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保険屋はすごい


 デスクの受付電話が鳴った。出ると、保険屋だった。突然の訪問である。丁重に対応すると、付け込まれて、保険の知識を問うアンケートに答える羽目になった。名刺交換を強要され、誕生日を記入させられた。「保険に入るつもりはない」と、はっきり言った。


 後日、また保険屋がやって来て、頼んでもいないのに、保険商品を提案してきた。非常になれなれしい態度である。先日の言葉が通じなかったのだろうか。思い返してみるに、フランス語でもスワヒリ語でもなく、日本語で話したように記憶している(なぜなら、まともに話せなくとも母語は日本語だ)。しかも、津軽弁でなければ、薩隅方言でもなかった(なぜなら、いずれも話せない)。保険屋は耳に問題がある風に見えなかったし、その時わたしは覚醒していた(なぜなら、対面でやりとりしたのだし、夢なら即座に追い返せていたはずだ)。


 なぜ、わたしの話が伝わらなかったのか、保険屋の口上を聞いているうちに理解できた。とにかく話してばかりなのだ。保険屋が耳を貸すのは、契約上必要な質問にわたしが答えるときだけである。話を聞きながら、保険屋は称賛に値する人たちだと気付いた。


 わたしは、保険屋を讃えたい。まず、まったく見ず知らずの場所に乗り込んで、初対面の人に商品を売りつけられること(きっと、江戸時代の武家社会における、女性の婚姻に匹敵するくらい覚悟がいる)。次に、生年月日・年収・生活環境・貯蓄額などプライベートな情報をためらいなく聞けること(わたしは好きな子に誕生日を聞くのも緊張するし、同僚の年収は聞くことすらできない)。そして、いくら断られてもゾンビのようにリトライしてくること(わたしも保険屋になったつもりで、あの子をしつこく食事に誘ってみようか)。まったく、保険屋には、頭が上がらない。

 保険屋はすごい。

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