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自分研究ノート|疎外感

わたしはどうやら、「疎外感」に過敏反応するくせを持っているらしい。

成育歴をさかのぼってみても、確かに「疎外」されていた過去はある。

大きいのがドカン、というよりかは小さいのがたくさんある感じだ。
よって下記の思い込みがあるとわかった。

①わたしは疎外される存在なんだ
②疎外されないためには、人の役に立つことが有効だ
③だから、人の役に常にたっていないと、自分の存在価値がないんだ
 なぜなら疎外されるから


つら!


でも、取り出せただけで自分をほめてあげたい。
これ、簡単に書いたけど
「自分にこんな気持ちがある」って認める行動は
すごくきついものがあります。文章だとさらりと見えるけど。


そう。あくまで「取り出すことに成功した」だけ。
バリバリこの感情はある。実際、すこし抵触するだけでも
わたしの感情はだいぶ疼く。



♡♡♡

今年に入ってからも数回、上記の理由で感情が強く出ている。

「わたしの存在が邪魔なんだな」
「わたしがいない方がいいんだな」
「私は何も、発言しないほうがいいんだな」

たぶん、こんなことが脳裏にあった気がします。


実際、どう思っていたかは確かめてはいないのでわかりません。

ただ、いえることは
私側に見えないフィルターがたくさん?あって
「疎外されている」と捉えやすい思考があるっぽい、ということです。


なぜなら、たぶん自分の中では
「疎外される」ことは確かめても意味のない、真実だからです
(※こういうフィルターがあるっぽい、ということです。捉え方です)


たぶん、という言葉を連発するのは理由があります。
生きづらい歴結構長いので、いろいろ勉強しました。

そこで、たぶん「わたしのフィルターは相当変だ」という自覚はあります。
だけど、どう違うかがわからない。

わたしにとってはそれが真実だから。
「こういう対応をされるということは、はいはいわかりました」

と脳が勝手に理解する感じです(自動思考と思われ)

そこで「いや、違うかもしれんよ?」と修正をかける自分も存在はしてるのですが感情が強いので圧倒的勝利を収める、感覚。


いや、フィルターなんてみんな違うでしょ?
とも思うんですけどね。わたしのフィルターは強固なんです、たぶん。


♡♡♡

超めんどくさい自分を、自分でしっかり認めようとしています。
わたし、めっちゃめんどくさいんですよ。

めんどくさそうな顔は何回も見てきているので、
いつしか自分でも愛想つかせた節もあるんですけど。

今世はこの超絶めんどくさい自分とともにいるわけですから。
どんなに他人がめんどくさがって去ったとしても、逃げられないんですよ。


疎外されたくないから、人の役に立てるように頑張る。
これが私にとっての苦行だと知りました。


好きなことがでてこないのも、きっとこれが理由。
「役に立てること」を軸にして物事を選んでいるから。他人軸ですね。


♡♡♡

どうせ、ひとりになるんだったら
人のために頑張っても自分がつらいだけじゃね?
そこで

①わたしは疎外される存在なんだ
②疎外されないためには、人の役に立つことが有効だ
③だから、人の役に常にたっていないと、自分の存在価値がないんだ
 なぜなら疎外されるから

これの①は自動思考なのですぐの改善は難しいけれど
②③は手放していいじゃない?って感じているのが今です。

人の役に立つことファーストを手放すってことです。
疎外されるされないはいったん横に置いて。


というか、
身を擦り減らして人に認められなくてもよくない?
そこで大きな見返りがある?と自分に問いかけた。


答えは明確だった。


♡♡♡

いろんな意見があることでしょう。

疎外感の思い込みが原因なんだから捉え方を変えればいいじゃんと
お思いになるかもしれませんね。

簡単って思いたいけど。そうでもないんですわ。


もし、誰かに相談をされることがあったなら。

「つらかったね」
「一緒に整理して、考えようか」
「わたしは、味方です」

こう言える人でありたい。

たくさん、たくさん傷ついて、泣いてきた。
だからこそ、わかることもあるって信じている。



ま、その前に「まず自分何とかしろや」
この指摘は甘んじて受け入れます。



「わたしは、味方です」「困ったときは一緒に考えよう」



って言葉をけっこう欲しているらしい本音を
そっと閉じ込めておくとします。


こういう本音を言うことがとてもとても苦手なのです。
だから疎外感とかでてくるのかも、しれないけど。

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