第一次世界大戦の火ぶたがこの橋上で
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ(BiH)の首都サラエボからです。
ピザ屋で「30歳か?」と聞かれました。小柄な日本人は年齢不詳です。「決して言えない」とお伝えしました。
今日もサラエボは晴れ。最高気温は12度くらいです。
サラエボ市民の特徴
私が感じたこちらサラエボ市民は真面目です。
そして、熱心に働いている人々が多いのが印象的です。
地声は大きく、気が荒い人が多いとは思います。車のクラクションをすぐに鳴らします。
素晴らしい事は老人に親切な若者を多く見かけます。内戦などの混乱期、国を守った現在のお年寄りに対するリスペクトを教えられて育つのか?老人に優しい振る舞いをする若者を沢山見かけます。
歩きスマホ人口が少ない!というかほとんど見かけません。
ベトナムのホーチミン市ではとてつもないバイクの多さに驚愕したり・・・
と様々な都市でカルチャーショック受けます。
第一次世界大戦はじまりの地
サラエボと言えば歴史の授業で習いました。この地この場所です。
The Latin Bridge
ラテン橋
信じられません。この小さな全長100メートルくらいの橋の上で、第一次世界大戦の口火を切ることになるサラエボ事件が、1914年6月28日に起こりました。
「ざっくり:オーストリア大公フランツ・フェルディナント夫妻が、サラエボ(当時オーストリア領、現ボスニア・ヘルツェゴビナ領)に訪問中、ボスニア系セルビア人の青年ガヴリロ・プリンツィプによって暗殺された事件」
こちらはレプリカです。皇太子夫妻が乗車していた実物はウィーンの軍事史博物館にあります。
サラエボミュージアム1878-1918
It is called Sarajevo Museum 1878-1918 and represents the period of the Austro-Hungarian Administration in Sarajevo, including the event itself, that is, the 1914 assassination.
ヨーロッパの火薬庫と呼ばれていた地域だけに、大変な歴史を歩んできたことを、観光客も肌身で感じます。
お食事🍚情報
今日は特にご報告するお食事がなくてスミマセン
旧市街地のホテルヨーロッパ周辺にはクラッシックなパブが多いです!
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