顧みられることは現在でもほとんどない[vi]。読まれることさえ全くないと言ってもよい状況である。

このように、外典を聖書の一部と考えるかどうかで、プロテスタントの諸教会とカトリック教会、正教会とは未だに意見の一致を見ていません。私自身は、このLXX.の取り扱い、また外典の問題はプロテスタントの教会の聖書論にとって喉に刺さった骨のような問題であると感じているのですが、ここでその違いをあえて問題として取り上げようとは思いません。むしろ着目したいのは、このように、旧約聖書に含まれる文書については未だに解決に至っていない部分が存在してはいますが、しかし確かに言えることは、少なくとも旧新約聖書66巻は、間違いなくどの教派の教会であっても、これを正典として受け入れているということです。つまり、この66巻を通して、信仰的な、あるいは神学的な対話・対論の道は開かれているのです。

 

 第四節 正典結集の歴史的プロセスと教会の決定である聖書

 

新約聖書がその本文中で聖書について語る場合、それは旧約聖書であることは、これまでに述べてきたとおりです。そして、今、ここで問題とするこのテモテ3章16れていません。いや、聖書自体がその本文中で聖書というとき、それはすべからく旧約聖書のことであって、そこには新約聖書は含まれていないのです。だとすれば、新約聖書、とりわけ使徒書に分類されるものは神の言葉ということはできないのでしょうか。このことに関して、ペトロの手紙二の3章15節、16節には次のように述べられています。

また、私たちの主の忍耐強さは救いであると考えなさい。それは、私たちの愛する兄弟パウロが、彼に与えられた知恵に基づいて、あなたがたに書き送ったことでもあります。すべての手紙と同じように、彼も、これらのことについて述べています。彼の手紙には分かりにくい所があって、無学な人や心の定まらない人は、それをほかの書物(γραφή:ガラフェー)と同じように曲解し、自分の滅びを招いています。

 ここで述べられていることは、パウロが書いた手紙には、やや難解な箇所があり、人々は「ほかの書物と同じように曲解し」ているということです。注目すべきは、パウロの書いた手紙を「ほかの書物にしているように」と言っている言葉です。この「書物」と訳された言葉は、もともとの原語であるギリシャ語ではガラフェーとなっています。ガラフェーとは書かれたものと言う意味ですが、新約聖書では、しばしば旧約聖書を指す言葉として用いられています。それゆえに口語訳聖書や新改訳2017は、この「ほかの書物と同じように」を「ほかの聖書にしているように」(口語訳)とか「聖書の他の箇所と同様に」(新改訳2017)と訳しているのです(ちなみに聖書協会共同訳は書物)。このような訳には、明らかに翻訳者の神学的理解が反映されています。そして、仮にその神学的理解が正しいとすれば、このペトロ第二の手紙の著者は、パウロの手紙を聖書と同じ位置においていることになります。さらに「ほかの聖書に」というように、パウロの手紙と同じように聖書と同等にあつかわれている書物が他にもあったということを、暗に示唆しているとも思われます。しかしこの「ほかの聖書について」といわれる「ほかの聖書」は、使徒を含めた弟子たちの記した文書が、すでに旧約聖書と同等権威をもって受け止められていたのか、あるいは旧約聖書を指しているのか、あるいはヘブライ語本文に対してLXX.を指しているのかは定かではありません。

 しかし、そのような断定できない状況ではありますが、一般的には、このガラフェーはそのような不確定的な要素を含んで、聖書を指すと受け止められているのです。もちろん、このガラフェーを、その本来的意味の「書かれたもの」という意に従って「書物」と訳すこともできます。当然、「書物」と訳すにも、そこには翻訳者のもつ神学的理解があることは間違いありません。そしてこの場合も、この「書物」がパウロの書いた他の手紙を指すのか、それとも、他の使徒たちの書いたものを指すのか、あるいはそのほかの一般的な書物を指すのかは定かではないのです。

このような状況を考えると、このペトロの手紙二の3章15も16節をのってペテロの手紙二の著者がパウロの手紙を聖書と同等においていたと断定することはできないでしょう。しかし、それでもなお初代の教会が、かなり早い時期に、後の新約聖書となる27巻の書物(それ以外の書物を含む可能性を含めて)を権威ある文書としていたことは間違いがないと言えるでしょう。実際、現在の新約聖書27巻以外のキリスト教に関する文書である新約外典も存在しているのです[vii]。そのような中で、初期のキリスト教の歴史を知る歴史的文書の一つとしてムラトリ断片というものがあります。このムラトリ断片は200年頃つまり二世紀から三世紀初頭に書かれたものだろうと言われますが、この中にその当時、権威ある書物とされたものの目録に関する記述があります[viii]。

ムラトリ断片は、聖書正典のリストに関する最も古い文献ですが、そこには、現在の聖書に含まれている文書の名前が見られ、かなり早い時期から、新約聖書となるべき権威ある書物が何であるかということが模索されていたことがわかります。もっとも、そのムラトリ断片には、先に記したペトロの手紙第二は含まれていません。実際、ペトロの手紙第二についてはムラトリ断片が書かれたであろうと考えられる二世紀から三世紀のオリゲネスによっても問題がある書とされています。また、三世紀から四世紀のエウセビオスという人物によっても問題のある書に挙げられているのです[ix]。したがって、先にも述べたように、このペトロの手紙第二を根拠に、新約聖書27巻が、最初期の教会において、すでに聖書としてあつかわれていたと断定するのは、学術的視点から言うならば、少々勇み足の感が拭えません。こうしてみると、旧約聖書と同じ権威を持った新約時代の文書が、最初期に属する教会から存在していたであろうことはほぼ間違いがないにせよ、歴史の中でその正当性が問われ、そのような歴史の流れの中で、397年のカルタゴ会議で、現在の形の新約聖書の枠組みができたのです。

 このカルタゴ会議において、どの書物が聖書に含まれるかについて議論された際、最終的な決め手になったのは、使徒性ということです。使徒性とは、イエス・キリストに直接選ばれた弟子であり、イエス・キリストの生涯の目撃者たちに起源をもつ事柄を言います。その使徒に由来する使徒性を有する文書を新約聖書と認めたのです。

もちろん、ルカやマルコはイエス・キリストの生涯の直接の目撃者ではありません。しかし、彼らはペトロの弟子としてペトロから直接イエス・キリストの話を聞いていたものと思われます。それゆえに、彼らの書いたとされる福音書は直接使徒に由来するものとして認められたのです。それはパウロも同じです。いや、むしろパウロに至っては、ダマスコの経験(使徒9章1~23節)で復活のイエス・キリストと出会っているのですから、完全ではないにしろイエス・キリストの復活の目撃者であると言うこともできます。もちろん、このような見方は、私が属する福音派からの見方であり、文献批評学的な立場に立つリベラルな聖書学の立場や、歴史学的な立場からの見方に立てば、そもそも聖書各巻の記者が誰であるか自体が既に問題であり、それゆえに、聖書記者に対する使徒性を問うこと自体、無意味なものだと言えるでしょう。そしてそれは、学問的にはある意味正しいことであると言えるかもしれません。

 しかし、たとえそうであっても、少なくともカルタゴ会議が行われた時には、新約聖書27巻の使徒性が信じ受け止められたのです。それはすなわち、現在の新約聖書を構成するこの27の書物にある主張・思想は使徒に繋がるものであるということを、その当時の教会が認めたということでもあります。むしろ、その事実が大切なのです。というのも、文献批評的な研究は、新約聖書27巻で聖書記者として冠せられたその名前とその著者性に疑問を呈し、歴史学な研究は聖書の中の様々な歴史的誤りを示します。また、科学者は聖書にある科学的な誤りを露呈させています。もちろん、このような誤りや誤謬は聖書が書かれた時代の人々が持つ知識の制約を受けているために起こっている事象であると言えるでしょう。またあるものについては、奇跡ということにおいて受容するということも可能です。奇跡は再現不可な神秘な出来事だからです。事実、私自身も聖書に書かれている奇跡を信じています。しかし、だからといって文献学的知見に基づく理解や、批評学的神学の研究成果を無視する必要はありません。もちろん、その全てを受容しなければならないというわけではありませんが、そこに学ぶことも決して少なくないのです。また、現実に旧約聖書をめぐって、どの文書が聖書に含まれ、どの文書は排除されるのかということの危うさを、今日まで引きずっているのは、先に示したとおりです。

にもかかわらず、教会は、その教会の歴史の中で、聖書正典を定め、それをもって聖書は神の啓示の書であると信じ受け止めてきたのです。それゆえに、聖書が神の啓示であり、「神の言葉である」ということは、教会の伝統に属するものであり、先に述べた信仰の事実なのです。この信仰の事実であるということが聖書論においては重要なポイントであると言えます。というのも、聖書は神の啓示の書であるということが信仰の事実であるがゆえに、「聖書は自らが神の言葉であることを承認することを求めるものである」ということが、信仰の論理として成り立つからです。

聖書は人間の言葉です。これは紛れもない歴史的事実です。聖書は、過ちがあり[x]、誤謬があり、時には欺瞞がある人間の言葉で記されています。しかし、神はその聖書の言葉を、教会会議において神の言葉として承認し、教会にも神の言葉であることを承認することを求めたのです。そこにおいて、はじめて、「聖書は自らが神の言葉であることを承認されることを求めるものである」という言葉が成り立つのです。

ここにおいて、神の霊感という言葉、すなわちギリシャ語のθεόπνευστος(セオプニューマトス)に立ち返って考える必要があります。先にも述べましたように神の霊感と訳されるセオプニューマトスという言葉は、神の言葉が吹き出されたものであるという意味です。このセオプニューマトス言葉は、一般的には、聖書記者に対して向けられてきました。私はそのことを否定しようとは思いません。むしろ「聖書はすべて神の霊感を受けて書かれたもので」あるということは、旧約聖書が書かれる段階において霊感の働きがあったことを示唆しており、それゆえに、聖書記者の神の霊感の働きかけがあったことという主張を支持し、積極的に評価します。おそらく、教会が聖書正典を決定する際にも、旧約の預言者や詩人に対する神の働きかけを疑っていなかったであろうと思いますし、少なくともイエス・キリストの時代のユダヤ人共同体においても、そのことは間違いないでしょう。しかし、それを明確に論証できるものではありません。それは確かに信仰の事実なのであって、それゆえにその信仰の事実は、共同体による承認と受容に基づき、それを土台として立つものです。それに対して、聖書が教会の決定によって定められたということは信仰の事実でもあり、かつ歴史的事実でもあるのです。

 信仰の事実は主観を場とします。それに対して歴史的事実は客観の場に置かれます。聖書はその主観と客観が一つの書として統合され、かつその両者は決して混同されることなく、しかし不可分な存在として置かれているのです。聖書には、信仰と歴史、すなわち主観と客観の二層があり、それゆえに聖書は、その二層に根差す二重性をもつのです。

このように、聖書が、神の言葉である聖書となる歴史的プロセスには、教会会議という共同体の決定とその受容が関わっているのです。だとすれば、セオプニューマトスは、ただ単に聖書記者という個人にのみ冠せられるというのではなく、むしろ教会にも冠せられるべきでしょう。つまり人間の言葉を神の言葉とするセオプニューマトスは、共同体としての教会を通して、神の言葉を噴き出したのです。なぜか。それは、教会がキリストを頭とするキリストの体だからであり、教会の頭であるキリストは全き神だからです。そして、聖書がそのキリストの体なる教会の教会会議(西方教会の伝統においては、具体的にはカルタゴ会議)において神によって吹き出されたものであるがゆえに、聖書は教会の書なのです。こうした教会の決定に人と神とが関わる事例は、原初の教会にすでに見ることができる。それが使徒行伝一五章にあるエルサレム会議です。

エルサレム会議の中心的な問題は、いわゆるユダヤ主義的キリスト教でした。ユダヤ主義的キリスト教という言い方は、かつてイエス・キリストの時代のイスラエルの民の信仰をキリスト教側の目線から後期ユダヤ教と呼んだような、キリスト教からユダヤ教への優越的目線に立つ言葉の響きが感じられます。それゆえに用語として適切かどうかが問われなければなりませんが、ここではその議論はいったん棚に置き、とりあえずユダヤ主義的キリスト教と言う言葉をそのまま使うことにします。

そこでこのユダヤ主義的キリスト教と呼ばれるものですが、これは異邦人キリスト者に対して「モーセの慣習に従って割礼を受けなければあなた方は救われない」(使徒言行録15章1節)と主張する立場です。つまり、キリスト教の宣教が異邦人の間にまで広がっていく中で起こった問題であり、異邦人が救われるためには、まずユダヤ教に改宗し、その上でイエスをキリストとし、主と信じ受け入れることで救われると主張するのです。このユダヤ主義的キリスト教に対してどう対処するかを協議するために、エルサレムに集結した使徒たちと長老たちが協議したのがエルサレム会議です。

その会議の結末は、次のとおりです。すなわち「神に立ち帰る人を悩ませてはなりません。ただ偶像に供えて汚れた物と、淫らな行いと、絞め殺した動物の肉と、血をさけるように」(使徒言行録15章19‐20節)ということです。しかも偶像に供えた肉や絞め殺した動物の肉を避けるとか、淫らな行いを避け、血を避けるべきであるとする理由は、モーセの律法を大切にしている者がいるので、そのようなもののために対する配慮としてそれらを避けるという点にありました。結果、異邦人に割礼を行う必要はないとなったわけですが、そのことを通達するにあたり、使徒と長老たちは「聖霊と私たちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことにしました」(使徒言行録15章28節)と述べています。つまり、エルサレム会議は使徒と長老たちによってなされた協議ではありますが、その決定は「私たちと聖霊が決した」事柄なのだというのです。

 いずれにしても、教会の長い歴史の流れの中で、何が聖書に含まれているかが問い続けられたという歴史のプロセスを経て、最終的に教会の決定として定められたのです。そして、少なくとも現在の旧新約聖書66巻は、カトリック、正教会、プロテスタントの諸教会によって聖書に含まれる書として受け入れられて来たのです。それゆえに、わたしたちは旧約聖書三九巻だけでなく、新約聖書27巻も旧約聖書と等しく神の霊感によって書かれた「聖書」であると信じ受け止めることができるのです

 この新旧約六六巻の聖書に対して、私を含む福音派と呼ばれる一団は、聖書が神に霊感を受けた書物であるという信仰の事実の上に立って、「聖書は誤りない神の言葉である」とし、それを信じています。つまり「聖書は神の言葉である」という命題に「誤りのない」という修飾語を挿入するのです。そして、このような修飾語が挿入された「聖書は誤りない神の言葉である」という言葉をもって、このことを信じることを聖書信仰と呼ぶのですが、そのもともとの命題は「聖書は神の言葉である」ということです。そこに「誤りのない」という修飾語が加えられたのですが、この「誤りのない」という修飾語をどう捉えるかが新しい問題を生み出しました。このことについては、のちに節を改めて述べることとします。



[i] 聖公会においては。プロテスタントの教会と同じで六六巻をもって聖書とするが、外典は教義の根拠とすることはできないが、生活の規範として重要視しされ、読まれるべきものとされる。

[ii] 旧約聖書の正典結集は、従来90年頃に行われたヤムニヤ会議においてなされたと考えられてきたが、近年の研究は、その時期にヤムニヤにユダヤ人の学者が集結して何か特別な会議を持ち、そこで旧約聖書の正典についての話し合いが行われて正典結集がなされたという考え方は否定されている。ただヤムニヤのあったユダヤ教の研究所のような場所に集結していたユダヤ教の学者たちによる旧約聖書本文に関する時間をかけた議論の積み重ねはなされたようである。その結果として、現在の旧約聖書39巻が正典とされていったものであるが、最終的に旧約聖書の正典結集の時期は定かではない。またマソラ本文自体が確定したのは五世紀ないし六世紀ごろと考えられている。これについては、土岐健治『七十人訳聖書入門』、教文館、2015年、144‐146頁を参照のこと。

[iii] M・ヘンゲルによれば、このイザヤ書7章14節の問題は二世紀においてユスティノスの『トリフォンとの対話』において取り扱われているが、その際にユダヤ教側が用いたユダヤ教版とキリスト教側が用いたキリスト教版七〇人訳の二つの訳があったという。このことは、ユダヤ教版のはこのעַלְמָה (アルマー)をνεάνιδες(ネアーニス/若い娘)とし、キリスト教版はこれをπαρθένος(処女)と訳されていたことを示しているという。ここにおいてユスティノスは、彼がもつキリスト教版のLXX.の正統性と権威とを主張している。このことについては、M・ヘンゲル『キリスト教聖書としての七〇人訳 その前史と正典としての問題』土岐健治・湯川郁子訳、教文館、2005年、25‐28頁を参照のこと。もっとも、このイザヤ書七章一四節に対するユスティノスとトリフォンの間の議論は、アルマーをめぐるユダヤ教版LXX.とキリスト教版LXX.の訳(解釈)の正当性をめぐる議論であり、LXX.自体の正典としての権威を直接的に示すものではない。むしろ(キリスト教版)LXX.が正典性を持つに至ったのは、ヘンゲルが「結局は、七〇人訳が、ゆるやかな経緯をたどりながら、最終的にキリスト教の権威ある旧約聖書となり」(前掲書、ヘンゲル『キリスト教聖書としての七十人訳』、32頁)とあるように、歴史的な流れの中でのことであろう。しかし、ここでのヘンゲルの言葉は、キリスト教にとってはLXX.がヘブル語の旧約聖書の理解に対して、何らかの権威をもっていたものであったことを指摘する点で見逃すことのできない指摘である。

[iv] 前出、土岐健治『七十人訳聖書入門』、一四四頁参照のこと。ここにおいて土岐は「新約聖書における旧約聖書の引用は、そのほとんどが七〇人訳(もしくは古ギリシャ語訳)聖書に基づいている。そもそも新約聖書は、そのかなり多くの部分が旧約聖書引用、また旧約への暗示ないしほのめかしから成っている。新約における明瞭な、ないし直接的な旧約引用は224で、パラフレイズないし要約的な旧約引用は26、旧約の本文への暗示やほのめかしはさらに多く、これらを含めると旧約の引用の総数は4100ほどとなり、新約の本文全体の一割をこえる(Bcale,1994,13-14)。最近の別の学者によれば、暗示やほのめかしを除いて、新約の中の三八九節において引用されているLXXの引用総数は四四九にのぼる(Vrice and Karrer,3)。さらにこれらの数多くの引用の際に、(引用されている)引用元を否定的に引用している例は、皆無である」と述べている。

[v] カルタゴ会議において正典として定められたものの中に含まれる外典は、トビト書、ユジト書、エスドラ書二巻、マカバイ書二巻、ソロモンの知恵である(A・ジンマーマン監修『デンツィンガー・シェーンメッツアー カトリック教会文書資料集 信経および信仰と道徳に関する定義集』浜寛五郎訳、エンデレル社、四九頁)

[vi] LXX.における外典以外のマソラ本文と一致する部分は、マソラ本文を優先することで基本的には問題はないであろう。その意味において、LXX.はあくまでも翻訳である。ただ、外典部分に関してのみ言うならば、LXX.が外典の原典である。

[vii] 荒井献編『新約聖書外典』講談社学術文庫、講談社、2020年を参照のこと。そこには、ヤコブの福音書、トマスによるイエス幼時物語、ペテロ福音書、ニコデモ福音書、ヨハネ行伝、ペテロ行伝、パウロ行伝、アンデレ行伝、使徒ユダ・トマスの行伝、セネカとパウロの往復書簡、パウロの黙示録が訳されている、

[viii] ムラトリ断片は、当時の異端であったマルキオン主義の正典に対するものとして記されたものであると思われる。ムラトリ断片の内容と解説については、新井献編『新約聖書正典の成立』、日本基督教団出版局、1988年、260‐266頁を参照のこと、そこにはムラトリ断片が訳されたものも記されている。ムラトリ断片において権威を認められている所として挙げられているものは、次のとおりである。

 

ルカによる福音書、ヨハネによる福音書、使徒言行録、ローマの信徒への手紙、コリントの信徒への手紙一及び二、ガラテヤの信徒への手紙、エフェソの信徒への手紙、フィリピの信徒への手紙、コロサイの信徒への手紙、テサロニケの信徒への手紙一及び第二、フィレモンへの手紙、テトスへの手紙、テモテへの手紙一および第二、ユダの手紙、ヨハネの手紙第一および第二、ヨハネの黙示録、ソロモンの知恵(旧約外典)。

 

 以上のようにムラトリ断片には、今日の新約聖書二七巻の中のマタイによる福音書、マルコによる福音書、へブライ人への手紙、ヤコブの手紙、ペテロの手紙第一および第二、ヨハネの手紙第三が含まれていない。もっとも福音書に関しては、ルカによる福音書を第三の福音書としているので、ムラトリ断片においては、マタイによる福音書とマルコによる福音書も権威ある所として認められていたとみるのが一般的である。

[ix] 前出、荒井献編『新約聖書外典』、12‐13頁を参照のこと。

[x] この「誤り」というものは、単なる事実誤認や、科学的事柄や歴史的事柄における記述上の誤りと言うだけでなく、社会情勢の変化、社会システムや社会的価値観や社会通念の変化によって、今日においては誤りであると考えるべき内容を含んでの「誤り」である。たとえば、聖書は明らかに男尊女卑的傾向をもって書かれている。それは、聖書の書かれた時代においては自然なことであり、その中で書かれた言葉である。しかし、今日の人権意識においては、明らかに誤りである。

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