天草観光3 ロザリオ館~大江教会
名残惜しく崎津集落を後にし、続いては大江教会へ向かいます。
まずは、大江教会のふもとにあるロザリオ館へ向かいます。一日天草のキリスト教迫害の歴史に触れていますから、ロザリオ館に来る時には頭の中は
「天草の歴史と潜伏キリシタンの事は任せなさい!」というくらいの知識量になっていたはずなのですが、時間が経ち文字にしてみると、抜け落ちた櫛の歯状態の知識というか、抜け落ちた櫛の歯の枠にかろうじて留まった干からびた知識といいますか。。。。。心もとない知識しか残っていません。
ロザリオ館では潜伏キリシタンの礼拝を守った「隠れ部屋」が忠実に再現されていました。遠藤周作の「沈黙」そして同氏原作の映画「サイレンス」でも「隠れ部屋」でオラショを唱える場面がでてくるのですが、普通の家にしてそれ作り、人目を避けて狭い暗い部屋で祈りをささげるのですから、まさに命がけのキリスト教信仰だったのです。
今でもこの「隠れ部屋」のお家はあるそうですが、現在人がお住まいということで、ロザリオ館での再現となっているそうです。隠れ部屋のあるお宅とはどのようなお家なんでしょう。その他にも経消しの壺など当時のキリスト教と仏教との力関係の差を感じます。
3.11の東日本大震災を機会に、鎌倉ではキリスト教、仏教、神道の宗教者たちが一同に介し犠牲者や被災者に祈りをささげる「追悼・復興祈願祭」が3月11日に行われます。礼拝堂でお坊さんや神主さんたちが神父・牧師さんと一緒に慰霊の祈りを捧げるなんて、素晴らしいことです。私はまだその場に交わることはできていませんが、キリスト教迫害そして潜伏キリシタンの時代に秀吉・徳川がキリスト教をもっと理解していたら、今の日本の宗教はどうなっていただろうと思います。
さて、ロザリオ館のあとはその丘の上に建つロマネスク様式建築の大江教会を目指します。
キリスト教解禁後の昭和8年、フランス人宣教師ガルニエ神父によって大江天主堂が建てられました。こちらも教会内部の写真撮影はできません。天草で最も早く建てられた教会です。ここも崎津教会と同じく、イエスキリストの十字架のへの道の絵が礼拝堂両側に掲げられています。プロテスタントの教会では磔刑の絵は掲げられていません。
ガルニエ神父はこの教会を建てるにあたり、何度か出された自分の祖国に帰国する渡航費のすべて、そして生活を切り詰め慎ましく過ごして資金を貯められました。それは信者さん達よりも慎ましい生活だったそうです。まったくもって、我が国のお役人さんとかお偉いさんに聞かせたいですよ。
そのガルニエ神父は、昭和16年82歳でこの地で生涯を閉じることになりますが、生前「墓はいらない」と言われていました。唯一信者たち守らなかったことが、お墓を建るということでした。
どれだけ、神父様が信者さんに寄り添って素晴らしい人だったのかが伺えます。
そしてここにルルドの泉の再現があります。
フランスピレネー山脈のルルドという小さな村でのことです。
「ベルナデッタという14歳の少女に、この村の洞穴でマリア様はご出現なさいました。マリア様の指図によって掘られた小さな穴が泉となりここから湧き出した水が不思議な力をもって、多くの人の体の病や心の病を癒やしました。この事は世界各地で知られることとなり、こうしてルルドに似せて洞穴をつくり御像を安置して、マリヤ様を想いおこし神への取次ぎを願う祈りを捧げるようになった」とあります。
下の石は天草石です。
教会のルルドの泉近くの道に敷かれています。
天草石は天草下島の西海岸で採れます。陶磁器製造用の原料として17世紀以降使われています。そういうこともあり、天草ではたくさんの窯元があります。陶器が好きな私としては、窯元巡りも外せないところだったのですが、窯元巡りをすれば、絶対に家に連れてきたくなる食器にたくさん出会ってしまうというのはわかりきった事なので、今回は(というと、次回もあるってこと?)計画から外すことにしました。
さて、これで観光は全て終わりだったのですが、盛りだくさんですっかり潜伏キリシタン通擬きになってしまいました。
大江教会は世界遺産に登録されていないので、クリスマスの時期になったら教会は綺麗にライトアップされるそうです。写真を見せてもらいました。
こうして観光も終わり本渡バスセンターに戻るのですが、その途中に福連木(ふくれぎ)という場所を通ります。ここは大変水の豊かなところで、よい木が育つということで(よい木というのは矢にした時に非常に折れにくく強いということ)江戸時代に官(お国)から山をごっそりと召し上げられたそうです。そうするとこの地区の民は仕事がなくなります。そうすると子たちは奉公に出されます。その奉公先というの同じ熊本の五木地方。奉公に出された子たちが故郷を想い歌ったのが
「おどま盆切り 盆切り 盆から先ゃおらんど 盆が早よ来りゃ 早よもどる」
今では五木の子守歌で有名ですが、源流は福連木に伝わる子守歌だとか。
こういうお話をガイドさんから聞きながら、中身の濃い天草ぐるっと周遊観光は終わりました。自分で車を運転しての観光もいいですが、こうした周遊バスを使った観光は、ガイドブックにものっていない歴史や地域情報がきけていいですよ!
さてさて、この後は天草の夜に続く
Break Time
天草はキリスト教が禁教とされていた12月もクリスマスを祝っていましたが、クリスマスと言えばサンタクロース!日本にもサンタクロースさんがいらっしゃるんですね。パラダイス山元さんです!日本で唯一のグリーンランド国際サンタクロース協会の公認サンタクロースさんです。前述の小山薫堂さんと共に、天草エアラインの救世主となったお方です。機体デザインコンテストで天草を初めて訪れた時に、崎津教会や大江教会を案内されたことをきっかけに、世界サンタクロース会議を天草の地で開催されました。サンタクロースさんの稼働シーズン12月になるまえの9月に、世界中から白くて長いおひげの赤いお洋服のサンタクロースさんたちがイルカの飛行機に乗ってやってきたんです。(もちろんサンタさんたちはみんな自腹できています)
総勢20名のサンタクロース!大変な賑わいだったそうです。そしてこのサンタクロース会議は何度か天草の地で開かれているそうです。パラダイス山元さんの企画力のすばらしさに拍手!ほかにも1日10便乗りっぱなしのチケットを1万円で売り出すなど、アイディア企画を打ち出すなどして、一番小さなエアラインは今でも元気に頑張っています。
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