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今更、蒼穹のファフナーを全部観てめちゃくちゃ感化された話。

みなさん、初めまして。
私はしがないアニメ好きです。

皆さんは蒼穹のファフナーという作品をご存知でしょうか。
そう、2004年に初めてテレビで放送されて以来、幅広い世代を虜にしてきたあの有名SFロボットアニメであります。

私とて、その名前を知らなかったわけではありません。angelaさんの「Shangri-La」はアニソンとしてだけでなく、「ファフナー」の曲としてとても有名ですし、そのOP映像も数え切れないほど観てきていました。
しかしながら、ここ最近に至るまで一切視聴したことがなかったのです。

…驚きましたか!そりゃ驚きますよね!私も驚いてます。こんな素晴らしい作品を観ずにいたのです!!!どうぞ叱ってください!!

今回は、1期、OVA、劇場版、2期(EXODUS)、最終章THE BEYOND、そして最新作BEHIND THE LINE、と全話視聴して、その想いの丈を何か形に出来ないかと思い、感動を忘れないうちにキーボードを叩き始めた次第であります。

つまりこれは、

蒼穹のファフナーが持つその大いなる魅力に取り込まれた、1人のバカによる長ったらしい独り言

です。

※ネタバレしてます!
駄文です!


1.出会い


私とファフナーの出会いはいつだったのだろうか。

2015年のアニメロサマーライブにてangelaさんが披露された、「イグジスト」だろうか。
はたまた、2017年に投稿されたある1本の動画 ―TVアニメ「アホガール」のOPであるangelaさんの「全力☆Summer」のサビで、違和感なくファフナーのOP「Shangri-La」に切り替わる、という天才の発想のものだが―だろうか。
(知らない方はぜひ観て欲しい)
あるいはずっとずっと前に…「Shangri-La」を聴いた時か。

きっと幾度となく、出会う機会はあった。それなのに恥ずかしながら、自分は作品の名前と内容をちょっと知っている、程度だったのです。
つまり知っていながら、深く触れてこなかった。

その理由はたぶん2つ

①鬱アニメである、という偏見
ネットの評判等で形成された「蒼穹のファフナーは鬱アニメである」、という固定観念がミリしらの私にはとてもとても強かったのです。

②ロボットアニメへの関心が低かった
私は所謂鬱アニメというものに対して、苦手意識はなく、むしろ好きな部類なので特にこっちが大きいと思います。
元来わたくしはラブライブやアイドルマスターなど、可愛い女の子がそりゃもう溢れんばかり出てくるアニメで癒されるのが、好きで好きでたまらなかったわけです。

そんなわけでファフナーは私にとって、朝の通学でよく同じ電車に乗っているけど、顔しか知らない人のようなものでした。
趣味のアニメOP集漁りをしていて、「彼」を見るまでは……

 みなしろそうしくん 
( (c)XEBEC・FAFNER BEYOND PROJECTより引用 )

そう、皆城総士くんです。
OPテーマ「THE BEYOND」の映像を観て衝撃を受けたのを未だに忘れられない。とても可愛かったので即調べたのですが名前を見てさらに驚き。
エア視聴の私でもさすがに「皆城総士」は知っていたため、え!若返り!?どうしてちっちゃくなってる!?!と、彼に何があったのか、強く興味を持ったのです。
THE BEYONDが2023年夏に地上波で放送されることを知ったのもあり、「いい機会だ、そこまでにシリーズを全部観よう!」となりました。

ここまで読んでくださった鋭い方はお気づきでしょう。「アレ2023年夏までに…?全部…?」

そうです、間に合ってないのです。
これには深い事情がありました。

見てくれこの何も知らない私

2.第1期と洗礼


そんなこんなで第1期を観始めたわけですが…
前提として知っておいて頂きたい、実は私はここ3年以上鬱状態だったのです。
これが、前述の「リアタイ遅刻」にも大きく絡みます。

いや、今まで生きてきて、鬱ではなかった時の方が短いのですが…その度に、アニメ作品から勇気と元気を分けてもらって生きてきました。

ここ3年は、
・受験と高校側からのプレッシャー
・進学のストレス
・新しい環境で一人暮らし、アルバイト、学業
……親の期待とそれにそぐわないだろう自分、
バイトに行っても仕事はまともに出来ない、迷惑しかかけない、
特にやりたいこともないし、
大学に行っても周りは輝いていて、周りと比べて何の能力もない自分に失望していました。
劣等感でいっぱいいっぱいで、自己肯定感なんて皆無だったんです。
昔から特技もなし。何をやっても中途半端。
まあ簡単に言ったら「私」が生きてる意味ないかなーって。

もちろん、その状態だったからこそ、所謂「鬱アニメ」にシンパシーがあり、
好んで観たり、必要以上に気分が沈まず観れたり、
絶望的な状況下で頑張る登場人物を見て自分を鼓舞していたのですが、
それでも、さらに一層、暗い、悲しい、辛い気分になる可能性がある鬱アニメの視聴は極力避けたい、という思いは確実にありました。
だから、観たくても気軽に手が出せなかったのです。

あるとき、気分が沈んでいたので、鬱アニメでも観るか、と思い立って選択したのが、以前から気になっていた「蒼穹のファフナー」、そして「ぼくらの」でした。(君は知るだろう、この組み合わせの選択がのちに後悔を生むということを…)

このように、ぼくらのとファフナー第1期を同時に観始めたわけですが、これがまー辛かったんです。

まず、ファフナーの第1話に出てくるマークエルフで、エルフ…エルフ…あっ…elfかぁ……と…
自分は大学でドイツ語をやってるもんで、大学生活を少し連想してちょっと沈みました。いやくだらないですねこの件。
まあ、古今問わずドイツ語の単語が出てこないアニメの方が珍しいですよね。
なお後に、有識者の方からなぜ機体名がドイツ語なのか教えていただき、ちゃんと設定の裏付けがされているのに感心しました。

まず題名の’’ファフナー’’で北欧神話と気づくべき

特に辛かったのは、やはり誰かがいなくなる、命が消えることでした。
ぼくらののやばさは皆さんご存知だと思いますが(設定上戦闘の度に必ず1人以上死にます!)、
ファフナーもぼくらのも、どちらも一人一人の想いやその存在を繊細に描写するので個々の命が重すぎる。

中でも印象深いのは第6話です。

蒼穹のファフナー第6話 翔空〜ぎせい〜を観た筆者
( (c)XEBEC・竜宮島役場 より引用 )

この回は羽佐間翔子ちゃんという病弱な女の子が、好きな男の子、つまり主人公真壁一騎のためにロボットに乗って、島の皆と帰る場所を守るっていう話で……
とても衝撃的でした。
しかも、真矢ちゃんたち同級生が悲しむ姿だけでなく、母親である容子さんの感情までもきっかり描写されていて辛さ100倍増しです。
蒼穹のファフナー、こういうアニメなのか……と戦きました…ある種の洗礼を受けました。

翔子ちゃんのことを引きづったまま、6話の続きを観ていたら、7、8、9話と春日井甲洋くんにスポットが当たり…
彼と彼の両親の関係の話も、ショコラを羽佐間家に預けるところも中々キツかったし、
何よりも、翔子ちゃんの事を想っていた甲洋くんまでも、仲間を助けて同化されてしまうという怒涛の展開が辛かったです。
しかも、翔子…誰だっけそれ、って…おい…
仕舞いには皆城総士が「仲間よりファフナーのことが大切」とか言い出しやがりましたので(みなしろくんあやまって)(彼の心情を後に知ってああ…って…)

私は展開に耐えきれなくなり、一騎くんが島を離れるタイミングで、私も同時に逃げ出してしまいました。第10話視聴後、およそ2023年7月くらいのことでした。

…並走してた「ぼくらの」、ですか?
聞かないでください。


3.新学期型フェストゥム、襲来


それから少し経ち2023年9月下旬、ファフナー視聴から逃げていた私の元に刺客が現れました。
アニメタイムズ公式です。

蒼穹のファフナー公式X(旧Twitter)より

彼の者は、新学期(地獄)が10月から始まるのと、バイトによる精神疲労でめっっちゃくちゃ病んでいた私のYouTubeのオススメ欄に颯爽と現れ、配信期間中に何度もその姿を見せ、「おい、早く続き観ろ」と言わんばかりにファフナーの罠に嵌めようとしてきたわけです。

私は、続きが気になるなー、と、でもこの精神状態だとファフナーの陰鬱とした雰囲気とシナリオに飲まれてしまうかもしれないな…の2つで揺れ動いていました。

そして、迷いに迷った末に1つの作戦を思いつきました。
それが、【ショック療法作戦】です。

ショック療法。その名の通り、強いショックをかけて精神疾患を治すものです。
ショック療法のように、深刻な鬱状態でファフナーを観ることで、自分の鬱を無理やり打破出来るんじゃないかと思ったのです。
お察しの通り、私は新学期が始まるのが嫌で嫌で仕方なかったのですよ。ゼミで唯一の同級生が夏からボンに留学へ行ってしまいまして。
いや、別に、彼と特に接点があった訳ではありませんが、前期と同じ地獄を10月からも味わうのか、それも本当の孤独の中で。と。
ですので、「新学期が始まる」という究極のマイナスと、ファフナーというマイナス(暫定)をかけて、プラスにしようとしたわけです。

結果から言いますと、この作戦は成功でした。
そりゃもう、ものすごく。
成功の要因は、ファフナーという作品の根底にある大きなテーマにありました。


4.真壁一騎とマーク’’ザイン’’


【1期15話に見るファフナーのテーマ】

「あなたはそこにいますか?」

これは蒼穹のファフナーを象徴するセリフです。
しかしながら、最初はよく意味を理解できずにいました。
敵であるフェストゥムが問いかけてくるセリフだけど…次回予告にも使われているし、ファフナーという作品を解釈する上でたぶん重要なものなんだろうけどな…と。

その意味を漸く理解し始めたのは、第1期 15話「記憶〜さけび〜」視聴時でした。

この回は、島を離れた主人公真壁一騎が新しい機体に乗る回でもあり、一騎とその幼なじみ皆城総士の過去や、一騎の心情が描かれる回でもあります。

一騎は昔総士の左目を傷つけてしまったが、総士は一騎を一切責めなかった。その罪悪感から自己否定をしていたということ。

「お前は俺を怒ってるんだろ?俺を憎んでるだろ?!だから俺に戦って死ねって言いたいんだろ!?総士!」
「ずっと…いなくなりたかった…俺なんかいなくなればいいって…でもせめてお前に謝りたくて…」  

蒼穹のファフナー第15話 記憶〜さけび〜 より

ここでハッとさせられました。
いなくなりたかった俺なんかいなくていい、か。
なんか私みたいだな。と。

前述の通り、私は「ショック療法作戦」を実行中だったため、この一騎のセリフ、自己肯定感が皆無の私には共感しかなかったんです。
もっとも、一騎とは状況も原因も違いますが、私自身、自分が大嫌いですし、こんな自分が存在してる意味なんてない、とすぐ考えてズブズブーっと負の考えにハマってしまう傾向があります。

お前は俺か…?俺はお前か…?とここで私は真壁一騎にしっかり感情移入してしまいました。

更に観進めると、「総士が同化しようとしたから一騎が反撃した」というのが真相である、そして総士自身は、左目の傷について、総士を総士にした証、アイデンティティであると感じていることが明らかになります。


この前後の皆城乙姫ちゃんのセリフ全般も、この作品を通して表現したかったもの、伝えたかったことなんだろうな、と思っていて。

「最初はみんなひとつだった。大きくて深い場所。そこから出てくることでみんなバラバラになった。自分が自分に、人が人に。そうして言葉が生まれた。全てがひとつ。他人がいない世界、そこに帰りたいと思うことさえ新しい発見。だって、自分がどこにもいなければ、帰りたいと思うことさえないもの。

 同上より引用

帰りたいと思うこと。個々で意志を持つ。それが、個人つまり自分が「そこにいること」、存在することの証明にもなってるということですね。

 ここの芹ちゃんたぶん宇宙猫みたいになってた

乙姫ちゃんは一騎に問います。

「あなたはそこにいる?」
「それとも、いなくなりたい?」

同上より引用

一騎は答えます。

「俺はただ、総士ともう一度話がしたいだけだ」

同上より引用

このように一騎は、総士ともう一度話をする、という自らの意志を以て存在を選ぶのです。

第15話の一連の流れ。
これが蒼穹のファフナーという作品のテーマであり、根幹をなしていて、非常に重要だと感じました。
相手と対話をするから自分が存在する。
そもそも、他人がいなければ、会話をする必要が無い。
会話がないから、言葉も要らない。
対話は、自分ではない他の誰かがいるから成立する。
人間は、自分以外がいるからこそ他者と関わり、個々それぞれ違う意志を持ち、そのことによって互いに存在の証明をし合う。というわけですね。
たまげた。深い。真理すぎる…

そして何よりもすごいのが、このようにして「総士ともう一度会話がしたい」という意志’’存在’’を望んだ真壁一騎が、マーク’’ザイン’’に乗り、マークザインごと同化しようとした怪物の殻を破って自ら出てくるのです……!!

ザイン。Sein。ドイツ語で、実在あるいは存在、「あること」を示す名詞。
なんてよく出来たシナリオなんだ………!
私は圧倒されていました。いやもう面白すぎて。
「会話は、自分が自分であり、人が人であることの証拠だよ、一騎。」
この乙姫ちゃんのセリフにグッときました。
「存在」と「対話」。まさに蒼穹のファフナーのテーマを体現したシーンであると言えるでしょう。

第15話視聴後の筆者。
特殊エンディングで感激して無事語彙力が逝く。
一騎が島に「帰る」ではなく、「行く」と言ったのがすごく良かった。



【BEHIND THE LINEにおけるマークザイン】

最新作BEHIND THE LINEは、2期EXODUSの前に当たる時系列のお話ですが、この作品においてマークザインはまた別の暗示をしていたのではないかと思います。

以下、本編より引用の一騎のセリフから考えていきましょう。

「俺は…お前だった。お前には誰か他の奴が乗るのか…?」

蒼穹のファフナー BEHIND THE LINEより引用  

まず、お前だった、というがポイントです。ファフナーが自分、つまりファフナーに乗ることが自分の存在理由の1つと考えるようになっています。
ところが、生存限界によって、マークザインに乗ることをやめなければならなくなった。
それによって、自分を少し見失っている姿が伺えます。

「俺はまだ、電池切れじゃない。」
「命が無駄になるのが怖いんだ。」
「普通に生きても、俺はみんなよりずっと早くいなくなる…」
「いついなくなるか分からなくて怖い、でもコイツ(マークザイン)の中なら、怖さにも意味がある。

同上より引用

マークザインを降りざるを得なかった一騎、しかし降りることによって、ある種存在を失った状態で残りの寿命を過ごすくらいだったら、それは嫌であり、まだ自分に役割があるのだから頑張りたい、と述べています。
また、一騎は千鶴さんに寿命宣告をされたとき、「あと4年。そんなに長く生きられるんだ…!」と言っていながらも、自分がいなくなる夢を見てうなされていたりするため、心の中では底知れない程のいなくなる恐怖を感じていることがわかります。
したがって、マークザインに乗ることで自分がいなくなることへの理由、つまり保険、みたいなものを作ろうとしてるというようにも見えます。

結局はカノンが説得して(1期と逆構図なのが感慨深い)止めてくれて、一騎はファフナーに乗らずに精一杯生きることを約束します。

このように、BEHIND THE LINEでのマークザインは、ただ名前の通り「存在」を表すだけでなく、いなくなることへの保険としてザインに乗ることが一騎の「存在」している理由に繋がること、そして一騎がファフナーに乗る以外の「選択」をし、存在理由を探す「出発点」としても描かれてるように思います。

マーク’’ザイン’’なのに乗る度に物理的な「ザイン」から遠ざかるという皮肉…
しかしながら、本作の一騎にとっては、ファフナーに乗ることつまり「ザイン」から遠ざかってるからこそ、ファフナーに乗ることが自分の「ザイン」に近づくと考えているという、矛盾していてしかしながら強い信念を含んだ描写であると考えます。


5.’’存在’’を示す数々のモチーフ


このように、ファフナーという作品のテーマは「存在」と「対話」が主軸であるのですが、そのことを理解し注意して観ていたら、作品の至るところに存在に関連したモチーフが散りばめられていることに気づきました。
例えば…

・写真
作中に度々登場する写真。
真壁家にある紅音さんの写真、翔子ちゃんの写真、小楯家の写真、鈴村神社の写真たち辺りが印象的ですが、ファフナーで出てくる写真と言われたら外せないのが、遠見真矢ちゃんが撮影したパイロットたちの集合写真でしょうか。
皆城総士くんのお部屋に貼ってあるやつです。

写真は、その瞬間を切り取り、遺すことが出来ます。まさに、そこにいる、またはいた証を示す最も簡単かつ非常に良いモチーフですね。

・ショコラ(クーちゃん)
ショコラは、1期2話で初登場する春日井甲洋くんのワンちゃんですね。カノンと行動を共にしていた印象が強い。

甲洋がショコラをけしかけるシーン( (c)XEBEC・FAFNER EXODUS PROJECTより引用 )

クーちゃんは、THE BEYONDにて来主操くんとも戯れていたので付け加えました。

ショコラは、最初は羽佐間翔子ちゃんが出会って、将陵僚くんの相棒「プク」に因んでプクと名付けられていました。

将陵僚のプクの話は…話すと長くなるので仕方なく割愛しますが(嗚咽)
RIGHT OF LEFTに登場する将陵僚くんの家族です。

羽佐間家には既に愛猫のクーちゃんがいたため甲洋が引き取り、「ショコラ」と呼ばれるようになります。
ショコラ。言うまでもなく「翔子」が由来ですね。

ショコラは、「プク」や「翔子」の名前の継承による彼らの存在証明だけでなく、甲洋やカノンの帰る場所、羽佐間家や甲洋の家族の一員としても重要なモチーフを持ちました。

THE BEYOND最終回の天寿を全うした姿は、もう涙無しには観れない。

・ゴウバインヘルメット
小楯衛くんのお気に入り、機動侍ゴウバインのヘルメットです。1期で曰く付きアイテムになってしまいましたが、(別名:フラグの化身)被ると勇気が湧くようです。

そのみんなを守る遺志と存在の証はヘルメットと共に二代目、三代目、四代目(?)と引き継がれていきます。

水鏡美三香ちゃん。


・灯籠

竜宮島では毎年U計画すなわち夏祭りがあり、その最後には灯籠流しが行われます。
1期20話を始め、HEAVEN AND EARTH序盤、BEHIND THE LINE、EXODUS17話、THE BEYOND12話など、度々描写されています。
灯籠には蔵前家、羽佐間家など、居なくなってしまった人の名前が刻まれている…

THE BEYOND12話で総士くんが、「皆城総士」の灯籠を一騎に流すように言うところが…好きだけど…
僕が勝ったんだから文句は言わせない、お前の知ってる誰かはもう居ない…というセリフがとても切なくて悲しい。皆城総士いないんだよなって…………

竜宮島が日本の文化を引き継いでいるという設定を示すだけでなく、各シリーズで1回ずつ位のペースで出てくるほど頻度も高く、印象的でもあり、そしてという文化を大切にすることが作品全体にとっても重要な描写となっているのがわかります。


・零央の剣、そして受け継がれる教え
レオちゃんの剣。零央父→零央→総士くんと持ち主が変わります。
THE BEYONDでの零央の
「武器の影に隠れず相手の命を見ろ」や
「戦いの時は心に平和を、平和な時は戦いの心構えを」
の教えは、総士くんに深く刻まれ、第11話のvsマークアレス戦でも重要な役割を果たしました。

個人的には総士くんが美三香を受け継いでゴウバインプログラムを使うシーンが好きです。でも彼の前世の珪素おじs…皆城総士がゴウバインプログラムや超必殺、ゴウ・スパークについて「そんなプログラムは無い…」「そんな機能は無い…」とテクニカルにツッコミをするのも好き。


その他にも沢山あると思います。

翔子ちゃんのお洋服。真矢さん父のカメラ。EXODUSの避難民の女の子のお守り
エメリー弟の
道生さんの拳銃
これらは、作中で持ち主が何回か変わるものです。

堂馬広登くんが作った色々な番組。これは本人自体がずっと出演し続けている…
EXODUSで広登くんが遠征に持っていった大きなカメラは、遠征組だけでなく、避難民たちの懸命に生きる姿をありありと映し続けました。
EXODUSで一騎と真矢さんが誕生日を祝い合うことも、ある意味モチーフの延長と言えると思います。

日野美羽ちゃんの’’日野’’。元は道生さんの苗字です。
カノンがHEAVEN AND EARTHから’’羽佐間’’カノンになるとか。カノンに帰る場所が出来ました。
THE BEYOND12話で剣司が遠見医院を借りることになるのも千鶴さんからの継承にあたるかも。
一騎カレーは…ちょっと違いますかね。

この作品では名前ひとつとってもモチーフになり得るのが、素敵でもあり、ちょっぴり胸が締め付けられます。


あとはあれですかね。
ファフナーのキャラたちはみんな2人以上1組になっているところ。
自分以外がいるからこそ、自分が自分になり、お互いがお互いの存在を作る、存在を証明し合うという、まさにテーマそのものを体現していると思います。

1期での一騎と真矢さんの会話が印象的です。
剣司咲良夫婦…1期観てる時はどうなるかと思ってましたが、いや、絶望していましたが…結婚して家庭を築く関係になり本当に良かったです。


それと…カノンという子…キャラ自体も、作品全体を象徴するとも言えます。
カノンの話はすればするほど筆者にダメージが来るので控えめにしたい……と思いますが、1期で初登場するカノンは、EXODUSと比べると本当に別人で、事前に17話だけ知ってた私にはとても驚きでした。
人類軍時代では命令されたことをただ実行するだけだったのに、一騎に説得されて投降、そこにいることを選んでからは、容子さんや仲間にどんどん心を開いていくのが、他者と対話をするというのと、意志を以て存在を選ぶというのにとてもマッチしていると思います。
彼女が一騎に対する強い想いを持つ姿、彼女の精神的成長、EXODUS17話…涙無しには観れない…
咲良の「こんなことのために文字を教えたわけじゃないわよ!」(うる覚え)っていうセリフずるすぎない?




長くなりましたが、これらのモチーフの多くは、いなくなった子達がそこにいたことの証となるものであり、作中の人物たちはそれぞれのモチーフと深く深く結びついているため、人目見た途端、このアニメを見ている全員に、彼らの生き様全てを思い出させます。

しんどい…
たぶん作品側の意図としても、このようにしてたびたび彼らの存在を思い出させることが100%計算通りであるのがまた良いと思います。
ボクは羽佐間翔子さんの写真が映る度に悶え苦しんでいました。

それにしても、竜宮島の住民たちの、かつて居たものたちに敬意を持ち、そして決して忘れずに大切に想う心はとても素敵だと思います。

誰かが覚えている限り、
誰かが彼らの遺したものを大切にしていく限り、
彼らはずっと、ずっと、生き続けるのです。


6.鬱アニメ、蒼穹のファフナー?


途中だいぶ話が脱線したように見えましたが、案外そうでもなくてですね…
ここまで再三、ファフナーのテーマは「存在」と「対話」という話をさせていただきましたが、このテーマが大変私にぶっ刺さりまして。

結論から言いますと、
私は、世間で鬱アニメと言われてるファフナーを観て魂が生き返りました。
いや、考え方を少し変えた、が正しいのかな?

前述の通り、私は自己肯定感が皆無で、他と比べて劣るお前なんて消えればいい、いる意味なんてないと思ってずっと自分を責めて生きてきました。
でも、心のどこかでは、今のまま、何も出来ないままいなくなりたくない、という、BEHIND THE LINEの一騎みたいな、いやあの作品の彼とは全然違うんですけど、そういう考えもあって。

しかし、蒼穹のファフナーという作品に出会って、私は「お前早く消えろ、いなくなりたい」と思いながらも、どこかで自分の存在意義や、存在理由を探すために存在を選んでいたんじゃないかな、ということに気づきました。


私がこの感想noteを書き始めたのも、ファフナーに絡んでて。
こうしてしっかりと自分の意思を持って、感じたことをそのまま書くこと、そして自分のこれまでの考えとの決別(…出来るかどうかはわかりませんが!)の意志と、その記録を残すことこそが、ファフナーの全体のテーマにも繋がり、
かつ
ここまでしてやっと、自分の中でファフナーという作品の集大成になるかなと思ったから、やってみました。
これを書いて’’完成’’する作品と感じたのですよ!

きっと、始めから自分の存在理由や存在意義なんてないかも、いや、ないんです。
でも、少しでも意思を持っていれば、考えを持っていれば、他人とは確実に違う自分というものが、つまり自分が自分である証が生まれます。
その上で、自分ではない様々なものと対話し、関わり合うことで、自分という存在が確立される。

他人と「違う」からどんなにバカで劣ってて無能で迷惑かけてても私は私。
今日ラーメン食べたい、明日晴れるといいなー、存在理由、ここにいる理由なんてそんなもんでいいのかなー…

簡単で、でもめちゃくちゃ重要なことに気づかせてくれた蒼穹のファフナーには感謝しかないです。一生忘れません。
というか私の抗うつ剤として一生働いてもらうことにします。忘れる前に観返します。
今元気なのが一時的なものだったとしても、(これが不安なのだが!)その時はまたファフナーに殴ってもらうことにします。

もちろん、ファフナーの世界観を見て、日々の何気ない平和のありがたみを改めて感じたのもあります。最初にショック療法をしようした自分グッジョブ。正直ほんっっっっとに辛かったので今すっきり晴々としすぎてて怖い。

ここまで読んでくれた皆さんにも感謝しかない。少しでも共感してくれたら私もとても嬉しいですし、ちょっと頑張った甲斐があるかなと。
ファフナー観たことないって人は観て欲しい。
後悔は絶対しないと思う。
この駄文は布教にすらなってないと思うけど、これを読んで少しでも興味を持ってくれた人がいたら、いいなって。
これが、俺の祝福だ(?)

最後に。
蒼穹のファフナーは、鬱アニメではありません。繰り返します。鬱アニメではありません。
作品を通して鬱を治した?人間が言うので本当です。
だって鬱アニメって観て鬱になるのが筋じゃない?

確かに、キツイ描写、辛い描写、悲しい展開がてんこ盛りであるのは認めます。
しかし、絶望の中に必ず希望があると信じて乗り越えようとする力、そしてついに乗り越えた後の澄み渡った空こそが、この作品の醍醐味です。絶対。
だから、みんなこの素晴らしい作品観てくれってのが言いたいかな。

そしてきっとこれは現実にも言えることです。
どんなに辛くてもいつかは蒼穹が見えると信じて。その蒼穹を見るために頑張っていこうと思います。
とりあえず、葬式で誰かに泣いてもらえるような人間になりたい、これが今の夢です。叶えられるかな?



おまけ、という名の自己満 感想コーナー


このブログ自体が自己満?それはそう。

【遠見真矢さんとカメラ】

遠見真矢さんは1期から父ちゃんのカメラで写真を撮りまくってくれている。でもずっと撮り手に徹していて写真自体にはあまり写らない。BEHIND THE LINEでも「遠見センパイ写ってねえ!!!」って暉くんが嘆いていた。彼女写っててかわいい写真見てえよな。すごいわかる。
このずっと撮る側ってのがなんか意味あるんじゃないかと考えてたんだけど…

撮る側は写真に絶対写らないし写れない…つまり写真に写る空間と撮る側では何らかの距離が生まれるのかなって…

それでさ、真矢さん、1期でも中盤まで、私だけファフナーに乗れない…って言ってたしBEHIND THE LINEでも「私ね、いつもみんなから少し遅れるの…」って嘆いてたから、遠見真矢さんがカメラを持つ、カメラでみんなの写真を撮るってことが、みんなとは遠くにいる、みんなと違う、みたいなある種の真矢さんの中での劣等感みたいなものの暗示をしているんじゃないかな…

あくまで1解釈だが…
てかこっちとしては「(みんなから遅れるに関して)そんな事ない!!!!涙」って感じですね
芯がとっても強いし、戦闘力的にもくそつよいじゃん。なんだあの正確な射撃は…

真矢さんが写真撮る時の、絶対2になる引き算問題ほんとかわいい。すき。

【マークアレスと器】

フェストゥムって、操ちゃんを始めベノンもファフナーのことを器って呼ぶんだよね。最初は「まーそのとおりだよなー(真顔)」って思ってたんだけど。
THE BEYONDで真壁一騎が「俺が止める。その為の新しい’’器’’が欲しい」って言った瞬間すんごい悲しくなった。
EXODUSの最後で祝福を受けてたのはちゃんと観届けたわけだけど、1期の姿から観てきたから遠くに行っちゃったな……感があって

マークアレス自体は初登場時マジモンのバケモンすぎて笑っちゃった…
でもそれ以上に保さんの技術もバケモンなんじゃないかなって

元のマークツェン改レスとマークアレスって名前かかってる?…わけないか…

【マーク’’ニヒト’’】

EXODUSで皆城総士が乗ってたマークニヒトは「どうした‪✝︎虚無の申し子‪✝︎がそんなものか!!」って総士に罵倒されながら(あれご褒美だよね?)名前通りフェストゥムを無きものにしていてクソ強かったけど、
THE BEYOND皆城総士くんのマークニヒトのニヒトは、フェストゥムを倒すだけじゃなくて、「何かを成し得るにはそれに対する犠牲が絶対必要」っていう犠牲をしゃーなしとする考えをばっさり否定していて、まさにニヒトの名が全面に出ててすごいよかった。
零央ちゃんと美三香助けようとしてたところマジで熱かった。vsマークアレスでも自分の信念をぶっちぎって戦って一騎にお前の力なんているもんか!!って否定してて…
てかあの総士くん、我々視聴者側の犠牲諦観にもブチキレてたよね?今までのファフナーの言わばお約束みたいなものを否定してあのすっきりした最終回に導いたのスゴすぎるよな…マジで主人公だった。

考えてみたら、犠牲の否定って皆城総士が1期からずっとしてきてて、それはBEHIND THE LINEで真矢さんと言い争ってたところにも強く出てたよな…
「誰かの代わりに自分が倒れればいいという浅はかな考えは捨てろ!!!!!!」
か…………

浅はかって言ってるのが、皆城総士くんが美羽ちゃんを止めない一騎に「あんたはバカの中の最悪のバカだ!!!」って言ったのに通じるなって…
彼らは違う人間だけど、どこか似ていて同じような強い信念を持っているのが良かった。

皆城総士も、皆城総士くんもどちらもすごい好き。

他にもまだまだたっくさん言いたいこと、語りたい好きなシーンあるけど…
THE BEYOND最終回ですらも一騎さんが真矢さんをずっと「遠見」って呼んでたこととかさ…

EXODUS終盤で「真矢」呼びくるか……?って思ってたのに…いや来ないんかい!!!!!!!!!歯痒い!!
でもあれさ!遠見呼びさ!制作側が最後まで遠見呼びさせるよう意図的に仕組んでたよね!?一騎の「一緒に来る?」に対する真矢さんの返答とかさ!もう!もどかしい!

あと春日井甲洋がイケメンってこととかさ…
それはチマチマ旧Twitterくんに書き漏らすことにするかな…
ファフナー最高、みんな観てくれって話でした!ありがとう!

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