縁側の思い出

 

昭和な時代。 夏の夕暮れにステテコでうろうろする父。 まあご近所の殿方は皆さんそんなようなものだった時代だから珍しくもなかった、な。 生きていたら今でもそうなんだろうか ?


父が今の家を建てて引っ越してきたとき、縁側を設え(シツラヘ)てあったか否かは覚えていないが、そうできる場所というか空間はあった。

何故か私は縁側の風景というか風情が好きだ。 昨今の気候では設えてあったとしても軒並み地面のない家だらけになったこの界隈では保持する熱と室外機の熱風で地区全体が暑いんだからとてもじゃないが耐えられないんだが。


ここも住みにくくというか過ごしにくくなったなあ。


とはいえ何をするにも遠くないという意味では程好く便利だからこの歳になって引っ越すと後悔することになる。 主たる生活の場を移す気は微塵もない。


縁側と言えば当時はまだウチにも七輪があった。 七輪と言えばサンマというイメージがテレビやマンガの影響で私にもあるがウチではその図はない。 今でこそスーパーに行けば売っているが基本的にこのへんではサンマ獲れないし。 私もサンマは関東に行くまで食べたことないし。 ていうかそんなものなくてもこのへんじゃ魚には困らないんだ。

七輪で何をしていたのかは覚えていない。


父と縁側と言えば土用干しの光景。 ステテコの、ね。 ww

私がそれほど梅干し好きというわけでもないし年に 2 つくらいしか食べないから父が漬けた梅は未だなくなってはいないし美味しいままだ。


建てて何年したころだろう ? 縁側の場所が廊下になったのは。

障子 - ガラス戸 - 外 だったのが 障子 - 廊下 - ガラス戸 - 外 になった。 最初からそうなってなかったのはたぶんジイさまが自分の部屋から直に外に出たかったからじゃないかと思っている。

あー、だからジイさまの部屋の前にだけ縁側が設えてあったかも知れない。 そのへんの記憶は曖昧だ。 私の願望が溶け込んでいると思う。


あのころはエアコンなんてものはどこの家にもなかったはず。 クルマだってそうそう走ってはいなかったし洗濯機の脇にはクルクル回すやつがついてたくらいだからねえ。

ウチの車庫にはピットが掘ってあったけど。


それでも夏の夕暮れに打ち水でもすればあちこち開けっ放しでもそれなりに快適に過ごせた。

今は暑い云云ではなく怖くて開け放しにはできない。



何だかねえ、… 得たものと失ったもの。

C'est la vie.

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